第5話

「嘘でしょ…」

 明け方帰宅した母親がテレビのニュース番組を見て絶句している。なつきは食パンを2枚焼いてテーブルに置いた。母親の様子は尋常ではない。テレビ画面を見たなつきは、全身に鳥肌が立つのを感じた。

 いちごジャムをつけて食べたパンは全く味がしなかった。


 教室に行くと、クラスは騒然としていた。なつきは何も知らない素振りで自分の席についた。

 茉耶の取り巻きたちもなつきの存在を全く気にしていない。愛海は机に突っ伏して泣いていた。茉耶に良いように使われているようにしか見えなかったが、仲の良い友達を失った自分を憐れんでいるのだろう。


「茉耶、どうしてこんなことに」

「犯人を許せない」

「茉耶、可哀想」


 愛海につられて取り巻きたちはさめざめと泣き始めた。周囲の生徒たちもショックが大きいらしく、事件のことを話題にして茉耶を憐れんでは泣いている。


 今朝、繰り返しニュースで流れていたのは、平和な街で起きた衝撃的な事件だった。

 夜の繁華街で、チンピラに絡まれた女子中学生が抵抗したために揉み合いになり転倒。打ちどころが悪く、脳出血で搬送先の病院で死亡した、というものだ。

 男はその場から逃走したものの、目撃者の証言を手掛かりに逮捕された。

 名前は桜井直人。なつきの家に入り浸り、母親のヒモだった男だ。


 被害者は朝川茉耶、武野中学校に通う中学生三年生。夜八時の繁華街をうろついていたことにニュースは言及していなかったが、クラスの噂話では化粧をして大人のように着飾って、繁華街で男を誘っては未成年に手を出したと脅して金を巻き上げるようなことをやっていたらしい。


 教室のドアが開いて、生徒たちはビクッとして一瞬静まり返る。重い足取りで青ざめた顔の若林が入ってきた。

「皆さんも知っていると思いますが、朝川茉耶さんが亡くなりました」

 ショックを受けるから事件のニュースばかり見ないように、気持ちを落ち着けて欲しい、と話した。

 若林の言葉に女子はまた泣き始めた。

 なつきは若林の神妙な顔を見て、複雑な気持ちを押し殺す。


***


「しかし、驚きましたね」

「あの朝川が」

 放課後の職員室も朝川死亡の話題で持ちきりだった。特に担任の若林を気遣う声かけが立て続けにやってくる。若林は無理に愛想を作り応対する。


「朝川は優等生でしょう、なぜ夜の繁華街にいたんでしょうね」

 結局、噂話がしたいのだ。年嵩の学年主任に尋ねられ、若林はあの辺りに通っている塾がある、と答えた。


 茉耶が何をしていたかはクラスの噂話で知っていた。胸元に中学生には似つかわしくないブランドのプチネックレスをつけていた訳も知っている。

 茉耶は若林にも色目を使ってきた。気の緩みでそれに応えてしまった若林は、クラスで茉耶がしていることを看過するしかなかった。


 ロッカーから喪服を取り出して着替える。今日は茉耶の通夜に参列しなければならない。正直、ちょっとホッとしていた。茉耶とは縁を切りたかったからだ。

 今日は直帰すると伝え、職員室を出て駐車場に向かう。


***


 今日の掃除当番は自分では無かった。しかし、クラスの生徒たちは茉耶の通夜に行くと皆帰っていった。そのつもりはないなつきは一人で掃除当番をこなした。いつものことだ。


 校門を出る時にはすでに日が落ちていた。やけに赤い夕陽が重く立ち込める雲を不吉な色に照らしている。

 なつきは坂道を下っていく。

 狸穴神社の前に複数の人影が見えた。シルエットから女子のようだ。五人がそこに立ちはだかり、こちらを見つめていた。


「なつき、知ってるよ」

 茉耶の取り巻きの一人、愛海だ。泣き腫らした目を恨みがましくこちらに向けている。

 なつきは足を止めた。

「あんたがこの神社で呪いをかけていたことを」

「だから茉耶が殺されたんだ」

「人でなし」

 感情に任せて口々になつきを罵った。

 自分をいじめたことは棚に上げて、一体どういう神経なのだろう。なつきは彼女たちに対して何の感情も浮かんで来なかった。


「全部あんたのせい」

 愛海が叫びながらなつきを道路へ突き飛ばした。思いの外強い力になつきはよろめいて道路に飛び出す。


 ヘッドライトが迫ってくる。激しいブレーキ音が夕闇に響き渡った。


 轢かれる、なつきは死を覚悟した。


 ヘッドライトはカーブを描き、進行方向を急激に変えた。そして、鈍い衝撃音、甲高い悲鳴。


 全てがスローモーションのようだった。車は女子生徒たちを次々にはね、神社の石垣に激突して止まった。

「痛いよ、助けて…」

 女子生徒たちの呻き声が漏れ聞こえてくる。

 運転席のドアが開き、運転手が降りてきた。若い男だ。目の前の惨状が信じられず、呆然と立ち尽くしている。


 点滅する街灯に照らされた男は、担任の若林だった。喪服を着て瀕死の生徒たちの前に立つ姿は滑稽でもあった。

「お前のせいだ。お前が車の前に突然飛び出してきたから」

 若林はなつきを見つけて頭を掻きむしりながら責め立てる。道路に飛び出したなつきを避けてハンドルを切った。電柱を避けるために選んだ進行方向にはクラスの女子生徒たちがいた。慌てて踏んだと思ったブレーキは、アクセルペダルだった。


 なつきは低い声で笑い出した。縁切り地蔵のご利益はあった。これほどの事故を起こした若林はしばらく刑務所に行くことになるだろう。

 桜井、茉耶、そして若林、茉耶の取り巻きともついでに縁を切りたいと願った。

 祈願成就の喜びに、なつきの顔に暗い笑みが浮かぶ。


 なつきは石垣と車の間に挟まれ、息も絶え絶えな愛海の側に歩み寄る。新しいスポーツバッグからカッターナイフを取り出し、愛海の指を切断し始めた。

 抵抗する力が残っていない愛海は、バケモノでも見るような目でなつきを見上げる。その目の光はやがて失われてしまった。


「クラス全員と縁を切るなら、指は何本必要かしら、ねえ先生」

 なつきは小首を傾げながら若林を振り返る。その手には切り落とした愛海の指が握られていた。


 近所の住人が通報したのか、空を赤く染めながらサイレンの音が近づいてきた。

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狸穴神社の縁切り地蔵 神崎あきら @akatuki_kz

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