いちごのショートケーキ
あむがげっそりして留置場から戻ってきて一週間。やっと、ありあがお菓子の箱を持って顔を見せた。
「お務め、ご苦労さん」
「なにが『お務め、ご苦労さん』だよ。警察に迎えに来るぐらいはしろよな」
ねえさんの身代わりで、連行されたんだぞ—— あむは、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「みやげだ、食え」
ありあは箱を開け、手づかみで自分が先に食べ始めた。前回と違って、ショートケーキは二つ入っている。
読んでいたアルカンシエル日報を置くと、あむは諦めたように首を横に振り、熱いコーヒーと、ありあのためにタンポポコーヒーを用意しに行った。アルカンシエル日報の一面には、相も変わらず謎の怪盗タビー伯爵とアルカンシエルの奇跡の文字が踊っている。
ありあが、あむの置いた日報を広げながら言った。
「警察がさ、倉庫の蜘蛛の巣と埃をある程度は払ってくれた。蜘蛛と埃の秘境に戻る前に、あむ、明日にでも倉庫の棚卸しをしときな」
「もう秘境に戻りかけてるよ。経営者は、ねえさんだろ。自分でやれ」
「経営者だから、従業員に命ずるんだ」
スパーク捜査官の目は節穴だ。ぼくが怪しいんなら、その百倍、ありあの方が怪しい。ありあが突然、女優を引退した直後に、タビー伯爵が現れたのだ。なのに、なぜ、ぼくの方を疑うのか。あむは、納得できなかった。
さらに納得できないのは、こんなにも大雑把で、がさつなのに、世の男たちはスパーク捜査官を筆頭に皆が皆、ありあに
タンポポコーヒーをありあに渡すと、ラジオのボリュームを上げた。おみやげのショートケーキを箱から出して、皿に乗せる。あむは、いちごをフォークに刺した。いちごは、本物だった。あむはいちごを見るたびに
ショートケーキは、あむの大好物だ。でも、ありあがみやげに持ってくるショートケーキには、この間のように
熱いコーヒーを火傷しないように慎重に一口飲んでから、タイプライターの前に座り、新しい紙をセットした。
留置場は最悪、取り調べは最低最悪だった。
窓もなく異様に狭い取調室には、スパーク捜査官の他に、大男の警官が二人もいた。身動きもままならない圧迫感と、いかつい男たちのいきれと独特の匂いで、あむは吐きそうだった。
スパーク捜査官は、
昔なら、拷問されて、無理矢理、自供書にサインさせられただろう。昔といっても、五十年も百年も前の話ではない。あむがヨチヨチ歩きの頃の話だ。当時は、標的になった人物を犯人に仕立てげ、
それをどうにか免れたのは、弁護士の手柄ではない。あむが勾留されている間に、タビー伯爵が現れたからだ。ありあが、あむに付けた弁護士は、戦闘力などまるでないニコニコしているだけの好々爺だったのだ。
これで、身の潔白が晴れて、すぐに釈放になるかと思いきや、そうやすやすとはいかなかった。スパーク捜査官の疑いは解けていなかったのだ。タビー伯爵には影武者がいて、あむの手下だというのだ。その夜、盗まれたのはアルカンシエルの奇跡ではなかったから、余計にだ。もはや、執念だ。ネチネチと尋問は続けられ、1日余分に勾留されてから、あむは、やっと釈放された。
釈放された後も丸一日は留置場や取調室の匂いが鼻について我慢ならなかった。いくらシャワーを浴び、体を洗っても無駄だった。
いや、これは願ってもない良い経験をしたのだと、あむは無理矢理、自分に言い聞かせることにした。
作家にとって無駄な経験は一つもない。何事も経験なのだ。あむだって作家の端くれだ。心意気はある。いくら悲観主義者だって、前向きな考えを持つことはある。忌々しい経験こそ、「蒼ざめたいちご殺人事件」には役に立つのだ。役に立たせるのだ。
あむが志高く、タイプライターを打ち始めると、ありあがタンポポコーヒーをアルカンシエル日報に向かって勢いよく吹き出した。
「どうした、ねえさん。猫舌のねえさんのために、せっかく、ぬるくしたのに」
「なんなのよ、この投稿! だれなのよ、この探偵ブランって!」
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