軍師黒田官兵衛と武人黒田長政
DECADE
第一章 小寺時代
姫路の龍と恐れられている黒田官兵衛は、小寺政職の家臣であった。
小寺政職は暗愚な領主として知られており、隣接している赤松や別所と小競り合いを繰り返していた。
また、小寺政職は赤松家の赤松政秀と戦をすることになった。
だが、今回は、小寺政職は赤松家を舐めきっていた。何しろ、前回、赤松家と別所家が示し合わせ、軍勢三千が姫路城を攻めた。その時、危険を感じた官兵衛が、姫路城に三百の軍勢で援軍に来て、赤松勢を蹴散らし、撤退させた。
このことから、小寺政職は赤松勢を十分の一の軍勢に蹴散らされる弱い将たちと舐めきっていた。
総大将が相手を舐めているのだ。重臣だけでなく、足軽までもが舐めきっていた。
だが、先に攻撃を仕掛けたほうが劣勢になると官兵衛は感じた。
夢前川で軍が対峙しているのが良くなかった。梅雨が過ぎてすぐというだけでなく、元々夢前川は深い。兵たちが溺れ死ぬことなどを官兵衛は危惧していた。
そんな中、赤松勢からの小寺政職への誹謗中傷が繰り返された。
「御着の城に隠れる亀」
だが、本当のことであった。小寺政職は殆どの戦の総大将を小河三河守ら、重臣に任せている。己は本拠地である姫路城で茶でもすすって朗報を待っているのだ。
しかも、我慢の嫌いな小寺政職は、誹謗中傷に激怒し、赤松勢への総攻撃を命令した。
「赤松ごときに遅れを取ることなどないわ。かかれえ」
だが、官兵衛の危惧は当たり、先に攻撃を仕掛けたほうが劣勢であった。つまり、小寺政職のほうが劣勢だったのである。
深い夢前川で足を取られている間に、赤松勢が弓、槍投げ、少数ではあったが鉄砲を駆使して、攻めてきた小寺の軍勢をこてんぱんに迎撃した。
潰走する兵ほど弱いものはない。潰走した小寺の軍勢は赤松勢に包囲され、殲滅された。
小寺本陣に戻った官兵衛は、小寺政職に戦況を報告した。
「申し上げます。ただいま、赤松勢に一隊が包囲され、殲滅させられました」
小寺政職が動揺しないわけがなかった。
「そ、それでどうした。赤松の軍はこちらに向こうておるのか」
「いえ、その一隊を殲滅し終わり、本陣に撤退いたしました」
小寺政職は胸をなでおろした。
「そうか、我が方と赤松めの軍勢のおよその数を言え」
「はっ。我が方が先程千を切り、赤松の軍勢、およそ二千程と思われまする」
本陣にいた諸将が立ち上がり、驚きをあらわにした。
「に、二千じゃと」
その中で、官兵衛のみが冷静であった。
「こうなれば、赤松に撤退してもらうほかありませぬな」
本陣にいた諸将はまた驚いた。二倍以上の軍勢を追い払うと言っているのだ。
「政職様、我が愚見を聞き入れてくれますでしょうか」
政職は承諾し、官兵衛は早速、己の立てた策を喋り始めた。
「夜襲をかけるのです。夜襲をかけ、敵軍を動揺させれば、敵は尻尾を巻いて逃げていくでしょう」
説明されている間、それが早く終わってほしかった政職が焦った。
「それを追撃するのだな」
だが、政職の考えることと、官兵衛の考えることは違った。
「いえ、追撃はいたしませぬ。夜襲をしたところでこちらが劣勢ということに変わりはないのです」
「ではどうするのだ」
「ここでは、我が方の兵を無駄に死なせないことこそが肝要でございます。そのためには、夜襲で如何に敵に気づかれずに近づけるかが鍵となります。そのため、攻撃したらすぐに逃げる前提で、防具を外して攻撃をいたしましょう。ですが、それだけでは敵は逃げませぬ。では、長くなりますので。私のみで夜襲を仕掛けまする」
こう言い残して、官兵衛は小寺本陣を去った。
この夜襲は面白いほどに成功した。
