蒼ざめたいちご

 まずは、ペールベリーの話からだ。

 ペールベリー。別名、蒼ざめたいちご。

 王家を継ぐもののあかしとされる鮮血の色をした222カラットのルビーだった。


 なぜ、どの国の何という王家と具体的に記さないのか。なぜ、鮮血の色のルビーと過去形なのか。


 それは王家が途絶え、国はその名さえなくして、ルビーが色を変えたからだ。

 鮮血の色をしたルビーは、最後の王位継承者の幼い王子の惨殺現場を目撃して、青白く色を変えた。まるで、流された王子の血を嘆き、否定するかのように蒼ざめたのだ。首を断ち切られた王子は、まだ2歳にもなっていなかった。

 国も王家も滅び、証のルビーは行方知れず。色を変えたルビーは誰言うともなく、蒼ざめたいちごと呼ばれるようになった。

 伝説は、まだある。ペールベリーは、王家の証だ。もし正当な王位継承者が現れ、ペールベリーに触れれば、ルビーは立ち所に鮮血の色を取り戻し、王国は甦りその名と栄光を取り戻すというのだ。


 月日が流れ、ペールベリーの名さえ忘れ去られたころ、タビー伯爵と名乗る正体不明の宝石泥棒が現れた。伯爵が狙うのは、アルカンシエルの奇跡と謳われる七つの宝石。資産家たちや政治家たちがそれぞれに秘蔵する稀なる秘宝だ。その中にペールベリーがあり、タビー伯爵の一番の標的というのだ。


 アルカンシエルの奇跡の所有者たちは、公になってはいない。彼等は盗難を恐れ、皆、ひた隠しに隠している。それもそのはず。アルカンシエルの奇跡は、手にする者に名声や権力をもたらし、莫大な富を約束するのだ。


 タビー伯爵がアルカンシエルの奇跡、中でもペールベリーを狙うのなら、富豪たちの全てが、ターゲットになるだろう。正体不明、神出鬼没の怪盗に屋敷の奥深くに侵入されるのは、屈辱と恐怖以外の何物でもない。富豪たちは、戦々兢々となった。

 富や名声が巨大になれば、それに比例して罪過や秘匿が増えていくものだ。厳重な管理下に置かれているアルカンシエルの奇跡でさえ、易々と持ち去っているタビー伯爵のこと、どんな秘密が暴かれ漏れるかわからない。

 家宝のエメラルドを盗まれた政治家は、その直後に反社会的な団体との癒着が発覚し、政治生命を絶たれ一族離散にまで追い詰められた。盗まれたエメラルドは、アルカンシエルの奇跡だったのだと世間に知れ渡った。そのエメラルドが、今、タビー伯爵の元にあるのは明白だろう。

 タビー伯爵は、警察以外にもエメラルドを狙うハンターたちにも追われ始めた。

 


 あむは、俄然、興味を持った。タビー伯爵にではない。蒼ざめたいちごにだ。

 アルカンシエルの奇跡の中に、なぜ、ペールベリーが紛れ込んだのか。

 砂時計屋の仕事が暇なのも手伝って、あむはペールベリーや王子暗殺の背景を丹念に調べ始めた。調べれば調べるほど、のめり込んでいった。恋に似ている。未だ見ぬペールベリーに恋をしたのだ。


 覚書や推理もかねて、あむは「蒼ざめたいちご殺人事件」を書き始めた。

 正確には「殺人事件」ではなく、「王子暗殺」だ。それを「殺人事件」としたのは、当時の状況を調べていくうちに、裏で大きな組織が動いていることがわかってきたからだ。王子の暗殺前後には、王と王妃、その血縁、重臣たちが立て続けに亡くなっていた。事故や病と見せかけて殺されていたのだ。幼い王子を殺した者が、その血族を皆殺しにして、王家を滅ぼした。少なくとも、あむは、そう信じている。


 楽観主義者で活発な姉のありあは、あむの原稿にははなから興味がなく、尋ねもしなければ、覗き見さえしなかった。悲観主義者で内気なあむも、姉の酔狂な行動にはひやひやしながらも、冷ややかだ。

 が、スパーク捜査官は、あむに疑惑の目を向けている。あむの原稿を読んだわけではない。あむが「蒼ざめたいちご殺人事件」を書いているのは、誰も知らない。

 捜査官はあむの原稿ではなく、あむの行動を読んだのだ。頻繁にあむが歴史図書館や犯罪資料館、新聞社の資料室に出入りしているのを知ったからだ。美貌の引退女優の弟だというのも、災いしている。否が応でも、目に付くのだ。




 ありあは、あむを乗せた警察の車が去っていくのを見送ってから、三階の窓から出て二階の窓から倉庫に忍び入った。それは一瞬のことで、通行人の誰一人、砂時計屋の周りに立っている警官たちでさえ、気付かなかった。

 倉庫は、スパーク捜査官の言った通り、一面に蜘蛛の巣が張り、埃に埋もれていた。咳き込みかけて、ありあはハンカチで口と鼻を押さえた。いつも、あむに倉庫を片付けるように口うるさく言いつけているが、自ら率先して片付ける気持ちなど毛頭ない。

 タビー伯爵が投げ込んだエクランのあたりを中心に、蜘蛛の巣が取り払われ、積もった埃に警察官たちの手跡や足跡が残っている。

 夜目のきくありあは街の灯と月明かりを頼りに、爪先立ちで埃のない足跡を選んで歩き、目当ての棚まで行った。砂時計の中から一つ選ぶと、それを持って、また窓から三階に戻った。


 ありあはケーキの箱からクリームまみれの青い石を出すと、砂時計と一緒にハンカチに包み、ハンドバックに入れた。コートを着て何食わぬ顔でドアを開けると、ドアの前にいた警官がわきにどいて、ありあを通してくれた。

「ありあ嬢、お帰りになるのなら、お送りするよう、スパーク捜査官が」

「いいえ、けっこう。ありがとう」

 ありあは大輪の薔薇のような笑みを浮かべ、きっぱりと言った。階段を軽やかに降りていく彼女の後ろ姿を、若い警官はうっとりと見ている。

 玄関のドアを開けると、ありあは見張りの警官の一人に、玄関の鍵を渡した。ありあが鍵を渡した時、指が触れた。途端に彼の血が沸騰寸前まで熱くなった。


「あなたがお帰りになる時は、玄関の鍵を閉めていってくださいな。この鍵は、弟の鍵です。警察署にいるあのこに渡しておいてください。帰ってきても、鍵がないと入れませんから」


「了解しました。おやすみなさい、ありあ嬢」

 上擦った声に、ありあはウインクで答え、優美な足取りで石畳を踏み夜の街に出て行った。

 三階の警官も、玄関の警官たちも、ありあの髪についていた蜘蛛の巣には全く気が付かなかった。



 その日の深夜、怪盗タビー伯爵によって、また一つエクランが盗み出された。

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