第三章 馬が合う同僚

 浦宗勝を撃退した官兵衛は、信長の命令通り、秀吉の与力となった。

 秀吉は、官兵衛が羽柴本陣に入ると、すぐにある者を呼び寄せ紹介した。

「半兵衛は、聞いたことはあるじゃろうが、会うのは初めてじゃの。この者が、姫路の黒田官兵衛じゃ」

「竹中半兵衛重治にございます」

「黒田勘解由次官官兵衛孝高にござる」

 二人は挨拶を交わすと、すぐに軍議へと入った。

 秀吉は床几に座り、官兵衛と竹中半兵衛に問うた。

「儂は上様から播磨攻略を命じられておる。攻略のため、次は福原城か上月城を攻めるべきじゃと思うのじゃが、どう思うかの。」

「福原城から上月城と攻めれば良いと思われまする」

 官兵衛と竹中半兵衛が声を揃えて言った。

「二人がそういうのであれば間違いはないであろう。詳細は任せる」

 そう言うと、秀吉はごろんと横になった。

「では、別の場所にて、お話しましょうか」

 竹中半兵衛は天文十三年(一五四四)生まれの三十二歳、官兵衛よりも二歳年長であった。

 竹中半兵衛は、初め斎藤義龍に仕え、菩提山城主となり、斎藤義龍が死ぬと、その子、龍興と折りが合わず、わずか十七人で稲葉山城を攻め落とし、近江で隠遁生活を送っていた。

 そこに秀吉が三度尋ね、織田家の家臣となった。

 竹中半兵衛は福原城周辺の簡単な地図を描くと、口を開いた。

「ここが福原の城、街道はこのように」

「これでは、力押しは難しいですな」

「左様。されば、敵の士気をくじくほかありませぬ」

「囲師必闕」

 二人が声を揃えて言った。

「いいや、さすが」

「さすがでござる」

 囲師必闕とは、孫子の兵法が一つである。

 鼠の出入りすることのできないほどに隙間を塞いでしまうと、敵は死に物狂いになって抵抗してくる。だが、一方が開いていれば、兵は逃げることができると考え、命惜しさに逃げ出すというものであった。

「では、開けるのは南かな」

「が、よろしいかと」

 二人の間で意見は一致した。

 それに秀吉も了承し、出陣が決まった。

 秀吉と官兵衛と竹中半兵衛が話し合い、夜襲にすることを決めた。

「放てええええええ」

 秀吉が命令すると、鉄砲隊が一斉射撃した。鉄砲の轟音は、夜の静寂を裂いた。

 福原城にいた兵たちは、夜襲に備えてはいたが、現実になるとは思っていなかった。

 夜襲は、彼我の戦力差を間違えやすい。福原城の兵士には織田の兵が万いるように見えた。

「織田の夜襲だ」

 現実になると思っていなかったのだ。当然、城内は混乱に陥った。

 そして、城の南側を守っていた兵士が、あることに気がついた。

「見ろ、南には兵がいないぞ」

 南にだけ松明が灯っていなかった。

 逃げられると考えた兵士たちは武器や鎧を捨てて逃げ出した。

「逃げるな」

 城主の福原則尚の家臣である祖父江左衛門が兵の逃亡を防ぐために、逃げ出した兵の一人を斬った。だが、これが逆効果となった。

「うぎゃあああ」

 仲間の断末魔ほど、城兵の不安を煽るものはない。

「織田の兵か」

「もう、城門が破られたのか」

 城兵の不安は絶望へと変わっていった。

 この状況を招いた張本人である祖父江左衛門が焦る兵たちを諌めた。

「落ち着け。城門はまだ破られておらぬ」

 だが、祖父江左衛門の声など、城兵たちには届いていなかった。

「城はくれてやらぬ」

 城主の福原則尚が城に火をかけ、祖父江左衛門とともに逃走した。

 それを見て、官兵衛は呆れた。

「城をくれてやりたくないと考えたのであろうが、火をかけたことで己の姿を浮かび上がらせることに気づいておらぬ。生きてさえいれば、いつかは落城の恥をなくすこともできように」

 そう考えた官兵衛は、福原則尚は秀吉に従わないであろうと考えた。そして、秀吉に許可ををもらい、福原則尚と祖父江左衛門に突撃した。二人は奮戦したが、ついに首を取られた。

