Conclusion

Conclusion

「何で私なんかに構うの」


 初めて直接言葉を交わした彼女は、開口一番にそう言った。


「研究所の人間に言われたの? 私の友人になれって」


 どうして彼女がそんなことを言ってくるのか、当時の俺にはサッパリ分かっていなかった。


 それも当然だ。当時の俺は、彼女が置かれた立場も、その特殊性も、自分がなぜ彼女と直接会話することを許されたのかも、何もかも分かっていなかったのだから。


「だったら、必要ない。私は、そんなものを求めてなんか……」

「みんなお前のことを『特別』って言うんだ。『特別だから近付いちゃダメ』って」


 だからこそ俺は、至極真っ直ぐに自分の気持ちを言葉にした。


「でも俺、何で『特別』だから『近付いちゃダメ』なのか分からなかった。お前を観察してたら分かるのかと思ったけど、全然分かんなかった」


 俺の言葉に彼女は面食らった顔をしていた。


 多分『鳩が豆鉄砲を喰らったような』というのはああいう顔のことを言うんだと思う。生まれついて聡明だった彼女がそんな表情を見せたのは、もしかしたら初めてのことだったんじゃないだろうか。


 だけど多分彼女が一番面食らった言葉は、これじゃない。


「てかお前の何が特別なのかも分かんねぇ。お前だって、俺らと一緒でフツーの人間じゃん」


 ニカッと笑って、手を差し出した俺が言ったこの言葉に、彼女は多分人生で初めて『驚いた』んじゃないだろうか。


「だからさ、俺と友達になろーぜ! 俺、お前と仲良くなりたい!」


 そう伝えた俺に彼女は、限界まで目を丸くして。


 それからしばらく、どんな顔をすればいいのかも分からないまま、途方に暮れたように立ち尽くしていた。




  ※  ※  ※




「お前、そんなにちっこくて細っこいのに、どこにそんな食いモンが入ってくんだよ」

「えぇ〜! 粉物と揚げ物と甘味は別腹なんだよぉ〜!」

「その説は俺、初めて聞いたわ」


 病室のように白を基調にした殺風景な部屋は、点滴に繋がれた人間がいるとさらに病室味を増す。


 ──まぁ、今は『病室』って言ってもあながち間違いじゃないわけなんだけども。


 一週間ぶりに研究所から杏奈アンナとの面会を許可された雷斗ライトは、大量の差し入れとともに杏奈の私室を見舞っていた。


 一週間という期間は、今まで面会謝絶を敷かれた中でもそこそこに長い方だ。そこに事の重大さがにじみ出ているような気がして雷斗は気を揉んでいたのだが、顔を合わせた杏奈は存外元気そうだった。私室のベッドの上にいながら顔にメガネが掛けられていることは気がかりだが、こうして話している分にはもう全開と言ってもいいコンディションに見える。


 ──まぁ、こんなけ食べれや、明日、明後日くらいには外出許可も出るんじゃね?


 雷斗からの差し入れ……もとい、大量の屋台物料理を片っ端からモキュモキュと胃に詰め込んでいる杏奈の姿に雷斗はホッと息をついた。


 唐揚げから始まり、イカ焼き、串焼き、フライドポテト、焼きそばを片付け、お好み焼き、たこ焼きと二大粉物を完食した杏奈は今、さらにかき氷に手をつけている。


「どうだ? 旨いか?」

「んんん〜、さすがにくどくなってきたかな!」

「おー、屋台物ってやっぱ、その場で食べる空気感というか、そういうの込みでの美味しさってあるよな」


 ご相伴に預かっている雷斗は、かき氷をシャクシャクと崩しながら杏奈の言葉に答えた。


 温かい物と冷たい物をそれぞれ分けてアイスボックスに入れて持ってきたのだが、さすがにかき氷は下の方が溶け出している。上の方も削り出した氷がカチカチに固まっているのだが、さすがにこの程度の劣化はご容赦願いたい所だ。


「そういえばこの差し入れ、どうしたの? 一応ここでも厨房借りれば料理くらいできるって知ってるよね?」


 最後は色付きの砂糖水になってしまったかき氷を文句ひとつ言わずに飲み干してから、杏奈はようやくといった体で口を開いた。


 同世代に比べて明らかに小柄で肉付きも薄い杏奈だが、別に栄養状態が悪いわけでもなければ本人の食が細いわけでもない。何なら杏奈は普段から並の人の2倍は食べる。ただ摂取している栄養が片っ端から脳によって消費されてしまっていて身になっていかないだけらしい。


「あー、……それは、な」


 雷斗は何となく言葉を濁してから、モゴモゴと理由を口にした。


「気分だけでも、と、思って」

「え?」

「行けなかったから、五華祭いつはなさい


 その言葉に、杏奈は言葉を失ったまま目を丸くした。


「いや、杏奈の意識を落とす決断をした俺が言うなよって話なんだけどさ」


 一週間の面会謝絶期間が終わったということは、五華祭が終わってから一週間が過ぎたということだ。


 あの時、麻酔注射で強制的に意識を落とされた杏奈は、結局今年の五華祭を一切楽しめなかった。


 目まぐるしい学生生活において、一週間という期間は長い。この後杏奈が学園生活に復帰したとしても、犯人一行の取調の立会やオブザーバーとしての協力やらと錬対からの仕事に追われている間に五華祭は完全に過去のことにされてしまうだろう。


 ──結局、俺はアンナを……


「……イト」


 杏奈の『普通の学生生活』を、雷斗は今回も守れなかった。


 そのことに気落ちする資格はないと分かっていながらも沈む心を隠しきれない雷斗に、いつになく柔らかな杏奈の声が向けられる。


「ありがとう、イト」

「っ! そんな、感謝されるようなこと……っ!」

「あるよ」


 杏奈の表情は、今日も変わらず長い前髪と白濁させたメガネのレンズに阻まれて見ることができない。


 だが唯一姿を見せている口元が、声と同じくらい柔らかくほころんでいた。


「イトの気持ちが、私にはすごく嬉しい。イトにとってはどうってことないことも、私にはすごくすごく大切なものになるんだ」


 そんな杏奈の言葉に、胸がドキッと跳ねたような気がした。


 あるいはその鼓動は、杏奈の柔らかな笑みを見たせいで跳ねたのかもしれない。


「だから、『ありがとう』で、違わない」

「そっ……れは……」


 ──おかしい……! 何でこんなことでこんな……っ!!


 どう反応していいのか分からない焦りに雷斗はぎこちなく視線を逸らす。さらに何か話題の矛先はないかと考えた瞬間、頭をぎったのは事の元凶達だった。


「そっ、そういや、事件のその後の進展って何か聞いてるか?」

「ん?」

「『ウェルテクス』の連中のその後とか、内村うちむらの処遇とか、雨宮あまみや詩都璃シヅリ清白すずしろ姫妃ヒメキとの司法取引の話とか……!」

「……ちょっと。何でこの流れでそいつらの名前が出てくるわけ?」

「ぬぇっ!?」


 ──むしろ何でお前はそんな反応をしてくるわけっ!?


 杏奈は分かりやすく『面白くない』と言わんばかりに『むぷー』と頬を膨らませて雷斗の方へ身を乗り出す。逆に雷斗は両手を胸の前まで上げると杏奈が身を乗り出してくる分った。


「い、いや! 気になったっていうか、今後アンナがどれだけ巻き込まれそうなのか、知れたら知りたいなと思ったというか……!」

「……ふぅん?」


 雷斗を下から覗き込んだ杏奈は、意味深な呟きを残すと身を引いた。覗き込まれた拍子にメガネの隙間から漆黒の瞳がのぞいていたのだが、杏奈はその瞳で一体どれだけの情報を掻っ攫っていったのだろうか。


 ──そうでなくてもアンナの目ってメッチャ澄んでて綺麗だから、見つめられると妙に落ち着かないっつーか……


「事の首謀者は内村潤平ジュンペイ。典型的な錬力選民思想だった内村は現状の社会構図に不満を抱いており、錬力使いが非能力者を支配する社会構図の樹立を目標に掲げて暗躍していた」


 雷斗が動揺を噛み潰している間に、杏奈はサラサラと自分が把握している情報を教えてくれた。その言葉に意識を集中させることで、雷斗は己の精神を立て直す。


榊原さかきばらハヤテはそんな内村に心酔していた信者の一人。はしばみ大地ダイチ稲荷いなりナツメは、内村の信者というよりも榊原颯の協力者といった関係だったらしい」


 内村の思想に賛同していた者は各界に一定の人数がいるらしく、錬対は今後その洗い出しに苦労することになるだろう、というのが杏奈の見解だった。


「そんな内村は個人的に白浜しらはまに心酔していたらしくてな。『有能である白浜は、有能である自分と相方を組むべきだ』という考えも持っていたらしい。だから黒浜くろはまを白浜の相方から外すべく、例の事件を起こした」

