森、魔法の矢

冒険者のラトクは、その日も朝から兎を追いかけていた。


王都の西側に広がる、ロールの森。


危険度の低い、E・Fランク相当の魔物が生息する森で、ラトクはいつものように、フタツノ兎を狩る仕事を引き受けていた。


繁殖力が強く、木や植物をだめにする習性を持っていることにより、「森の荒し者」という不名誉な異名がつけられているフタツノ兎。


人間を見つけると、自慢の二本角を向けて積極的に襲いかかってくる短気な魔物ではあったが、弓矢を武器とするラトクにとっては、戦いやすい相手だった。


『見つけた』


歩き慣れた森を探索していたラトクは、早速、一匹目の獲物を見つけた。


近くにあった太い木の陰に、さっと身を隠す。


慎重に周囲へと意識を向けて、他に魔物の気配がしないかを確かめた。


『大丈夫そうだな』


彼は無意識に、自分の耳に触れた。


エルフ族の祖母を持つ彼の耳は、先が尖っている。


子供の頃には、周りの子たちにからかわれることがあり、彼自身もコンプレックスに感じていた耳の形。


しかし祖母から譲り受けた弓の腕を磨き、一人の冒険者として生きていく自信がついた頃には、いつの間にか、その特徴的な耳に誇りを覚えるようになっていた。


ラトクはほとんど音のしない、長く、細い呼吸に切り替えて、獲物の様子をうかがう。


小柄なフタツノ兎は、紫ラッパ花と呼ばれる植物を前歯でむしりとっていた。


むしりとった花は食べるでもなく、地面に散らかしている。


木を齧ったり、草花をむしったり、食べるわけでもなく行われるそれら一連の行動は、「森の荒し者」と揶揄されるこの魔物に、よく見られる姿だった。


紫ラッパ花は回復ポーションの素材ともなり、比較的、需要のある植物だ。


しかしフタツノ兎にぐちゃぐちゃにされてしまった後では、使い物にならず、冒険者ギルドで買い取ってもらうこともできない。


『やれやれ……』


ラトクは心の中でため息をつきながら、背負っている矢筒に手を伸ばした。


抜き取った矢を弓につがえ、大きく引き始めた、その時。


ラトクは近づいてくる別の気配に気が付き、弓を緩めた。


一心不乱に花を荒らすフタツノ兎の奥から、のそのそと現れた別の魔物。


それは、濃淡の異なるまだらな緑色の毛で覆われた、大柄な熊の魔物だった。


『フォレストベアーだ……』


単独でやり合うのならば、Cランク程度の冒険者でさえも命が危ういという手強い魔物。


ロールの森では滅多に見ない相手ではあったが、しかしラトクは、その魔物の生態をよく知っていた。


魔物の中では珍しく、フォレストベアーは争いごとを好まない種だった。


植物の芽や木の実などを主食とし、自分、あるいは仲間の身を守る時にしか、他の生物を攻撃しない。


フォレストベアーが生息する森は、水が綺麗で、緑が豊かであることが知られており、数が増えるほどどんどん森をだめにしていくフタツノ兎とは、ある意味、対照的な魔物ともいえた。