 そして、上月十郎景定が籠もる上月城を、福原城の戦いで残った兵で攻撃した。

 だが、官兵衛には、上月城の他に心配事があった。織田家への人質のことである。

 少なくとも、小寺政職は織田家には人質を出さないことわわかっていた。小寺政職がそう言っていたからであった。

「儂の子、氏職は生まれつきで言語が不明瞭じゃ。とても信長殿にお仕えする身としてお役に立てるかどうか。それこそ、気が利かん、と手打ちにされる可能性だってある。官兵衛、小寺の家だけは特別な扱いにしては貰えぬであろうか」

 だが、信長が小寺ごときを特別扱いするはずがなかった。

 それを理解した官兵衛は、己の子、松寿丸を人質に出すことを決意した。官兵衛は秀吉に起請文を提出し、松寿丸は織田家の人質となった。

 人質は自由の身ではないことが多い。官兵衛は松寿丸の身を案じたが、秀吉の妻のねねが子供がいないため、実子のように可愛がっていると聞き、官兵衛は安堵した。

 官兵衛が一大決意をした一方、上月城はなかなか落ちなかった。

「半兵衛。官兵衛は今どうなっている」

「わかりませぬ」

「早う落とさねば」

 秀吉が不安になっている中、官兵衛は上月城の秀吉の陣に帰参した。

「黒田官兵衛、只今戻りましてございまする」

「官兵衛。よう帰って来てくれた」

「官兵衛殿、お帰りなさいませ」

 官兵衛が帰ってきたことに歓喜した秀吉は、すぐに話を本題へと移した。

「半兵衛、官兵衛。この上月城、なかなか落ちぬのだ。なにか良い策はないか」

 官兵衛が挙手した。

「秀吉様、まず、兵の結束を固くすることこそ肝要かと」

「そうじゃの・・・・・・官兵衛になにか嫉妬しているという重棟を呼べ」

 重棟とは、別所重棟のことである。別所重棟は、別所長治の名代として中国地方征伐に動いていた羽柴秀吉の元へ派遣されていた。

「なんでございましょう」

「官兵衛の子、松寿丸は別所重棟の娘と婚姻関係を結ぶこととする。これより、お主らは互いのことを義兄弟と思え。仲間同士で嫉妬しあっていては軍はまとまらぬ。この城が落ちぬのも当然じゃ」

 先に頭を下げたのは官兵衛であった。

「お頼み申し上げまする」

「おう」

 そして、竹中半兵衛と官兵衛の策で攻めてみることとした。

 まず、別所重棟が上月城の門を守っていた兵を攻撃、見事壊滅させた。

 そのまま別所重棟が攻撃していくと、門から大勢の兵が突撃してきた。

 上月景貞は、打って出ることを選んだのだ。

 打って出てくることを想定していなかった別所重棟は、一隊が崩れた。

 そのまま義兄弟を見捨てるわけには行かない。官兵衛は別所重棟を助けるため、兵を差し向けた。

 だが、官兵衛が手助けに行っても少し劣勢であった。

「官兵衛殿を死なせるな」

 山の麓に控えていた竹中半兵衛が叫んだ。

 鉄砲隊を率いていた竹中半兵衛は兵たちに命令し、その場所で轟音が鳴り響いた。

 轟音が消えた頃には、上月城の兵の屍が重なっていた。

 城内では、上月景貞が呟いていた。

「宇喜多殿の援軍はどうなっておるのだ。まさか、見捨てられたわけではあるまいな」

 上月景貞の不安は、城兵の不安を煽った。

 上月景貞が死ぬのを惜しんだ官兵衛が、上月城に降伏の遣いを派遣した。

「拙者と貴殿は姻戚でござれば、決して悪いようにはいたしませぬ」

 上月景貞と官兵衛は姻戚であった。櫛橋甲斐守の娘を、上月景貞が姉を、官兵衛が妹を、と相婿の関係であった。

 だが、上月景貞は官兵衛の誘いを断った。

「お心遣いかたじけなし。されど、儂は城を枕に討ち死にしようとも悔いはありませぬ」

 翌日、上月景貞は家臣、城兵の裏切りを受けて殺された。

「上月景貞の首を持参いたしました故、何卒我らを秀吉様のご麾下に」

 上月景貞の重臣が、上月景貞の首を持参し、降伏を申し入れてきた。

 だが、秀吉はそれを許さなかった。

「主君を説得してここに連れてくるならまだしも、重代の恩ある主君を、しかも闇討ちに等しい真似をいたした。そのような者たちを家臣にしたとあらば織田家の声望が地に墜ちるわ。この人でなし共の始末をいたせ」

