第八章 鬼と猿の戦い・本戦

 してやったりとした表情で秀吉が官兵衛の元に戻ってきた。

「どうでございましたか?」

 先に口を開いたのは官兵衛であった。

「ああ、長浜城の城主は柴田勝豊殿になった」

「ということは・・・」

「ああ、柴田勝家に近江長浜は奪われてしもうたわ」

 秀吉は官兵衛に笑いながら告げた。

「よくぞ長浜を割譲なさいました」

 少しばかり秀吉の領地が減ることは想定していた官兵衛であったが、流石に長浜を譲るとまでは思っていなかった。

 官兵衛は、秀吉の心の広さに感服した。だが、秀吉がただ譲るとはとても思えなかった。官兵衛は、秀吉に長浜割譲の理由を聞くことにした。

「何故に」

「三法師様を養育するには北ノ庄城では遠すぎる、と」

「それはただの言い訳で、実情は殿の力を削ごうとするものかと」

「ああ、そのくらい儂でもわかる。だが、困るのはそれにどう対処するかよな」

「戦しかございますまい」

「何故じゃ?」

「柴田勝家は、神戸信孝を擁立するものかと思われまする」

「だからといってどうするのだ。それでは美濃国一国は鬼柴田の手中に落ちたと言っても過言ではないではないか」

「敵の敵は味方。柴田勝家が神戸信孝を擁立するならこちらは北畠信雄様を援護するがよろしいかと」

「確かに、信雄様と信孝様は仲が悪いからな」

 実を言うと、三男である神戸信孝のほうが次男である北畠信雄より年長である。だが、母の身分の問題で北畠信雄のほうが次男とされた。これに怒って、神戸信孝は北畠信雄を敵視している。そのうちに、それが相手である北畠信雄にも移り、見る見るうちに犬猿の仲になっていった。

 今でも、互いに敵大名であれば直ぐに小競り合いに入るだろうと言う程に仲が悪いのだ。対抗策としてはうってつけであった。

「そして、殿」

「何じゃ?」

「柴田勝豊殿を調略なさいませ」

「鬼柴田の養子をか?無理があるじゃろう」

「無理も何もございません。何しろ、柴田勝家と勝豊殿の仲はあまり良くないと織田家の中でも有名でございまする。寝返るために、秀吉様の領地から少し割譲することを約束なされませ」