昼の戦況を見て、赤松勢が、小寺はもう反撃はしてこないだろうと踏んでいたのだ。油断していた赤松勢は数百人を討ち取られた。
だが、官兵衛の軍の被害も甚大であった。二百八十七人と、信じられない数であったが、赤松を追い払えただけで十分だった。
戦場を離れた官兵衛は、己の製薬工場へと向かった。
己の製薬工場を訪れた官兵衛は、働いてくれている者たちをねぎらった。
「おお、皆、元気そうで何よりだ」
そんな中、官兵衛は家臣の竹森新右衛門に呼び出された。
「おお、新右衛門。良いところに来た。昨日川に仕掛けた罠にどれだけの魚がかかっているか見に行きたくてな。供を探していたところだ」
「喜んで」
川に到着した官兵衛は、草鞋のまま川の中に入っていった。
「殿、そのようなこと、私が」
竹森新右衛門が官兵衛に駆け寄ったが、官兵衛は止めた。
「仕掛けた罠など、結果を見るのが醍醐味であろう。儂の楽しみを奪うでないわ」
官兵衛は笑いながら竹森新右衛門を制した。
官兵衛は罠の重さに目を丸くし、踏ん張りながら、竹森新右衛門に命じた。
「新右衛門、これは大漁ぞ。岸に葉を敷いてくれ」
「はっ」
竹森新右衛門は、飛び跳ねる魚を抑えながら官兵衛に問うた。
「殿、一つお話があるのですが、よろしいでしょうか」
「何じゃ、申せ」
「武田家が織田家に大敗されたとの由」
この知らせを聞いた瞬間、官兵衛に百雷が落ちた。少なくとも、戦国最強と言われている武田の騎馬隊である。戦国最弱と陰口を叩かれている織田の軍に負けるなど、まずあり得なかった。
しかも、武田信玄に鍛えられた騎馬隊である。既に信玄が死んでいるとはいえ、その息子の勝頼も、武名は父に負けるとも劣っていなかった。
武田勝頼は、長年信玄が攻め落とせなかった高天神城を、当主となってすぐに襲い、手に入れていた。
だが、そんな武田騎馬隊にも弱いところはあった。城攻めである。そのため、官兵衛は、今回の織田家の戦いは籠城戦だと考えた。
「戦場はどこじゃ」
「設楽ヶ原と聞いておりまする」
「原・・・・・・名前からすれば平地のようだの。だが、平地で武田が負けるはずがない」
「ですが、被害は甚大と聞いておりまする」
「では、馬場に山縣、甘利を始めとした、それこそ一国の主となってもおかしくないような者たちはどうしたのだ」
「はっ。枕を並べて討ち死にされた由」
「そうか、鉄砲だな。馬に勝つにはそれしか無いか・・・・・・。だが、鉄砲は撃ったら次の弾を撃つまでに時間がかかる。その間に、一発目の当たらなかった者たちが、鉄砲隊を蹂躙するぞ」
「織田方は、三千の鉄砲を揃えられたとの由」
「三千もか」
官兵衛は驚いた。黒田家の鉄砲をかき集めても十挺程しかない。主君である小寺家の鉄砲も百挺が限界である。
「どれほどの金満家なのだ、織田家は」
三万の兵を一つの戦に雇うだけでも金がかかるというのに、その三万人分の兵糧、三万人に与える刀や槍、弓などの武器の代金がかさむ。そこに鉄砲三千挺分の金額がかかってくるのだ。莫大な金額がかかるのは小規模な戦しか体験していない官兵衛にもわかることであった。
官兵衛は、飛び跳ねて逃げていく魚に目もくれず、ただただそこに棒立ちしていた。
この戦から織田家に興味を持った官兵衛は、摂津国の領主である荒木村重の有岡城に出向いた。
「荒木摂津守殿にお会いしたい」
そう言うと、門兵は門を通した。
天守閣に入った官兵衛は、荒木村重に会い、少しばかり会談した。
「荒木摂津守殿でござるな」
「如何にも。まさか、黒田官兵衛殿でござるか」
「そうでございます」
「いやいや、姫路での戦い方を見るに、どれほど高齢のお方かと思うておりましたが、これほどお若いとは頼もしい」