 処分を決定した秀吉はこう呟いた。

「武士の風上にも置けぬ者共の末路を見せてくれるわ」

 この重臣たちは、山名家の領地との境でそれぞれ首をはねた。

「従うなら今のうちということか」

 宇喜多直家は、秀吉の真意を理解していた。

「ご無念でござったな」

 上月景貞の妻子を引き取った官兵衛は、妻子に向かって話しかけた。

 だが、そのようなときに秀吉の陣に激震が走った。

「何!?三木城の別所長治殿が毛利家に寝返ったと!?」

 三木城は小寺政職の御着城と並んで、中国征伐に重要であった。いや、欠かせないものであった。

 その三木城が寝返ったのだ。その影響は色々な城に移り、三木城周辺で織田家にとどまった城は糟屋武則の加古川城と、別所重棟の阿閉城であった。

 特に別所重棟の阿閉城は裏切りを危惧されたが、今回は、別所長治の裏切りを良しとせず、織田家に残った。

 だが、別所長治にとってあまり重要な拠点ではなかったのだろう。その城には、五百ほどの兵しか詰められていなかった。そのため、義兄弟を助けに行って参れと官兵衛は阿閉城の援軍に命じられた。

 援軍として阿閉城に到着した官兵衛は、別所重棟に会った。

「おお、官兵衛殿。お心強うござる。まさに官兵衛殿は神の如き頭脳をお持ちである。ここの城の兵の命は預けましたぞ。いや、拙者の命もでござる」

 別所重棟の官兵衛への待遇は、とても、嫉妬していたとは思えないほど良かった。

 阿閉城を取り囲むのは、毛利家の兵士である。毛利家と言っても、宇喜多直家と紀伊や淡路の軍であった。

 言ってしまえば烏合の衆である。調略をもってすればどうにかなる状況であった。

 その頃、毛利軍では大将たちが兵たちを煽っていた。

「この戦で黒田官兵衛と別所重棟の首を持参したものはお咎めなしで好きな褒賞をくれてやる」

「好きな褒賞」

「お咎めなしか」

 毛利軍の兵たちに血が昇った。

 戦場に駆り出されている兵たちの目当ては金と女である。好きな褒賞が与えられて略奪し放題となれば、そうなるのも当然であった。

 阿閉城では、軍議が行われていた。

「この城が要害でないことが幸いしている。敵は大軍と油断して、鉄砲から身を護る盾すらも持ってこないだろう。我らは城門まで兵たちをひきつけ、絶対に外さない距離まで来たら、一気に鉄砲の釣瓶撃ちを仕掛けよ。鉄砲が下手な者や、当てられる自信のない者は礫を投げよ。儂は状況を見ながら、勝機を感じたら合図を出す。儂からの合図で一斉に城門から打って出よ。敵を崩すことができよう。どうでござるか、重棟殿」