「それで逆鱗に触れて、片腕失って逮捕されるに至るわけだから、ほんっとバカだよなぁ」

「基本的に思考回路が幼稚なんだよ」


 サラリと辛辣なコメントを出した杏奈はふぅ、と小さく息をついた。


「内村はひとまず懲戒解雇が決定している。榊原颯、榛大地、稲荷棗は退学処分になるだろうな。いずれも何らかの刑事罰も負うことになるはずだ」

「雨宮詩都璃と清白姫妃は?」

「表面上、彼女達に咎めは行っていない。そのための司法取引だ」


 杏奈と司法取引を交わした雨宮詩都璃は、改めて己が知っている全てを白浜と黒浜に直接説明したらしい。その情報が内村信者の洗い出しに役立っているそうで、取引結果としては上々だという。


『ウェルテクス』および内村逮捕を錬対が公表した際に『清白姫妃と雨宮詩都璃は内村潤平に利用された被害者』という情報も同時に報道されたため、二人は周囲に同情されはしても批判されることにはなっていないという話だ。二人の身柄は錬対に保護されているから、物理的な被害も心配不要だという。


「おそらく清白姫妃は、雨宮詩都璃から内々に全てを説明されたんだろう。錬対の任意聴取にも積極的に協力してくれているらしい」

「……そっか」

「ただ、雨宮詩都璃は、実際に錬力を悪用して法を犯している。司法取引の中には雨宮詩都璃の減罪も含まれているが、当人はどうにも己も罰を受けなければならないと考えているらしい。その辺りがどうなるかは、私にもまだ読めていない」

「まぁ、その辺りは、清白姫妃がどうにか動くんじゃないか?」

「そうだな。私もそう思っている」


 つまり、この事件は無事に落着したということだろう。


 ──協力者の洗い出しまでアンナが引っ張られることはないだろうし、せいぜい呼ばれたとしても内村の聴取くらいか?


 ひとまずこれ以上杏奈がこき使われることはなさそうだと考えた雷斗はホッと安堵の息をつく。


 杏奈が穏やかに口を閉ざすと、ふつりと会話は途切れた。先程の落ち着かなかった鼓動はもう平静を取り戻していて、いつも通りの穏やかな静寂が二人の間を満たす。


「……イト」


 その静寂の中に、ふと杏奈の声が落ちた。


「ん?」


 その声に雷斗は顔を上げる。そんな雷斗に向かって杏奈は片手を差し出していた。ハイタッチを求めるかのように手のひらを雷斗に向かって立てて差し出された手の意図に気付いた雷斗は、その手にそっと己の左手を重ねる。


 初めて出会った時にガラス越しに重ねた手は、互いの手の温もりを知らなかった。


 だけど今は、小さくて細い手に、自分よりも高い熱が通っていることを知っている。


「『ずっと、そばにいるよ』」

「……うん」


 昔交わした大切な約束をその熱に込めて、今日も雷斗は約束を新たにする。その言葉に杏奈が応えてくれることが、今日も優しく胸を温めてくれる。


 国に強いられるよりもずっとずっと前に、雷斗は杏奈の相方でいることを己で決めた。


 その約束は今でも雷斗の心の中心にあって、いつだって雷斗の心を支えてくれる。


「五華祭、来年こそは、一緒に回ろうね、イトくん」

「あぁ。今度こそ、約束だ」


 その幸せを噛み締めて、雷斗は杏奈の声に答えた。キュッと雷斗の手を握った杏奈は、顔に合わない大きなメガネの下で幸せそうに笑っている。


 だがふと雷斗は重要なことに気付いて真顔になった。


「でも俺達、今年の疑似実地パフォームで優勝しちまってるんだろ? ランキングも上がっちまったらしいし。……来年の出場、回避できっかな?」


 そんな雷斗の言葉に目をしばたたかせた杏奈は、キュッと唇の両端を吊り上げて不敵に笑ってみせた。


「してみせるさ。私の頭脳にかけてな」

「ははっ、お前が言うとシャレにならねぇわ」

「シャレで終わらせるつもりはないんでな」


 殺風景な部屋の中に、雷斗と杏奈の声が転がっていく。


『ライトニング・インサイト』という名前に似つかわしくない静けさの中でポンポンと言葉を交わし続ける二人は、どこからどう見てもただの『青春している高校生』、そのものだった。



【END】

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