「十二万石を超えるものをか?」

「いえ、十二万石に多少足されれば良いのです。さすれば、勝豊殿はすぐにでも内応に乗ってくるものかと思われまする」

「なるほどの」

「しかし、柴田勝家に怪しまれないよう、形だけは抵抗を見せてから降伏するようにとお伝え下さい」

「確かに、事前に知られてしまえば意味がないからな。わかった」

「また、柴田勝豊に金をお送りください。理由は、何でもよろしいのです。柴田勝家に賄賂ということがばれなければ。例えば、長浜城の補修普請の費用とでも申して」

 長浜城に来た秀吉の使いを、柴田勝豊はこれ以上ないほどに優遇し、秀吉の内応の話をすぐに飲んだ。

 長浜城に秀吉の使いが入ったという知らせは、柴田勝家を苛立たせた。

「ええい、勝豊も何故秀吉なんぞの使いを通したのだ!」

「はっ。父上への伝言かと思いましてございまする」

「それならば北ノ庄城に来るべきであろう!して、秀吉の使いは何をしに来たのじゃ?」

「義父上を裏切れと」

「何じゃと!?勝豊、まさかその条件、飲んだのではあるまいな?」

「はっ、勿論でございまする」

「それなら良い。おい、誰か!」

「はっ!」

 近くに居た近習が返事をした。

「前田利家を秀吉の元へ送れ」

「よろしいので?」

「あいつと秀吉の仲を儂が確かめる。利家と共に不破勝光と金森長近を連れて行け」

「はっ!」

 だが、柴田勝家への返事は柴田勝家本人の予想通りであった。

「そうか。密談などは何一つしておらなかったか」

 柴田勝家はほくそ笑んだ。

 だが実際は、秀吉が不破勝光と金森長近を調略し、前田利家とは不戦とすることを決めていた。ただ単に調略された二人が、そのことを柴田勝家に黙っていただけであった。

「北国の雪が溶けるまでに秀吉めが何をするかだな」

 その頃、神戸信孝が三法師を養育するのは叔父である己の役目であると三法師を岐阜城に入れた。だが、実態は拉致監禁に近い状態であった。

「神戸信孝、例え上様のお血筋と言っても許せぬ!岐阜城を攻め落とす!」

 秀吉が熱り立ち、岐阜城攻略を命令した。

 だが、官兵衛のみ、秀吉のこの命令に何か裏があることを見抜いた。秀吉の行動が自然なものではなかったからである。

「殿。これには何か裏があるのではないですか?」

「おお、そうじゃ。見せてやるのじゃ!北国に籠もって中国大返しを見れなかった奴に儂の十八番の大返しをな」

「はっ!」

 岐阜城が攻められたと知ると、柴田勝家は雪掻きをしながら出陣したという知らせが届いた。いよいよ、戦の始まりである。

「よし、岐阜城を攻めるのはこれまでじゃ!迫る勝家を叩く!」

 柴田勝家は、佐久間盛政、前田利家、柴田勝政、不破勝光、金森長近ら諸将を率いて今、北ノ庄と長浜のちょうど中間地点に到着したという知らせが届いた。

「よし、今こそ大返しをあの鬼柴田に見せるときぞ!長浜に向かうぞ!」

 こう言うと、鬨もあげずに秀吉は、長浜城の方面に戻っていった。

 秀吉が長浜城に攻めかかると、柴田勝豊が待っていましたとでもいうように、少しばかり籠城して、一日も経たぬうちに降伏した。

 秀吉は、これまで通り柴田勝豊を長浜城主とし、長浜城から少し進んだところで進軍を止めた。

「殿、何故に進軍を止めるのでございますか?」

 最近寺にて羽柴家臣に勧誘されたという石田佐吉が尋ねた。

「待ち構えたほうが戦は有利でござる。しかも、戦というものは、戦場のことをより多く把握した者の勝ち。戦は勝ってからするものでござるぞ。佐吉殿、このことをよく頭に刻んでおきなされ」

「はっ」

 秀吉が言う前に官兵衛が石田佐吉に告げた。

 そのうちに、柴田勝家が進軍してきた。進軍してきたと同時に、総攻撃を仕掛けてきた。

 秀吉が予め砦に配置しておいた中川清秀の方に全軍が向かっていくのが見えた。

「まずい」

 秀吉が焦りを見せた。

 中川清秀は織田家の中で有力な猛将である。それを助けもせずに死なせたとあっては、羽柴秀吉の声望が地に落ちるかもしれなかった。

「お市!お虎!清秀を助けてやってくれ!」

「言われなくとも!」

 柴田軍攻撃の命令を受けたのは、秀吉の従兄弟である福島市松正則と、秀吉の再従兄弟である加藤虎之助清正である。

 二人共羽柴家の武将の中で物凄く強い中で一、二を争う関係であった。

 二人で成長していったため、羽柴家の諸将からは「無二の二人」と称賛されるほどであった。

 二人の攻撃で、中川清秀を討ち死にさせてしまったものの、柴田軍に大損害を与えることが出来た。

 柴田勝家は猛将で知られている佐久間盛政を中川清秀の守っていた砦に配置すると、少し軍を退いた。

「殿、好機でございまする」

 官兵衛は秀吉に進言した。

「何がじゃ」

「折角佐久間盛政が孤立してくれたのです。夜のうちに幾重にも包囲するが宜しいかと」

「逃げ道をなくすか」

「我らが中川清秀殿をやられたのです。同じことを佐久間盛政にやり返してやりましょう」

「なるほどの」

「そのため、柴田軍の他の諸将に知られてはなりませぬ。この地が闇と化してから音を立てぬように近づき、包囲なされよ」

「分かった」

 秀吉は官兵衛の意見を了承した。

 柴田勝家が一向に動く気配を見せぬまま、夜になっていった。

 秀吉が諸将を召集し、こう説明した。

「良いか、皆の者。今から佐久間盛政に夜襲をかける。良いか、柴田勝家ら、特に佐久間盛政に知られてはならぬ。決して鬨の声をあげるな。大声をあげると敵に気付かれる。そして、佐久間が油断している間に幾重にも包囲する布陣を作る。こうして、佐久間に逃げ道をなくす。この夜襲は中川殿の弔い合戦。負けは許されぬぞ。そして、配置を完璧にし、篝火を焚いてから鬨の声をあげよ。整った軍備であることを佐久間盛政に見せつけ、相手を動揺させるのじゃ」

