第9話

 ぴっぴ、バーコードを読み込んだら袋の有無を聞いてお会計。それからマニュアル通りの挨拶を返してお辞儀を一つ。なんだかいつもしているはずのバイトなのにやけに新鮮に感じるのは、3日前の出来事がまだ頭にこびり付いて離れないからだろう。あれから僕は彼女に会っていない。大学でも見かけなくなったし、このコンビニにも来なくなった。彼女は僕から距離をとったんだろうか。

 バイトに集中しているはずが、どこか上の空になって作業もおぼつかなくなってしまう。バックヤードで聞こえる笑い声は、誰に向けられたものなんだろう。


 一週間前――――恐れ多いながらも僕は柊琴音さんに告白をしてしまった。べつにしようと思ってしたわけではない、というのは嘘になるが正直勢い任せでしてしまったことに多少の罪悪感がわいてくる。普段の僕ならもう少し様子を見て、確立を高めて千載一遇のチャンスまで待つというのに、少し強情すぎただろうか。


「はあ……、なんであんなことを」


 漏れたため息はとても重く、後悔の念だけがずっしりと乗った。

 結論を言うと、まだ結果はわからない。


 柊さんは涙を流したまま茫然としていた。僕はそれに驚き、焦ってすぐに繕った。


「ああ、すみません。別に深い意味はないんです(あるだろ)ただ、僕でよければ力になりたいと、そう思ってバカなことを、本当にすみません」


 彼女ははっとして涙を袖で拭った。


「こんなこと今言うんじゃなかったですよね。本当にすみません!」

「いえ。泣いている理由はそうじゃないです」

「ほんとですか?」

「私もびっくりしました。でも、嬉しい。あなたは、雁屋さんは私に初めての感情ばかりくれますね」


 それは少しずるいと思った。そんな顔で微笑まれたらどう返せばいいんだ。涙で濡れる瞳で、ようやく見える屈託のない笑みは、年相応よりも少し幼いもので。僕の心臓が高鳴った。


「ですが、付き合えません。それは雁屋さんが嫌だからではなく、私が許せないんです。周りを騙して、あなたを騙して、あなたの善意を利用しようとしてしまった。私が嘘なんてつかなければ、きっとあなたは私と話すことはないと思います」

「それは」


 そうかもしれない。僕は似た境遇を、雰囲気を感じて彼女を支えたいと思った。でも、惹かれた理由はそれだけじゃない。


「だから、まだダメです」

「そう、ですか。すみません、変なこと口走って」

「だから、待っててくれませんか?」

「え?」

「私が騙した人達に謝罪して、ありのまま生きれるようになれたら。雁夜さんに真っ当に話せるようになれたら、今度は私から……」


 それまで待っていてください、と天使にも似た微笑みを返す柊さん。天使など見たことないが、人の想像でできたものなら彼女はれっきとした天使だ。 僕はその天使もとい柊さんの問に、なんの躊躇いもなく頷いたのだった。


「はい。いつまでも待ちます」



 それから一週間経っても、彼女と会うことはなかった。あれから大学でも、このコンビニでも彼女の姿は見かけない。結局はあのまま逃げられたのだろうか。

 それともまだ向き合うのに時間を有しているんだろうか。彼女は僕を、自分自身を許せないんでいるんだろうか。

 それでも僕のやることは一つだけ。ただ待つこと。それが今の僕にできること。

 その時、不意に来店を知らせる店内音が鳴った。


「いらっしゃま、せ」


 途中で言葉を区切ったのは、僕が今想像し待ち望んでいた人物だったからだ。ブロンズ色の髪に、赤い眼鏡を掛けた女の子。彼女は店内を回らず真っ直ぐと僕の方に寄ってきた。

 バックヤードから不快な声が聞こえてくるがそんなこと気にもならない。彼女もしていないのだから。

 僕はそんな彼女にいつもの言葉をかける。


「今日もホットコーヒーのSサイズですか?」


 彼女はニコリと笑った。


「いえ、」


 そう間を置く彼女の声に驚いた様子のバックヤードを見て少しだけ上機嫌になる。


「今日はエルサイズをください。それと……」

「それと?」

「か、雁夜さん、を私にください」


 あまりの大胆な発言に思わずツッコミかけたが恥ずかしさのあまり言葉に詰まった。彼女も自分の言葉を理解してか顔を真っ赤に染め上げた。

 二人の熱くなる顔はきっと、このホットコーヒーよりも熱いのかもしれない。

僕は彼女にLサイズのカップを渡す。


「こちらこそ。よろしくお願いします」


 それから状況を理解出来ていないバックヤードも、来店を知らせる店内音を無視して、僕達は顔を見合せ笑いあった。

 それはまた純粋な彼女の笑顔で、僕も恐らく人生でこんなに嬉しかったのは初めてだった。

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彼女はいつもコーヒーを買う @asagao_01

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