狸穴神社の縁切り地蔵
神崎あきら
第1話
教室に入ると、机の真ん中に盛り塩が置かれていた。
いつものいじめだ。手口が変わっただけにすぎない。ここで慌てたら奴らの思うツボだ。
山下なつきは感情を押し殺し、無言で机から塩を払い落とす。
「あー、なつき、バチが当たるよ」
その様子をニヤニヤ笑いながら観察していた朝川
「これさぁ、稲荷神社のお清め塩なんだよ。あんたがいつも辛気臭いから机に盛ってあげたの」
盛り塩は魔除けの意味合いがある。最近、女子の間でかわいいボトルに入った稲荷神社の塩をお守りにすることが流行っているらしい。中学生というのはスピリチュアルなものに惹かれる年頃だ。
しかし、それを机の上に盛り塩として置くなんて縁起でもない。これは嫌がらせでしかない。
ここで何かを言い返したところで、茉耶の嫌がらせがエスカレートするのは目に見えている。なつきは無言で一限目の教科書の準備を始めた。
なつきに無視されたことで頭に血が昇った茉耶は、教科書を乱暴に払いのけた。なつきは小さく唇を噛む。泣くでもなく、やめてとも言わないなつきに茉耶は苛立ちをぶつける。
クラスの者は誰もそれを止めない。次の標的になりたくないからだ。クスクスと忍び笑いを漏らしている。
「この塩ね、縁切りのおまじないにもなるんだって。嫌な奴のロッカーにこっそりかけたら、そいつが転校したらしいよ」
茉耶が意地悪な笑みを浮かべる。なつきを排除するためのおまじない、というわけだ。茉耶の取り巻きたちは我慢しきれず笑い出す。
クラス担任で国語を教えている若林が教室に入ってきた。茉耶はフンとそっぽを向いて席についた。教師の前では優等生で通っているのだ。
若林は教卓の前に立つと、教科書を乱雑に床に落としたまま俯くなつきに目を留めた。
「山下、教科書を拾いなさい。授業を始めるぞ」
若林はまるでなつきが悪いかのように指導する。実のところ、クラスでいじめが発生していることに気がついているが、なつきが何も訴えてこないのを良いことに知らぬふりを決め込んでいた。
***
「ごめんね、今日約束があるから掃除当番よろしく」
原田
愛海の他に三人、本来五人で担当する当番をなつき一人がこなさなければならない。
「愛海、はやくー!お店閉まっちゃうよ」
これ見よがしに茉耶が叫ぶ。彼女たちに予定を入れたのは、なつき一人に掃除当番を押し付けるためだ。
なつきは努めて無表情で掃除道具入れを開けた。その途端、ずぶ濡れの雑巾が目の前を落下した。
「なんだ惜しいな、避けるなよ」
茉耶は憎たらしい顔でなつきを睨みつける。つまんないと言い放ち、取り巻きを連れて教室を出て行った。
夕闇せまる教室でなつきは一人、ほうきがけをする。全員の机、窓を雑巾で拭いて終わりだ。五人ですればすぐに済むはずだった。
「山下、まだ残ってたのか」
教室に忘れ物をとりに戻った若林がなつきを見つけて驚いている。こんな時間まで一人で掃除をしている状況はおかしいはずだ。しかし、若林は教卓のプリントを取り出すと、足早に去って行こうとする。
「先生」
なつきは若林を呼び止める。振り向いた若林の顔には厄介ごとを持ち込むな、という想いが滲み出ていた。
「何でもないです」
人の嫌悪感に敏感になっていたなつきは、ゆるゆると頭を振る。
「早く帰れよ」
若林はホッとした様子でパタパタとスリッパの音を響かせながら職員室へ戻って行った。
***
校門を出た時には午後五時を回っていた。なつきは重い足取りで家路に着く。
学校でもこの調子だが、家も心安らぐ場所では無かった。このまま居なくなれたら、ぼんやりとそう考えながら坂道を下っていく。
いつも通る道だが、その日は何かに呼ばれた気がして足を止めた。
鬱蒼とした木々に囲まれた小さな神社だ。石の鳥居は苔生して、かなり年季が入っている。何を祀る神社がわからないし、薄気味悪いこともあって、中学校の生徒たちは近寄らない。
なつきは神社の鳥居を見上げた。しめ縄が朽ちてだらりとぶら下がっている。
落ち葉が降り積もる石段に足をかけて昇っていく。狭い神社だ、五段ほどの石段の先に十メートルの参道、その奥に古い社があった。
社の前にある賽銭箱に十円玉を投げて手を合わせた。
「どうか、嫌なことから縁切りできますように」
漠然とした願いだ。きっと神様にも私の悩みなんて分からない、となつきは自嘲する。
帰ろうとしたその時、大きな杉の幹の傍らに地蔵が立っていることに気がついた。風化して顔はほとんどわからない。しかし、赤い前掛けは新しく、誰かがきちんとおまいりしていることが見てとれた。
「縁切り地蔵…」
地蔵の横に稚拙な墨文字が書かれた木の看板が建っている。雨で滲んで消えかけてはいるが、補足説明がかろうじて読み取れた。
「縁切りたければ身から離れたものを供えること、さすれば願いは聞き届けられる」
読み上げてみたが、意味がよくわからない。早く帰らないと怒られる、なつきは立ち上がり坂道を下っていった。
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