怪盗タビー伯爵と探偵ブラン

 ありあは口の端にショートケーキのクリームを付けたまま、アルカンシエル日報を睨んでいた。背中が怒りで震えている。



「本日のアルカンシエル日報に、探偵ブランと名乗る謎の人物からの投稿が掲載されていましたが、先ほど、当局にも同様の投書が届きました。これから、その全文を読み上げます。『親愛なるラジオ局の皆さんへ。巷では、タビー伯爵なる正体不明の怪盗が——』」



 ラジオからニュースキャスターが探偵ブランの投書を読み始めると、ありあはアルカンシエル日報をテーブルに叩きつけ、資料の山を蹴散らして、ラジオの前に仁王立ちになった。


「ねえさん、ラジオ、壊さないでよ。ぼく、聴いているんだからね」あむは、タイプライターを打ちながら言った。



「『タビー伯爵によって持ち去られたアルカンシエルの奇跡は、未だ発見されていません。近頃は、アルカンシエルの奇跡を狙って、タビー伯爵を付け狙う者さえいるといいます。

 しかし、最初に盗まれたアルカンシエルの奇跡は、既にタビー伯爵の元にはありません。伯爵の手によりうに砕かれ、星になってしまったのです。そう、街灯に点す星と同じ星です。違うのは、アルカンシエルの奇跡だったエメラルドは、小さな星になった後も、その力を保持し、子どもたちや弱きもの、病めるもの、貧しいものたちの手に渡ると、彼らに必要な身の丈にあった幸運と幸福をもたらしていることです。

 今回、警察が中央通りの裏路地にある砂時計屋マガザン・デ・サブリエの倉庫で発見したアズール家のサファイアは、ダミーでした。タビー伯爵が掏り替えていたのです。それに気付かなかったのは、警察の失策といえるでしょう。本物のアルカンシエルの奇跡だったサファイアは、エメラルドと同じく、もう、星になっているはずですから。いずれ、奇跡を待ち望む、か弱きものたちの元に届けられることでしょう。

 わたしの言うことが出任せだと思うのなら、アズール家のサファイアをもう一度確認してごらんなさい。それとも、既に始まっているアズール家の没落の鐘の音に耳を傾ける方が早いかもしれません。

 断言します。記憶に新しいエメラルドの悲劇—— アダル家の悲劇に、今またサファイアの悲劇——アズール家の悲劇が、加わるのです。

 さらに、警察の失策は、砂時計屋マガザン・デ・サブリエの従業員あむ・しえる氏を誤認逮捕したことです。

 勾留中にタビー伯爵が現れた後も、あむ・しえる氏は釈放されず尋問され続けました。警察は—— 主語が大きいですね。この事件担当のスパーク捜査官は、何をもって、善良な一市民を逮捕しなければならないのでしょう。あむ・しえる氏にはアリバイもあり、その証人もいました。それなのに、スパーク捜査官は、あむ・しえる氏を連行したのです。これは重大な過失です。

 スパーク捜査官に調査を任せている以上、やはりこれも警察全体の失策といえるでしょう。かつて、この街で起こった冤罪の時代に、再び逆戻りすることはあってはならないのです。

 我々は、しっかりと目を見開き、警察の動向を見張っていなければなりません。—— 探偵ブランより、愛を込めて』

 これは、警察への挑発とも受け取れます。探偵ブランと名乗る人物は、なぜ……」



「あんた、いつ、逮捕されたのよ! 勾留されただけなんじゃないの?!」ありあが鬼のような形相で、あむを見た。


 —— 逮捕の方が、インパクトがあるからさ。あむは口の中でもぞもぞと答え、資料を調べるふりをした。やばい、こうも早く、ありあに投書を書いたのがバレるとは……。 あむは冷や汗でぐっしょりだ。


 実の所、あむとしては、少しでもありあを守りたかったのだ。

 このままだと、タビー伯爵を追うハンターは増えるばかりだ。それならば、アルカンシエルの奇跡はタビー伯爵の元にはないと世間に明かした方が、少しは危険も減るだろう。危険の減り具合が、あむの気休め程度にしかならないとしても。


「どうして、知っているのよ!」

「あっ、知っているっていってもさ、ちょっと調べれば、誰だって何となく、そう思うし……」


 アルカンシエルの奇跡が砕かれ星にされたことは、あむの推測にすぎなかった。これまで調べた資料とありあの行動を綿密に繋いで出た推論だったが、図星だったようだ。

 あむは、ありあと目を合わせないように、資料に顔を埋めた。

 —— ねえさんには、どうやって、言い訳しよう。ねえさんは、ぼくがタビー伯爵の正体を知っていることに気が付いていない。やっぱり、投書なんて、するんじゃなかった。

 あむの性格からすれば、極力、表立ったことは避けてきた。それなのに、警察への怒りから、つい、魔がさしてしまったのだ。


「探偵ブランって、どこのどいつよ!」


「はっ?」あむは資料から顔を上げた。どうやら、バレてはいないようだ。恐る恐る、ありあに鎌をかけてみる。

「…… ねえさん、探偵ブランのこと、気になるの?」


「気になるも何も、なんで、わたしの大事な弟の名を、こうもおおぴっらに晒すのよ! 弟は悲観主義者で心配性なのよ! 名を晒された挙句、心を病みでもしたら、どうすんのよ。何が何でも探し出して、落とし前つけてもらうからね!」


 ありあの「大事な弟」の言葉に、あむは胸がいっぱいになった。ねえさんはわがままで乱暴で人使いが荒くて横暴だけど、ぼくのことを大事だと思っていてくれたんだ。あむは思わず、涙ぐみそうになった。しかし、その後が悪かった。


「ほんとに、なんて事をしてくれたんだろ。取材や何やかやが、あんたのところに押し掛けてくるよ」

「……うそ」それは何としても御免被りたい。

「そしたら、誰が倉庫の棚卸しをすんのよ!」

「えっ?」

「ほら、来た」


 砂時計屋の前で自動車やバイクの止まる音がする。ラジオ局の車とアルカンシエル日報の記者のバイクだ。


 あむが狼狽うろたえていると、ありあがニッと笑った。

「わたしがあいつらの相手をしてやるから、あんたは今から棚卸しをしな。ついでに掃除も」


 呼び鈴が鳴った。もう、一刻の猶予もない。あむは大きな溜め息を付いた。

「取り引き成立。ねえさん、口の周りに付いているクリーム、拭いといたほうがいいよ」



 ありあが優雅な物腰で砂時計屋マガザン・デ・サブリエの玄関を開け、花のような笑みで取材を受けていると、石畳の道を点灯夫のリーリがやってきた。


 リーリはいつものように腰に下げた星入れから星を出し、街灯の一つ一つに星を入れていく。


 倉庫の窓から見た街灯の星明かりは、あむには少しサファイアの色がかかっているように見えた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼ざめたいちごショートケーキ殺人事件〜怪盗タビー伯爵と探偵ブラン 水玉猫 @mizutamaneko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