※※※※※

 くずおれる杏奈アンナの体を抱え、頭に左腕を回すようにして目と耳を塞ぐ。そのまま後ろへ飛び退った瞬間、耳障りな絶叫が雷斗ライトの耳を叩いた。万が一にもその声が杏奈にこれ以上の危害を加えないように耳を塞ぐ手に力を込めながら声の方を振り返れば、高々と宙を舞った内村うちむらの右腕がドサリと屋上に落ちたところだった。


「あっ、あっ……う、腕ぇ……ヒギィッ……!!」

「おいおい、なっさけねぇ声上げてんじゃねぇよ」


 乱入した一瞬で内村の右腕を斬り飛ばしたのは白浜しらはまだった。そのまま流れるような体捌きでハヤテの後ろを取り、その首に手にした日本刀の刀身を添えた白浜は、口にくわえた煙草から紫煙を立ち昇らせながら淡々と言葉を紡ぐ。


「切断とともに傷口を焼いて塞いでやったんだ。出血死の心配をしなくていい分、優しいってもんだろ」


 その言葉に呼応するかのように白浜が構えた刃からユラリと炎が立ち昇った。まるで火龍が纏わりついているように見えるその揺らぎの正体は、白浜が操る炎だ。


「なっ、こんなっ、独断でこんなことして、ただで済むと思って……っ!!」


 白浜が、……錬対の武の象徴である『仁王』が、その牙を剥いた。


 さすがに内村もその意味が分からないほど馬鹿ではなかったらしい。突如利き腕を失った痛みと衝撃に顔をグチャグチャに歪めながらも、内村は白浜に喰ってかかる。


 だが炎刀『迦楼羅カルラ』を抜いた白浜は、その言葉にピクリとも表情を動かさなかった。


「そりゃあ済むさ。むしろお手柄だって褒められる」


 白浜はもはや内村を捕獲すべき『敵』としか見なしていない。いかなる感情も含まれていない冷徹な瞳を見れば雷斗にだってそのことは分かる。


 だが内村にはそのことさえ理解が及んでいないのか、悲鳴のような訴えが飛び出した。


「証拠はっ!? 僕は錬対所属で、名家清白すずしろの縁者ですよっ!? こんな真似をしてただで済むと思って……っ!!」

「証拠ぉ? あるさぁ〜」


 その声を遮ったのは、いまだに姿を現していない7人目だった。


 その声に雷斗は思わずハッと顔を跳ね上げる。


「君ねぇ、基本ツメが甘すぎ。今も、俺をボッコボコにのしてくれたあの現場でも」


 7人目はようやく姿を現す気になったのか、カツ、カツ、と革靴の踵を鳴らしながら給水塔の陰から姿を現した。


「まぁ、清白の権力を使えばどうとでもできると思ってたんだろうけど? その考え方自体がデロッデロに見通しが甘いんだよねぇ〜!」


 内村もようやくその人物の正体に気付いたのだろう。バッと跳ね上げられた顔からザッと分かりやすく血の気が失せる。


「だからこんな風にひっくり返される」


 一行に歩み寄った7人目は、白浜の左肩に己の右肘を置いてもたれ掛かるようにして立った。甘く整った秀麗な顔は白浜と共通点など一切ないのに、そこに浮く笑みだけは驚くほど白浜が浮かべるそれに似通っている。


 その笑みが一瞬、深い殺意をたたえて内村を射抜いた。


「俺からシラの相方の座を奪い取りてぇってんなら、もぉっとしっかり俺を殺しとかねぇと」


 その言葉と笑みに、ギリッと内村が歯を軋ませたのが雷斗にも分かった。


 漏れ出たうめき声は地獄の底から響くかのような怨嗟に巻かれている。


黒浜くろはま廉士レンジ……!!」

「ハァイ! 証拠、いただきましたっ!」


 対する7人目は、軽薄な口調にさげすみを込めて答えるとチェシャ猫のように笑った。


 琥珀色に輝く髪とチェシャ猫が人の姿を取ったのかと錯覚してしまうような雰囲気。『くたびれ中年オヤジ』という言葉を体現している白浜とは明らかに系統が違う人間であるはずなのに、単独で立っているよりも白浜の隣にいた方がなぜか妙に収まりがいい。