こんな会話はすぐに終わり、話は本題へと移った。
「して、従ってくれるか。小寺殿は」
官兵衛が少し状況を話すと、荒木村重はすぐに理解した。
「なるほど。織田家に仕えたいというのは黒田殿の一存であって、小寺殿の考えではないというのだな」
荒木村重が信長に仕えたときも官兵衛と同じ境遇であった。荒木村重は元々、三好家に降り、摂津で勢力を張っていた池田勝正の家臣であった。
三好家当主である三好長慶が死去すると、三好家は三つの勢力に分裂した。
そのまま三好家に留まる者、他家に寝返る者、この勢いで独立する者であった。
池田勝正は三好家に留まった。池田勝正は、大和国周辺で勢力を誇っていて、三好家から独立した松永久秀を相手に、三好三人衆と手を組んで戦った。
そこに、信長が足利義昭を奉じて上洛するとの知らせが入った。それと同時に、松永久秀が信長に降ったという知らせも入った。
途端に摂津は反信長で一致した。
これではまずいと、荒木村重は信長に話をつけ、仮に抵抗しても、降伏を許すことを約束した。
荒木村重の予想通り、池田勝正は、池田城に籠もり抵抗したが、信長の軍に城下を焼かれ降伏、織田家の家臣となった。
荒木村重は、池田勝正が領主であった摂津国一国の支配を信長から許された。
荒木村重がこう話すと、官兵衛は呆れたように愚痴をこぼした。
「私は知っておるのです。いつまでも織田家と毛利家の両天秤。私がいなくなれば、小河三河守ら毛利に近い宿老を招いて密談にふける。それなのに、私が姫路に出向いて軍議に出席するとなれば病気と偽り会おうとしない」
荒木村重は官兵衛が言い終わるとすぐにこう言った。
「ならば、羽柴秀吉殿に会われよ。筑前殿であれば、降伏しようとも、しなくとも、なんとかしてくれるやもしれぬ」
「かたじけなし」
荒木村重から進言を受けた官兵衛は、すぐに秀吉の本拠地である長浜城に出向いた。
秀吉の噂は、播磨にいたときに耳に入っていた。最初は織田家の草履取りから始まり、桶狭間の戦いなど、織田家の数々の戦で戦功を立て、今や一国一城の主という、下剋上をその身で見せた男である。
長浜城に着いた官兵衛は、すぐに秀吉に会いたがった。
「黒田官兵衛孝高にござる」
こう言うと、門兵が中に行った。
長浜城を見上げて、官兵衛は目を見張った。家臣がもらう城でこれほどなのだ。信長の本拠の城はどれほどだろうと考えている間に、城門から背丈のあまりない男が現れた。
「失礼だが、貴殿は・・・・・・」
「ああ、申し遅れたの。筑前じゃ」
官兵衛は、秀吉の行動に目を疑った。普通、城主が客人を、ましてや、自分と同等、それ以下の者を自らで迎えることなどありえないことであった。
秀吉に誘導された官兵衛は、後をついていった。
「本当の入口はあっちの城門なのじゃが、こっちの台所口のほうが近道なんじゃ」
台所口へ入ると、そこに一人の女性が台所仕事をやっていた。
その女性は、秀吉と官兵衛の存在に気付くと、こう言った。
「まあ、客人かえ。知らない顔じゃが、どなた様だがや」
「ねね、前に言ったろう。姫路には恐ろしい龍が一匹寝ておると。その官兵衛じゃ」
「まあ、本当かえ。顔も知らなかったわ」
「そうじゃろう、そうじゃろう。じゃが、実は儂も知らぬ」
秀吉が呵呵と笑った。
「相変わらずええ加減じゃの。官兵衛殿。ゆっくりして行きなはれや」
そう言って、ねねが秀吉と官兵衛に白湯を差し出した。
ねねが去ると、秀吉が官兵衛の耳元で囁いた。
「美しいじゃろう。まあ、あのかしましいのが儂の妻じゃ」
「秀吉様、かしましいのはあんさんではないかい」
「・・・・・・」