その熊の、緑の美しい毛を得たいがために、危険を顧みず戦いを挑む冒険者たちもいる。

だがラトクは、自分の身のほどをわきまえていた。


フォレストベアーは、ロールの森の中でずば抜けて戦闘力の高い魔物だ。


こちらが襲われでもしていない限り、わざわざ攻撃して、怒らせる必要はない。


ラトクは手にもっていた矢を、矢筒へとそっと戻した。


二匹の対照的な魔物は、まだどちらも、ラトクの存在に気が付いていない。


『フタツノ兎を見逃すのは惜しいけれど……フォレストベアーから離れることが優先だ』


ラトクは二匹の魔物に視線を残したまま、その場から離れるタイミングをうかがい始めた。


と、フォレストベアーがすくっと立ち上がった。


『お……』


知識では理解しているが、その巨体は、圧倒されるほどに大きい。


やはり戦うべきではなさそうだ、とラトクは確信を深める。


あんな巨体が突進してきたとしたら、ひとたまりもない。


こちらに戦闘の意志さえなければ、気を荒立てる魔物ではないのだから……


「グォォォォォォ!!!!」


『!!!』


ラトクは思わず目を見開いた。


フォレストベアーが、吠えた。


まだらな緑色の毛が、びりびりと針のように尖っている。


完全に臨戦態勢だった。


その吠え声を受けて、びくりと体を震わせたのはラトクだけではない。


辺りの紫ラッパ花を無茶苦茶にしていたフタツノ兎。


吠え声を聞いて、自分よりも格上の魔物がいることにようやく気が付いたフタツノ兎は、その場にごろりと横になった。


死んだふりなのか、恐怖による反射的行動なのか。


理由は分からなかったが、ラトクには、効果的な動きに思えた。


戦わない意志をあれだけはっきりと示せば、草食で、争いごとを好まないフォレストベアーは、すぐにでも去っていくだろう。



ブンッ。


『……え』


ザシュッ。


ラトクは言葉を失った。


フォレストベアーは太い腕を勢いよく振り上げ、フタツノ兎へと、鋭い爪を振り下ろしていた。


鋭い痛みを受けて、飛び跳ねるように動き出すフタツノ兎。


だがフォレストベアーには、容赦する様子がない。


爪を突き立てたまま、力づくで抑え込んでいる。


やがてフタツノ兎は、観念したように、動かなくなった。



ラトクは大木の裏で、呆然と立ち尽くしていた。


恐怖よりも、目の前の状況が信じられないという気持ちが勝っていた。


エルフである祖母に手を引かれて、子供の頃から親しんできた森。


そこには様々な魔物が生息していたけれど、それぞれの種には、それぞれの生き方があった。


その常識が、目の前でひっくり返される。


だが次の瞬間には、さらに信じられない光景がラトクの目に飛び込んできた。


『……!!』


フォレストベアーが、フタツノ兎の胴に噛みついた。


『食べてる……?』


何かに急き立てられているかのように、何度も、何度も、激しく噛みついている。


口の周りの美しい毛が、見る見るうちに血で汚れていく。


『いや、食べているんじゃない』


その光景に見入ったラトクは、兎の肉が、熊の口の中に消えていっていないことに気が付いた。


フォレストベアーは、肉に牙を立ててはいる。


しかし決して食している様子はない。ましてや、血を飲んでいるという風でもなかった。


『ただ噛んでいるだけ……』


不可解な行動を、狂ったように繰り返すフォレストベアー。


理解を超えたその姿に、ラトクは目を離すことができない。


と。


大柄な緑色の熊は、ぴたりと動きを止めた。


付着した血で、鈍く光っている鼻。


それを真上にあげ、くんくんと動かしている。


それからゆっくりと、こちらに首を動かした。


瞬間、ラトクは自分の存在を思い出した。


『しまった』


フォレストベアーの口から、大きな牙がのぞいている。


「グォォォォォォ!!!!」



頭の中で言葉になるよりも早く、ラトクの体は判断を下した。


矢筒に手を伸ばし、指の感覚で、ある一本の矢を選択する。


それは、普段、ラトクが狩りでほとんど使うことのない特別な魔法矢。


矢を放つ者の魔力を吸い取って強力な痺れ魔法を発動する、攻撃性の高い矢だった。



「我が魔力を、この一射に委ねる」


ラトクの呟きに応じて、矢の先が鈍く光った。


『外すわけにはいかない』


矢に組み込まれている魔法は強力なもので、その代償も、決して小さなものではなかった。


放てば、かなりの魔力をもっていかれ、しばらくはまともに動くことすらできなくなる。


ゆえに、必ず当てなければならない。



生きるか、死ぬか。


正面から襲いかかってくる尋常ならざる様子のフォレストベアーを見据え、ラトクは腹を決めた。


生死の瀬戸際に立たたされた一人の射手は、魔法矢を放った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

底辺「解毒士」でしたが、一夜にして国を救いました。褒賞金の金貨1000枚で、不遇スキル持ちたちと薬屋始めます! Saida @saida_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