第3話


 【 五日後の午前中 ユウの部屋にて 】



「おるか! ウチやで!」

「あれ望月さん。どうしたんです」

「今日は、君に昆布ダシの凄さを教えてやろうと思ってな!」

「またまた、ユウは化学調味料で充分ですよ」

「そう言わんと、気合入れて作ったんや。食べてみい」



 ウチが持ち込んだタッパーの中身を見てユウの奴は目を丸くしおった。

 計画通りや。



「あれ、味噌汁じゃないんですか? これは玉子焼き? 昆布はいってます?」

「まぁまぁ、説明は後。とにかく味をみてや」

「も~、お寿司のパックに入っている玉子焼きと何が違うんですかぁ~。んん!?」

「どや!?」

「パックの玉子焼きと全然違う。甘くてクドい、あの味はどこ? 口触りもふんわりと柔らかいし、すごくサッパリしている。どことなく繊細で上品な印象。まさか玉子焼きがこんなに高級で奥深い味になるなんて」

「判るか? 素材の良さを遺憾なく発揮してるやろ? 薄味ながら昆布の風味も楽しめる、それが関西風の『ダシ巻き卵』なんや。ダシ汁と砂糖、それにとき卵を混ぜた物を、玉子焼き器で焼いただけ。けど、美味しく綺麗に作るのは至難の業やで」


「化学調味料を使うと、主張が強すぎて全体の味をべったり覆い隠してしまうんですね。実は、気付いていました。どんな材料を使っても、何か同じ味しかしないって」

「同じグルタミン酸やけど、昆布は他を立てる奥ゆかしさがあるからな。良い食材が手に入った時こそ、素材を活かす調理法やないとイカンのや。億劫おっくうがっていたら命をくれた生き物に申し訳ないやろ」


「どうして、どうして、奈々子さんはそこまで昆布にこだわるんですか?」

「ウチが大阪人やから……かな。大阪の味はなぁ、昆布のおダシに支えられとるんや。大阪がかつて天下の台所と呼ばれたのも、昆布ダシの発見があればこそなんや」



 そりゃあ、昆布の名産地は北海道や。瀬戸内海でとれるモンちゃう。

 けど、大阪はなんと言っても昔から物流の要やさかい。生活物資は何でも大阪に集められて、そこから全国へ送られたそうや。昆布も例外やない。


 江戸時代にな、北前船がはるばる大阪の港まで来るようになって、そこで昆布ダシと大阪料理が歴史的な邂逅かいこうを果たしたんや。昆布ダシの伝来が大阪の味を一変させ、ひいては日本料理界に革命を起こしたらしいで。


 それまではお寺の精進料理でひっそりと使われていただけの昆布ダシが、都のひのき舞台へと上がった瞬間や。関西料理の多くはここが起源というワケやな。

 物流の要こそが文化発信の源泉。ダシ汁という基礎を東西日本に広げた事が、大阪の誇りであり、こだわりなんや。


 くだらない物ちゃうで、上方かみかたから地方に「くだる」だけの食文化を送り伝えたからこそ、大阪が天下の台所を名乗れたんや。せやから今でも大阪には老舗しにせの昆布問屋がぎょうさんあるんやで。



「世界中を見ても昆布でダシをとる国なんて日本だけ。だからこそ、日本人はもっと昆布を大切にせな、もったいないと思うのよ、ウチは」

「な、成程」

「今日は達ちゃんの誕生日。美味しい物を作って、パーッと祝いたいねん。君もな、将来愛する人が出来たらウチの言うことが判るかもしれん。やっぱり好きな人には、美味しい物を食べて、いつも明るく笑っていて欲しいんや」

「……あぁ」



 なんや溜息なんかついて。

 ウチなにか悪いこと言ったかい?


 するとそこへ誰かが訪ねてきおった。

 玄関のベルが鳴らされ、入ってきたのはマンションの大家さんや。

 何? 家賃の催促さいそくかいな。


 大家の立花さんは、妙齢のご婦人で、誰にでも愛想の良い公平な人。

 その立花さんがウチを見るなり、顔をしかめたやないの。



「あら、奈々子さん。貴方イサム君の部屋で何をなさっているのかしら?」

「へ、イサム? 誰や、それ?」

「旦那が留守の間に、男の部屋に上がり込むなんて。あまり褒められた事ではないと思うの」

「な、なんやて! おい、ユウ。どういうことや!」



 ウチに詰め寄られた途端、ユウの奴、平謝りにあやまりおった。



「す、すいません。実は私、男なんです。ユウというのはネットで使う芸名でして」

「はぁああ!? それはアレか? 体は男だけど心は女という?」

「いいえ、女装をしていた方が動画の再生数も稼げるので。普段は別にしてません」



 如月ユウ → 勇 → イサムという事かい!?