 そう感じるのは、雷斗が彼らと顔を合わせる時、必ず彼らがセットで行動していたからなのかもしれない。


「クロさん……!?」


『仁王』の片翼にして『歩く物的証拠』、黒浜廉士。


 瀕死の重傷に追い込まれ戦線を離脱していたはずである錬対の敏腕捜査官が、なぜかケロッとした顔でそこに立っていた。


 その姿に内村が血の気を失ったまま絶叫する。


「なぜだっ!? 重傷で死にかけているって……!! お前が入院している病院にいた協力者は……っ!!」


 その叫びが己の犯行の自白に他ならないことを内村は自覚していないのだろう。


 だが相対した二人はその発言を聞き逃さない。欲しかった言葉を内村から引き出した二人は、それぞれ浮かべた笑みにこれまたよく似た毒をにじませる。


「情報統制ってやつだよ。分かるぅ? 内村くん? ジョーホートーセー」

「『ライトニング・インサイト』は見抜いてたぜぇ? だーからお前に銃を抜かせるために、あんな状況だったのにムチャしたんだよ」


 二人の言葉に雷斗は思わず腕の中にいる杏奈に視線を落とした。うっすらとやり取りが聞こえているのか、全身を冷や汗で濡らして震えながらも、杏奈は唇の両端をキュッと吊り上げる。


 ──こんな状況だったのに、アンナにはクロさんが出張ってくるって読めてたのかよ……!


「お前が錬対の内通者だってことは、クロが襲撃された時点で分かってたんだわ。あの現場が『ウェルテクス』の仕事場になるって情報拾ってきたのは、そもそもお前だったしなぁ?」

「その後にシラの相方の座に立候補したって話だったじゃん? 完全に黒、だよねぇ」


 中庭から雷斗が壁伝いに駆け上がってきた後、そのままの勢いで現場に突っ込もうとした雷斗を止めたのは、屋上の隅に隠れ潜んでいた白浜だった。『ちょっとだけ待て』という言葉とともに羽交い締めにされていたせいで雷斗はすぐに杏奈の元に辿り着けなかったわけだが。


 ──そうか、柏田かしわだ錬力相に剣を突きつけてる榊原さかきばらハヤテと、アンナに拳銃を突きつける内村。その現場をクロさんが見ていて、内村がアンナに対して事の真相を語った声をクロさんが聞いていれば、それを証拠に内村と『ウェルテクス』を逮捕できる……!


 白浜と黒浜はこの時を待っていたのだ。だからあえて『黒浜は瀕死の重傷』という情報を流し、内村を白浜の相方に置くことで油断を誘った。


「さぁて? お話は連行先で、たぁっぷり聞かせてもらおうかぁ?」


 そこまで言われてようやく内村は、最初から自分が『仁王』の手のひらの上で踊らされていたのだと気付いたのだろう。白浜の言葉に内村がガクリとうなれる。


 だがその瞬間、颯が動いた。


「うわぁぁぁぁぁっ!!」


 内村が制圧されてから一言も発さず固まっていた颯に、白浜は油断していたのかもしれない。


 クルリと柏田と自分の位置を入れ替えた颯は、白浜に向かって柏田を突き飛ばすと手にしていた剣の切っ先を黒浜に向ける。そのまま一歩踏み込めば、黒浜の首筋はすぐ目の前だ。


「クロさんっ!!」


 思わず雷斗は叫ぶが、杏奈を抱えている雷斗は動けない。動けたとしても距離がありすぎる。


「ん」


 だが雷斗が動くまでもなく、黒浜は己で目の前のことに片を付けた。


 首を軽く傾けて突きを避けた黒浜は己の腰から日本刀を引き抜く。一条の閃光と化した刃はパキンッという軽やかな音とともに颯の剣を叩き折った。


 その一部始終が見えていたのか、よろめくように踏み留まった颯が絶望に目を丸くする。


「あのねぇ? 俺が前回の現場で不覚を取ったのは、暗闇の中での完全に背後からの奇襲だったからなのよ。俺、シラと違って後ろに目ェついてねぇし」


 そんな颯に向かって、黒浜が呆れたように口を開いた。隣でその発言を聞いていた白浜は、そんな黒浜の発言に呆れたかのようにツッコミを入れる。


「俺も後ろに目はついてねぇぞ」

「でもシラは完全に死角から攻撃されても対処できるじゃんねぇ?」


 白浜に答えた黒浜は、回転しながら落ちかかってきた剣の切っ先を指で挟んで止めながら颯の腹を靴底で蹴り込む。茫然自失状態でその動きに反応できなかったのか、無防備なまま攻撃を受けた颯はそのまま後ろへ転がり込んだ。さらに黒浜は容赦なく手にしていた剣の切っ先を颯に向かって投げつける。