「いやあ、まさに神どころか鬼神でござるな。非の打ち所のない策でござる」

 その後、毛利軍は攻撃を仕掛けてきた。

「まだ撃つな。十分に引きつけよ」

 官兵衛が、焦れる兵たちを諌めた。

 毛利の兵たちが丸太を持ち城門に突撃し始めた。

「よし、放てええええええっ!」

 鉄砲の釣瓶打ちにより、毛利軍は死屍累々。それでも、褒賞に目のくらんだ兵たちは必死に攻撃を仕掛けてきた。

 鉄砲の釣瓶撃ちをしてる間に、官兵衛は一瞬の勝機を感じた。毛利軍の動きが一瞬、鈍ったのだ。

「行けええええええ!」

 官兵衛が合図をすると、別所重棟隊が、城門の裏から突撃した。

「官兵衛殿の名に泥を塗るでないぞ」

 そう叫び、別所重棟隊が城門から打って出た。必死に戦い、毛利軍は屍の山を築いた。

 そのような紀伊や淡路の軍の様子を見て、後詰めとしてきている宇喜多直家は、潰走してくる兵たちの受け入れを命令した。

 潰走する兵ほど脆いものはない。それらの兵は簡単に蹂躙された。

 追っていくうちに、宇喜多直家が兵たちの受け入れをしているのを見て、別所重棟は兵たちを諌めた。

「止まれ。一旦退くぞ」

 勢いに乗っていても、数では一桁違うのである。無駄に攻撃を仕掛けて、兵を失うわけにはいかなかった。

「官兵衛殿。相手は潰走いたしましたぞ」

「そうでございましたか。では、私はある者に会ってまいりまする」

「どこに行くのですか」

「この密談が成功すれば、毛利の顔が歪むであろうよ」

 別所重棟は、官兵衛がどこに行くのかをだいたい悟った。

 宇喜多直家の陣では、次の戦に備えての軍議が行われていた。

「直家様。客人が参りました。」

「来たか」

 宇喜多直家は立ち上がって客人を迎えに行った。

「誰が来たのでございますか」

「実は、儂も会ったことはない。いや、名前だけは聞いたことはあるかの。黒田官兵衛じゃ」

「何っ」

 家臣が刀の柄に手をかけた。官兵衛には何度も苦汁をなめさせられたのだ。当然の反応であった。

「刀に手をかけるな。黒田官兵衛は儂が待っておったのじゃ。言わば儂の客ぞ。その客に手を出すことは儂が許さぬ」

「無礼をいたしました」

 家臣たちが詫びた。

 官兵衛が到着すると、話はすぐに始まった。

「負け知らずの黒田殿と聞いておりました故、どれほど老齢の方が来られるかと思っておりましたが、いや、実にお若い」

「主君を追放し領主となった大悪人と聞いておりました故、どれほど悪相の方かと思うておりましたが、なんの変わりもありませぬな」

 宇喜多直家の挑発を、官兵衛は同じように返した。

 見つめ合った二人は笑いあった。

「いやあ、肚の座ったお方じゃ。ここでは貴殿と儂は敵味方。しかも、儂は鎧をまとっていて、家臣もおる。それに比べ、官兵衛殿は鎧一つまとっておらぬ平服、しかも一人。それであるのによくぞ儂の事を大悪人と」

「阿閉の城で討死するも、ここで暗殺されるも、さして変わりはございますまい」

「よう申される。だが、その通りでござるな」

 このように始まった話は、すぐに本題へと移った。

「織田殿はそれほど良いか」

「ああ、お味方に居ってあれほど頼もしいお方はいない」

「そうか」

「だが、決して敵をお許しにならぬ」

「・・・・・・」

 少し考える様子を見せた宇喜多直家は、こう呟いた。

「兵を退くぞ」

「ありがたき幸せにございます」

「貴殿のためではない。兵たちのためだ。そろそろ兵糧が尽きる寸前なのでな」

 渡海しなければならない帰り道のため、官兵衛は宇喜多直家の身を案じた。

「帰り道、お気をつけて」

 少し進んで振り向いた宇喜多直家はこう言った。

「人はの、死ぬときは死ぬのだ。それはあがいても変わらぬ。それを天命と思い、受け入れるしかないのだ」

 そして、山を降りながら宇喜多直家は官兵衛に話しかけるように言った。

「それは御上であろうと百姓であろうと変わることない事実よ」

 こうして、宇喜多直家は阿閉から兵を退いた。

 そのころ、官兵衛には相孫に当たり、別所長治に呼応して毛利家に寝返った明石城の明石左近が不信感を抱いた。

「阿閉の城はどうなっておるのだ」

「はっ。まだ落ちておらぬと」

 重臣が答えた。

「馬鹿を申すでない。あの程度の小城一つに何日かければ良いと」

 明石左近は当たり散らしたが、どうにもならなかった。

 明石左近が連子窓に近づき、阿閉城の方角を見ると、そこはもぬけの空であった。

「馬鹿な」

 道理で阿閉城は落ちていないわけだ、と明石左近は諦めた。

「見捨てられたか」

 翌日、明石左近は官兵衛の知人で高砂城主である梶原景行とともに秀吉に降伏した。

 明石左近と梶原景行は秀吉に面会、その後に官兵衛に呼び出された。

「小領主故、戦によって主を変えるは習い性なれど、天下が信長様のもとに集まろうとしている今、帰趨を明らかにしない者は敵と見なしまする。次にこのようなことがあれば、そのときは儂が直々に貴殿らの首を取りに行きます故、腹をくくってもらいとうござる。では、これにて。儂は三木の城を攻めねばなりませぬ故」

 こう言い残すと、三木城攻略のための軍議にと官兵衛はその場を去った。

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