第3話
「ったく甲斐性がないからこうなるんだ」
不機嫌を剥き出しにしている母親の横で、なつきは密かにほくそ笑んでいた。あのヤクザ者の桜井が家に来なくなったのだ。
母親が言うには、所属する組に上納金が払えずに取り立てから逃げ回っているらしい。
ヤクザがヤクザの取り立てに遭うとは滑稽なことだ。
母親は桜井といることが居心地良かったらしく、時折寂しそうにしている。いつもこうだ、男たちと破局した後はしんみりしているが、すぐに別の男を連れてくる。
なつきは思う。こんなこともいずれできなくなる。だって、自分が成長して女として見られるなら、母親は女の魅力が廃れる一方なのだから。
あの夜、桜井に言いしれぬ恐怖と嫌悪感を抱いた夜になつきは爪を切り、それをハンカチに包んで打ち捨てられた神社に走った。
鳥居に掲げられた神社の額を見上げると、
大木の傍らに立つ地蔵の足元にハンカチに包んだ爪を置いた。爪は「身から離れたもの」だ。この解釈で良いかわからない、しかし今は神にも仏にも、地蔵にも縋りたい気持ちだった。
「桜井を遠ざけてください」
なつきは膝をついて懸命に祈った。深夜の神社で地蔵にお参りする自分の姿は丑の刻参りにも似ているのではないだろうか。
おまじない程度のつもりだった。しかし、それが功を奏したのだ。桜井はクズだ、そうなるのが必然だったのかもしれないが、縁切り地蔵のご利益があったのかもしれない。
なつきの心は晴れ晴れとしていた。
***
桜井と縁が切れたことで自宅での気苦労の種は減ったが、学校の方は相変わらず、どころかいじめがエスカレートしていた。首謀者の茉耶はずる賢く隠し通しているし、担任の若林はやはり見て見ぬ振りを続けている。
これまでなつきは泣かないよう耐えてきた。しかし、この日は耐え切れないほど酷い出来事があった。
学校指定のスポーツバッグをカッターナイフで切り裂かれた。自前のバッグを代わりにすることはできないため、新しく購入しなければならない。このバッグが6,000円だ。
母親に言ったら、金がかかることに激怒するだろう。怒られるのも嫌だったが、ひとり親で自分を育ててくれる母に余計な出費をさせることが忍びなかった。
さらに、一つくくりにした髪の毛にチューインガムをベッタリくっつけられたのだ。ガムは洗ったところで落ちない。
「あら可哀想、もう切るしか無いわね」
みんな、なつきの断髪式よ、と茉耶は生徒を集めた。ガムをつけたのはもちろん茉耶だ。実行犯は別でもこんな陰湿なことを考えるのは彼女しかいない。
茉耶はなつきの髪を束ねたゴムのところでばつん、と切り落とした。はらりと落ちる髪が頬に触れ、なつきは目頭がジンとしてきた。
「あら、似合うわ。それにシャンプー代が浮くじゃない」
茉耶は意地悪な笑みを浮かべ、切り落とした髪をなつきの足元に放り投げた。
決定打はなつきを囲む生徒たちの中に、密かに想いを寄せる男子がいたこと、彼が一緒になって笑っていたことだ。これも茉耶の演出なのだ。
なつきは大粒の涙をこぼし、嗚咽した。それを見た茉耶は満足したのか、取り巻きを引き連れて帰っていった。
ようやく涙が枯れ、なつきは教室の鏡に顔を映す。長い髪を大切にしていた。それが今は不揃いなおかっぱだ。美容院に行くお金なんてない。なつきは切り落とされた髪の束を持って立ち尽くした。
夕闇が教室を飲み込んでいく。なつきの影もまた闇に呑まれていく。
***
学校からの帰り道、狸穴神社の前で足を止めた。鳥居をくぐり、縁切り地蔵の前に跪く。バッグから切り落とされた髪の束を取り出し、地蔵の足元に供えた。
「朝川茉耶と縁が切れますように」
なつきは呪詛のように繰り返す。
茉耶されいなければ、ここまで執拗にいじめを受けることは無かった。
供え物は大切にしていた髪の毛だ。どうか、願いを叶えて欲しい。
顔の無い地蔵が微笑んだ気がした。
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