「なぁんで俺達おんなじお師匠っしょさんに習ってたのにこんなに力量差ができちゃったんだろ?」

「はいはい、才能と努力の差」

「えぇ〜! 俺も努力したんですけどぉ? シラとペアルックしたくてぇ」

「帯刀を『ペアルック』って言うお前の精神、何年一緒にいても分っかんねぇわ」


 投げつけられた切っ先は、くずおれた颯の腕をギリギリかすらない軌道でコンクリートの床に突き刺さった。そこに宿った本気の殺意にようやく気付いたのか、ヒッと息を呑んだ颯がようやく抵抗をやめる。


 ──おっちゃんもクロさんも、いつになく容赦ねぇな……。もしかしておっちゃん、クロさんにこれやらすためにあえて榊原颯の拘束緩めてたとかじゃねぇよな?


 錬対から裏切り者が出たから、とか。国に対する叛逆などという大それた目的を掲げていたから、とか。


 二人がここまで本気を出した理由は色々とあるのだろうが、恐らく一番の理由は『相方に手を出されたから』なのだろう。この二人は任務云々よりも単純に個人的な感情で怒らせた時が一番怖いのだと、付き合いが長い雷斗はよく知っている。


 その最大の逆鱗がそれぞれの相方であるということは、雷斗のみならず、さらには錬対に限らず、よくよく知られた話であるはずなのだが。


 ──おっちゃんの殺意、所々半端なかったから、まぁこうなることは半ば想像できてたけども。


 むしろ白浜は犯人を特定出来次第、単独私怨で拉致して私刑に処してもおかしくはないとも思っていたから、捜査の範囲内かつ腕一本で済ませたのはまだ理性的だったなと雷斗は感じている。


 ──俺だったら半殺しで止めれるかも分かんねぇし。


 雷斗における『杏奈』という存在が、白浜にとっての黒浜で、黒浜にとっての白浜だ。普段は互いへの執着を飄々と流している二人だが、その奥には絶対不可侵とまで言える領域があることを、雷斗は自分達の関係性に照らし合わせて知っている。


 だから雷斗には、二人がどれだけ深い怒りを犯人達に向けていたのか理解できてしまう。仕上げを二人に任せたのは、ダウンした杏奈の安全確保を優先したからとか、そもそも立ち入る隙がなかったとかいう理由もあるが、そもそも二人が直接決着をつけなければ事は収まらないだろうと思っていたからだ。


 ──にしても……


「ヤッベェわ。さすが『対錬の仁王』」


 柏田の安全を確保した白浜は、颯に歩み寄ると颯の両腕を背中に回し、カシャリと手早く手錠をかけた。その間に内村へ歩み寄った黒浜は、容赦なく内村の首筋に手刀を落として意識を刈り取っている。


 二人のじゃれ合うような雑談を聞いている分には遊んでいるようにしか聞こえないのに、目に映る光景は完全に仕事人だった。キビキビと動く二人の動きはまさに錬対の敏腕捜査官のそれである。


「終わったぞ、アンナぁ」


 そんなことを思っている間に、二人による後始末は終わっていた。


 犯人二人の見張りと柏田の対応を黒浜にぶん投……任せてきたのか、いつも通り『日本刀を腰に下げた物騒なくたびれ中年オヤジ』に戻った白浜が雷斗達へ歩み寄る。その手には杏奈がタイムリミットを迎えた時に使われる麻酔薬の注射器が握られていた。