秀吉は図星をつかれたようであった。
官兵衛は驚いた。城主の妻が台所仕事をやる。ありえないことであった。官兵衛のもとに嫁いだ櫛橋甲斐守の娘は、台所仕事どころか、針仕事一つやったことがなかった。
「百姓の娘じゃからの。何でもやらにゃあ気がすまぬのじゃ」
少し前の図星を隠すように、秀吉が笑いながら言った。
しかも、官兵衛が驚いたのはそれだけではなかった。粗末な服と適当にまとめた髪でこれほどなのだ。良い服を着せ、それなりの化粧をさせれば、京でも稀に見る美人であると、官兵衛は感じた。
「あ、本題を忘れておったな。天守閣に参るぞ」
天守閣に入り、小寺の話に入った。
「改めまして、小寺政職が家臣、黒田勘解由次官官兵衛孝高にござる」
「ああ、そうかしこまるでない。上様の前でないでな。して、従ってくれるか、小寺殿は」
「それが・・・・・・」
官兵衛は、今の小寺家がどういう状況なのかを説明した。
話し終わると、秀吉が口を開いた。
「小寺のことは良い。それよりも官兵衛、お主のことだ。播磨の三分の一を治めているとはいえ、武田に比べたらひとたまりもない。それこそ、三千の鉄砲と兵を繰り出せば簡単に落ちる」
秀吉は淡々と語った。
「じゃがの。治世をしていくには人が必要じゃ。如何に戦が強うても、統治力がなければ上様の天下統一後は仕事はあるまい」
そして、秀吉は続けた。
「儂が播磨から西をできるだけ調べて、ほしいと思うたのは三人だけじゃ」
「三人・・・・・・」
「毛利両川の一人として甥である毛利輝元を補佐している小早川隆景、備前の梟雄宇喜多直家、そしてお主、黒田官兵衛じゃ」
「私が・・・・・・」
官兵衛は正直驚いていた。己以外に挙げられた二人はどちらとも小寺家と同等、いや、それ以上の勢力を誇っていた。それと並んで挙げられたことは己にとって名誉であった。
「儂はの、小早川や宇喜多は最悪どうでも良い。それよりも官兵衛、儂は一番、そなたがほしい」
「誠でございますか・・・・・・」
毛利両川の小早川、備前の宇喜多よりも、自分が上に行ったことを気づき、これが小河三河守ら宿老に伝わったら、と危惧した。
そして、話は急に展開した。
「そうじゃ、信長様に会おうぞ」
官兵衛は、ねねから受け取った白湯を吹き出し、詫びた。
「構わぬ、構わぬ。それよりも、本当に信長様と会わないか。信長様は面倒なことがお嫌いなお方じゃ。和睦の条件の良し悪しも、いちいち確認していては時間が足りぬ、と叱責を受けたほどじゃ。さ、善は急げ。参りますぞ」
急な話の展開に、官兵衛はついていけなかった。
長浜から岐阜まで、馬を走らせて向かうこととなった。
官兵衛は、その間の道に注目した。
「どうした、官兵衛。この道のことか」
「はっ」
官兵衛は、馬上の揺れで舌を噛まないよう、短く返事をした。
「そうじゃ。信長様からの石ころ一つ残すな、との命じゃ」
「これも信長様が・・・・・・」
「他にも、関所の通行税をなくした」
「なんと。では、収入源は・・・・・・」
「ああ。皆不思議がるのじゃ。なぜ通行税をなくしたのかをな。通行税をなくせば、確かに、入ってくる金は減った。だがな、通行税をなくせば、商人たちは通行税がある関所より、ない関所を通る。そうすれば、商人たちが城下で物を売る。その物を領民が買う。こうして、目に見えぬ収益が何倍にも増えたのじゃ。しかも、城下に物が揃えば、良い物を選ぶことができる。そうして、強い武器を入手して、織田家全体が強くなる」
官兵衛は、そこまで考えている信長に感嘆した。
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