 秀吉は、官兵衛が諸将の後ろで掲げる紙に書いてあることを、あたかも己の策のように読み上げた。

「はっ!」

 官兵衛の存在に気付くことなく、諸将は了承した。

「柴田がどう出るかよな」

 佐久間隊壊滅の知らせが届くとき、柴田勝家がどう反応するかを秀吉は考えた。

「戦勝気分に浸っておるあの顔が歪むのが楽しみじゃな」

 秀吉はほくそ笑んだ。

 夜のうちに幾重にも取り囲み、秀吉は総攻撃を諸将に命じた。

「よし、皆の者!かかれええええ」

 福島市松正則、加藤虎之助清正、加藤左馬助嘉明、脇坂甚内安治、平野権平長泰、糟屋助右衛門武則、片桐助佐且元が突撃を仕掛けた。

 佐久間盛政は混乱し、がさつに兵たちに迎撃命令を出した。

 だが、これが仇となった。中川清秀の仇と必死に突撃を繰り出してくる羽柴軍を前に、兵たちが一目散に逃げ出したのだ。

「逃げるな!」

 佐久間盛政がそばに居た足軽を斬り殺した。これもこれで逆効果だった。

「ぎゃあああ」

「羽柴か」

「先鋒が破られたのか!?」

 仲間の断末魔ほど不安を煽るものはない。佐久間隊の兵がどんどんと減っていった。

 佐久間盛政は突撃の中で突進してきた丹羽長秀に兜を掴まれ、少しの間引き回され、兜の緒で絞首されているような状態で捕まり、少し経った時点で気絶してしまった。

 佐久間盛政に対する秀吉の判断は苛烈であった。

「佐久間玄蕃盛政に死罪を言い渡す」

 秀吉は佐久間盛政に近づいていった。

「場をわきまえて、いたせ」

 この言葉は、場所をわきまえて切腹をしろ、というときの信長の口癖であった。

 佐久間盛政は歯ぎしりをして言い返した。

「名誉である切腹を、しかも拙者を負かした相手に言い渡されるとは、この佐久間玄蕃盛政も落ちぶれたものよの。羽柴筑前守秀吉殿。某に切腹をする名誉などありませぬ。打首を所望いたしたい」

 秀吉は渋々佐久間盛政の条件を飲んだ。佐久間盛政は山城国宇治にて斬首刑が決行された。猛将と謳われた武将の最期であった。

「よし、そろそろじゃな」

 秀吉は軍配を振り上げると、前田家の軍旗が整然と街道を進んでいくのが見えた。

 柴田勝家の恩義、秀吉との友誼の板挟みにあった前田利家はどちらとも戦わぬことを選んだ。

「殿」

 官兵衛は秀吉に質問をしようとした。

「又左のことじゃろ」

 秀吉は前田利家のことを通称で呼んだ。秀吉は官兵衛の質問を察していた。

「はい。戦に来ておきながら味方を援助せずに帰る。これは裏切りではございませぬか?」

「そんなことはないぞ。儂は又左に頼んだだけじゃ。お主とは戦いたくないとな。第一、何をもって裏切りとするのじゃ。又左は儂と同じ織田家の家臣。それに、三法師様の傅役は柴田ではなく儂じゃ。儂に刃を向けるは三法師様に刃を向けることと同じ。むしろ、柴田勝家のほうが悪いのじゃ」

「・・・・・・」

 官兵衛は何も言い返すことが出来なかった。いや、何も言えなくなった。秀吉の言っていることは、言い訳だとも思えようが、真っ当なことなのである。秀吉には、この大義名分さえあれば十分であった。一方、官兵衛は何も言う気になれなかった。

 秀吉は北畠信雄の名目を使い、神戸信孝を自刃に追い込み、また、一度は秀吉に従っておきながら、柴田勝家の元へ走った山路正国を死に追いやった。

 こうして、秀吉は織田家本筋を凌駕する勢力を持ってしまった。これが、三法師が織田家の家督を継いだことが面白くない者、その者に協力する者が現れる原因を招いてしまった。

 神戸信孝によって岐阜城に閉じ込められていた三法師は、無事に岐阜城から助け出され、本拠地へと送られていった。

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