「よく頑張ったな、アンナ。今眠らせてやっから……」


 それを見た雷斗は杏奈を抱きしめていた腕を緩める。


 だが白浜の方へ杏奈を差し出そうとする雷斗の腕を、杏奈自身が止めた。


「い、い……」

「アンナ?」


 モゾリと動いた杏奈が雷斗の胸からそっと顔を上げる。微かに瞳をのぞかせた杏奈は、それだけでも苦しそうに顔を歪めた。


 それなのにしゃがみ込んだ白浜の手の中に麻酔注射があるのを見て取った杏奈は、イヤイヤと弱々しく首を振る。


「注射、いらない……」

「アンナ? そんなに苦しそうなのに……」

「今、それ、つ、つっ使ったら……い、五華祭いつはなさい、終わっちゃう……」


 そんな杏奈が苦しそうに紡いだ言葉に、ハッと雷斗は目をみはった。


 杏奈を苦しめる『反動』は脳のオーバーヒートによって引き起こされるものだ。一度強制的に意識をシャットダウンさせられた杏奈は、脳の疲労が取れるまで意識が回復しない。


 平均して3日。酷ければ5日。


 いずれにしろここで麻酔注射を受けてしまえば、杏奈の五華祭はここで終わる。


「た、たのし、み……して……ち、ちょっと、ね、寝れば、……よよ良く、なる、から……!」


 それは嫌だと杏奈は訴える。わずかにのぞいた瞳には、痛みから来る涙とは違う涙が浮いていた。


 そんな杏奈の様子に、雷斗の息が詰まる。


 ──今年こそアンナに、普通の学生らしく、学園祭を楽しんでほしい。


 雷斗はずっと、そう願っていた。錬対に五華祭で生徒会を仕留めろと指示されてからずっとモヤモヤしていたのは、その願いを今年も叶えてやれないと分かってしまったからだ。


 事件は今、無事に収束した。杏奈の調子さえ回復すれば、明日一日、杏奈はただの一学生として五華祭を楽しむことができる。


 ──でも、今ここで、麻酔注射を受けなかったら、アンナは……


 無意識の内に杏奈の体を支える手にギュッと力が籠もっていた。白浜は一度杏奈に視線を注ぐと、次いでうかがうように雷斗へ視線を流す。


 そんな白浜の様子に気付いているのか、杏奈はギュッと雷斗の腕に添えた手に力を込めた。


「イ、ト……」


 細い声に、雷斗はギュッと一度、杏奈の肩を支えた手に力を込めた。


 そのままそっと、反対側の手を伸ばして、杏奈の視界を塞ぐ。


「ごめん」


 その隙に、白浜は杏奈の腕に麻酔注射の針をつきたてていた。杏奈の体が強張ったのは一瞬で、雷斗がきつく杏奈の体を抱きしめている間に杏奈の体はズルズルと弛緩していく。


 完全に脱力しきったのを確かめてから腕を解くと、杏奈は細く息をしながら意識を手放していた。それでもまだ強烈な痛みからは解放されていないのか、杏奈の眉間にはまだうっすらとシワが寄せられている。


「……ごめんな」


 杏奈に、五華祭を楽しんでもらいたかった。杏奈と、五華祭を楽しみたかった。


 ──でも、そのワガママを通してしまったら、アンナの寿命は確実に削られる。


 そのことを、雷斗は事実として知っている。相方を組むことが決まった日に、研究所の人間から直接聞かされた。


 だからこそ雷斗は、誰よりも杏奈の傍にいようと心に決めた。


『ずっと、そばにいるよ』


 かつてそう約束した大切な幼馴染を守るために。


 杏奈自身からも、杏奈を守れるように。


「……下に研究所のやつらが控えてる。お前も、念のために、研究所まで同行してやってくれや」


 しばらく雷斗と杏奈に視線を注いでいた白浜は、何か物思いを断ち切るかのように言うと先に立ち上がった。そんな白浜に続くように雷斗も杏奈を抱きかかえて立ち上がる。


 意識を手放した杏奈は、本当にただの少女だった。眠る杏奈はいつも纏っている鋭すぎる気配の残滓ざんしもない。今の杏奈を何の事情も知らない人が見たら、杏奈に世界をひっくり返せるような力があるだなんて信じてくれないだろう。


 いつか、杏奈が本当にただの少女になれる日が来ればいいのにと、雷斗は願っている。


 どこへでも自由に、安心して出掛けていって、好きなだけやりたいことがやれる日が来ればいいのにと、願ってやまない。


 それまでは……


「おやすみ、アンナ」


 お疲れさん、と、雷斗は眠る杏奈にささやく。


 その瞬間、ほんのわずかにだけ、杏奈の表情がやわらいだような気がした。

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