 なんちゅうこっちゃい!



「本当に申し訳ありませんでした。たまたま女装をしたままで望月さんと会って、誤解されている事を知りながら、ずっと真実を黙っていました」

「どう見ても女やったのに?」

「昔から中世的な顔立ちと体型をしている上に、裏声の出し過ぎで喉が枯れていましたから。初対面の人にはよく勘違いされるんです」

「なして? なんで今まで黙っとった?」

「それは、男だとバレたらもう奈々子さんが来てくれなくなるかと思って」

「当たり前やん!!」



 男だと知っとったら、初めから達ちゃんに任せておったわ!

 お陰でウチが浮気女みたいな扱いをされとるやん!


 大家さんも気まずくて顔をしかめとるわ!

 ウチは深呼吸して気持ちを整えると、イサムの奴に告げた。



「もう、これまでやな。餞別せんべつに自転車と初心者向けの料理本をくれてやるわ。あとは自分で頑張り。ウチはもうサヨナラや」

「奈々子さん!」

「ウチには達ちゃんを裏切れん。どうしてもや」

「……」

「すまんな」



 イサムは泣きそうな顔でうつむくと、言いおった。



「うちの両親は共働き、育児なんて常時そっちのけの人でした。だからかな、私に駄目なことはダメだと注意してくれる人って……誰も居なくて。奈々子さんの説教はとても身に沁みました」



 うぐっ、胸キュンするやんけ。

 母性をくすぐる手段。心得てやがるな、コイツ。

 でもアカンものはアカン!

 ウチが目を背けると、イサムは何かを察したようで深々と頭を下げたわ。



「これまでのご厚意、一生忘れません。本当にありがとうございました」

「そこまで言うのなら最後にひとつだけ追加の駄目出しや」

「は、はい?」

「君が良く言う『タイパ』なんやけどな。ウチが思うに、君は億劫おっくうなことから逃げる口実としてタイパを使ってるだけやと思うで。男としてそれはアカン」

「!!」

「本当に大好きな人が出来たら、いつかきっと判る。料理における手間暇は、心配りと思いやり。はぶくモンやない。それを忘れんようにな」

「でも、私は、奈々子さんの事を」

「ほな、元気でな」



 それで終いや。過剰な長っ尻は性に合わんのよ。

 大家さんにも後で謝らんとなぁ、やれやれ。




 【 半月後 午前五時 自宅のベランダにて 】



 まだ薄暗く夜気が肌にしみる早朝のこと。

 ウチが掌に息を吐きながら通りを観察していると、イサムの奴が来おった。

 案の定、アイツまた女装したままでゴミ捨てに出てるやん。

 動画投稿がよほど忙しいのか、週末はいつもそうやな。


 でも、それは好都合。むしろ、そうでないと待ち伏せている人が困るんや。

 やがて収集所の陰から出てきた人影が、偶然を装ってイサムに話しかけた。

 ウチの与えた助言通りに。


 パート先の大学生がユーチューバーに興味ある言うとったからな。

 紹介してやったわ。


『その格好は! もしかして、ユーチューバーの如月ユウさんですか! 私、大ファンなんですよ!』


 そんな風に話が進んでいるはずや。

 しばらく揉めとったようだけど、やがて意気投合して仲良く歩き出した様子。


 よしよし、今度は上手くやるんやで。


 覗き見を中断してウチはベランダから室内へと戻った。

 出勤前の達ちゃんと目が合い、ウチは笑顔で誤魔化すのみ。


「寒いのに何をしてたの? 風邪ひくよ」

「師匠として、最後の務めや」

「最後? そういえば最近はユウ君がタッパーを返しにこないね。料理教室はもう止めたのかい?」


「あのなぁ、ひさしを貸して母屋を取られるという諺があるやろ? ウチに近づく間男には気を付けんと。魅力的な嫁さんがどこかに行ってしまうかもしれんで」

「あれぇ、立場が逆になってる!?」

「男女の関係は複雑なんや」

「よく判らないけど。僕は奈々子を愛する気持ちなら誰にも負けないつもりだよ」

「……知っとる」



 そやから裏切れないんや。

 これで どうにかメデタシメデタシってわけやな。


 最後に一つネタバレしようか?


 ウチの務め先の話なんだけどな。

 実は昼間、スーパーMでパートしとるんや。

 ウチの話を聞いて、まるでスーパーや大阪の回し者みたいだと思った、そこの君。

大正解やで。


 ははは、コンビニから上客を一人奪ってやったわ!

 商いと恋愛は厳しくせんとね。

 浪花のレディなら特にな!

 そんな師の心を弟子は知らんやろうけどな。

 綺麗にオチもついた所で。


 ほな、またな! 


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大阪女と昆布のおダシ 一矢射的 @taitan2345

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