第4話
「茉耶が緊急入院したんだって」
「昨日、お腹が痛いって、急に」
「えっ、あんなに元気だったのに?」
翌日、クラスは騒然としていた。一際動揺しているのは茉耶の取り巻きたちだ。なつきが教室に入ると、一瞬にして静まり返った。
不揃いなショートボブのなつきを見て、こそこそと囁き合っている。
若林の話では、茉耶は深夜に急激な腹痛に襲われ、救急車で病院に運ばれたそうだ。病名は急性虫垂炎、命に関わるものではないが、虫垂が腫れ上がっており炎症を抑えた後で手術になるという。
「おそらく一週間ほどで退院できると聞いている。その間のノートをコピーしてあげてくれ」
そんな気遣いができるのか、となつきは冷ややかな気持ちになる。
縁切り地蔵のおかげだ。一時的にしても茉耶との縁が切れた。櫻井の時といい、これは偶然ではない気がする。未だ桜井は行方不明だ。
なつきは縁切り地蔵にお礼を言うために、学校帰りに狸穴神社へ立ち寄った。
「あれ、ない」
地蔵の足元に供えた髪の束が無くなっていた。食べ物でもあるまいし、鳥や動物が持っていくとは思えない。
誰かが片付けたのだろうか。なつきは急に怖くなり、家路を急いだ。
***
茉耶のいない一週間、なつきの心は穏やかだった。取り巻きたちも彼女がいなければ何もできなかった。
しかし、摩耶が元気に復帰するとやはり状況は変わらなかった。茉耶が発案したいじめを取り巻きたちが実践する。
終わりの見えない苦痛になつきは疲弊していた。
肩を落とし、借家の軋むドアを開けると、桜井の姿があった。
「え、何で…」
いるのよ、と言いかけたところで背後から三人の男たちが土足で押し入ってきた。スーツの男が怯える桜井を殴りつける。テーブルの灰皿が転がり落ちて床を灰まみれにした。
「あんたたち、何なのよ」
母親がヒステリックに叫ぶが、男たちは全く気にしていない。二人がかりで暴れる桜井を押さえつけ、もう一人のサングラスの男がキッチンを物色し始めた。
「落とし前がつけられねえなら辞めるなんて言うなよ。できねえなら俺がキッチリつけてやるよ」
なつきは唖然としたまま玄関に立ち尽くす。
サングラスの男が出刃包丁を持ち出し、桜井の目の前にチラつかせる。
「やめてくれ、頼む」
男がこんなにも情けなく泣き叫ぶのか、なつきは不思議に思った。
桜井の手がテーブルに置かれる。身動きできない状態にして、サングラスの男が出刃包丁で桜井の小指を切り落とし始めた。
肉に刃が食い込む鈍い音。桜井の絶叫が響く。涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにして嗚咽している。
「やめてよ。子供が見てるじゃない」
母親も狂ったように喚く。なつきが見ているかどうかより、愛しい男が傷つくことが辛いのだ。
メリッ、と骨を断つ音がした。サングラスの男は一気に力をかける。
あまりにも簡単に指が切り落とされた。意外と血は出ないんだ、となつきは思った。
ひいひいと泣き喚く桜井を尻目に男たちは去っていった。
母親は慌てて桜井に駆け寄る。
「酷い目に遭ったね、でもこれから逃げも隠れもせず一緒にいられるね」
桜井は痛みに意識が集中して、啜り泣くだけで何も答えない。母親は慈しむような目で桜井を見つめている。
そんなこと、できない。
これからこの男と一緒に暮らすなんて。あの日の憎悪がなつきの心に蘇る。ケバ立つ畳の上に桜井の落とされた小指が転がっていた。
なつきは母親の目を盗んでそれをそっと拾い、家を出た。
向かう先は狸穴神社だ。
縁切り地蔵に願掛けをしなければ。この先桜井と暮らすなど考えただけでも吐き気がする。
爪、そして髪。身から離れたものが困難なものほど願いが強く叶う気がする。爪なら行方知れずになっただけ、すぐに戻ってきた。髪なら病院に担ぎ込まれて手術をする羽目になった。
では、指なら。きっともっと強い効果が期待できる。
なつきはポケットから桜井の指を取り出した。本体から離れて干からびてきている。触れることすら気持ち悪いが、これは大切な供物だ。
なつきは桜井の指を地蔵に供えた。
「お願いします、どうか縁切りを」
なつきは必死で祈った。何度も何度も、相手の名前を繰り返し呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます