エピローグ② 月魄を恋う
弱々しい月明かりが、ぼんやりとお屋敷を照らしている。
日本の時空管理官事務所から、異界の王都(食堂の地下室)に転移したのは、まだ昼前のことだった。
その後すぐ、小型船外機をとりつけた小船で白珠島へ渡った
二人は闇に溶け込むような黒の上下に身を包んでいる。
「俺は地下牢へ行って
仕事モードの蒼太はにこりともせずにそう言って、闇の中に消えて行った。
夏乃はため息をついて、手の中の小型スプレーを見つめた。一吹きで二人の門番が眠ってしまうほど強力な睡眠スプレーだ。
(これが悪用されたら大変だな……)
ただでさえ、月人は命を狙われているのだ。
今この時に、もしも、この島に刺客が紛れ込んでいたら大変なことになる。
「異状ないか?」
「はっ、ありません」
ちょうど交代する時間だったのか、回廊の先から警備兵の声が聞こえ、夏乃は一瞬固まった。
(ヤバイヤバイヤバイ)
慌てて回廊から降り、庭木の影に隠れながら三階建ての御殿を目指す。
ここで侍女として働いていた時は、御殿の入口を守る兵士にも顔パスで通してもらっていたが、あれから半年以上たっている。もし兵士に見つかれば不審者として捕まるか、最悪、切って捨てられるに違いない。
不安と恐怖で
(一目だけでも、月人さまに会いたい!)
その思いだけで、
月人のいる御殿はもうすぐそこだ。
風の流れを確認して、入口に立つ警備兵に向けてスプレーを撒く。しばらくすると二人の兵士は膝から崩れ落ち、扉の前に転がって眠ってしまった。
(ごめんね……)
心の中で謝罪し、そっと御殿の扉をくぐる。
扉を閉めきってしまえば燭台ひとつない廊下は真っ暗闇だが、胸ポケットから暗視メガネを取り出してかければ、暗いながらも歩くのには困らないほどの視界が確保される。
夏乃は足音を立てないように気をつけながら、廊下の先にある階段を上った。
控えの間を通り、月人の部屋へ侵入する。
部屋の中は夏乃の記憶と少しも変わっていなかったが、月人人形は不要になったのか見当たらなかった。
(冬馬さまは……いない)
ホッと胸をなで下ろし、物音を立てないように気をつけながら寝台に近づく。
広い寝台の上に、月人が静かに眠っていた。
記憶の中と変わらぬ白い面輪が、闇の中に浮き上がって見える。
月の妖精のような儚げな美しさに、束の間、目を奪われる。
(ああ……月人さまだ)
胸がきゅんと高鳴った。
嬉しいような泣きたいような、言葉に出来ない感情が込み上げてきて、夏乃は思わず両手で口を押えた。
月人の寝顔を見ているうちに、夏乃は何だか申し訳ない気持ちになった。
自分が記憶を消されるのは嫌なのに、今から月人の記憶を消そうとしているのだ。
(ごめんね……月人さま)
そっと右手を伸ばし、朔から渡された薬を月人の口元へ持って行く。目薬タイプの薬液を口の中に数滴落とす。
(任務完了)
名残惜しいけれど、いつまでもここにいる訳にはいかない。この仕事を続けていれば、いつかまた月人の顔を見る機会もあるだろう。
(暁さんみたいに、常駐出来るといいんだけど……)
何もかも本採用になってからの話である。
そもそも、夏乃にはまだ高校生活が一年まるまる残っているのだ。
「また来るね……」
そう呟いて踵を変えそうとした時、いきなり腕を引っ張られた。
「わっ!」
月人が回転するように体を起こし、いつの間にか夏乃は寝台の上に押さえ込まれていた。
月人の銀色の髪が、夏乃の顔にかかる。
暗視メガネのせいで、紫色の瞳までくっきりと見える。
「夏乃……どうして戻って来た?」
「えっ、何で? 薬は……」
「そなたたちの薬は、私には効かないらしい。いや、薬だけじゃないな。睡眠薬入りの酒もあまり効かなかったし、死の呪いだという狗毒も私の姿を犬に変えただけだった。私の母が異国の魔女だという噂は、案外本当なのかも知れないな」
月人はそう言って、投げやりな笑みを浮かべる。
夏乃が呆然としていると、笑んでいたはずの月人の目が、スッと細められた。
「あの日、私がどんな思いでそなたを帰したか、わかっているのか?」
「ごめ……んなさい。でも、暁さんが……捕まったから」
予想外の展開に気が動転して、声まで震えてしまう。
「なるほど。私の行動がそなたを引き寄せたという訳か」
月人の瞳から殺気が消えた。同時に、夏乃の上から身を引いてくれたので、夏乃は慌てて起き上がり、寝台の上に月人と向かい合うように座った。
「もう二度と会えないと思っていたが……そなたに会えて嬉しい」
暗視メガネを外され、月人の両手がそっと夏乃の顔を包む。
触れられた頬が熱くなり、それが目頭まで伝染して涙がこぼれた。
「あ……あたしも、月人さまに会えて嬉しいです!」
感極まって抱きつくと、背中に回った月人の腕がぎゅっと夏乃を抱きしめてくれた。
自然に口づけを交わせば、いつの間にかまた寝台の上に押し倒されてしまう。
七つ道具が装備された黒い上着を脱がされそうになって、夏乃はようやく我に返った。
「わっ、ちょっと待って! まだっ、まだダメなんです!」
慌てて押し退けると、月人はため息をつく。
「そなた……私の元に忍んで来るにしては、ずいぶんと無粋な衣装だな。以前の制服とかいう衣装の方がまだマシだったぞ。これでは脱がす気も失せる」
そう言って、月人は夏乃の上から身を起こした。
夏乃が着ている潜入用の黒の上下は、動きやすいパンツスタイルだ。無粋と言われたら確かに無粋かも知れない。
とりあえず笑って誤魔化しながら、夏乃は月人から距離を取った。
「前みたいにここで働くのは無理ですけど、時空管理局に就職できれば、時々はこちらにも来られるかなって……それまで、待っていてくれますか?」
「それは、また私の前からいなくなるということか?」
月人の顔がみるみる曇ってゆく。久しぶりに見る、耳の垂れた黒犬のような顔に、一瞬ほだされそうになってしまうが、夏乃は口を引き結んで頷いた。
「はい。それが、今のあたしにできる精一杯なんです! あたしの世界には遠距離恋愛ってゆーのがあって、遠く離れていても、気持ちは離れないって言うか……」
顔を真っ赤にしてしどろもどろになりながらも、夏乃は自分の気持ちを伝えようと一生懸命言葉を紡いだ。
月人の傍にいたい。
淋しがり屋のこの人と共に生きたい。
でも、祖父をひとりには出来ない。
育ててもらった恩返しはこれからなのだ。
だから、夏乃にとって、時空管理官の仕事は降って湧いたような僥倖だった。
「そうか……寂しいが仕方がないな。今宵はこれで我慢する」
月人は夏乃を両手で抱きしめると、そのままゴロリと寝台に横になった。
「ありがとう……ございます」
月人の温もりに包まれて、夏乃の頬がへにゃりと緩んだ。
了
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☆最後まで読んで下さってありがとうございました<(_ _)>ペコ
近況ノートに「月魄裏話」を載せました「揺籃の国」がらみの裏話もあるので、お暇な時にでもチラッと覗いてやってくださいませ|д゚)チラ
https://kakuyomu.jp/users/reo-takino/news/16817330656507760346
月魄を恋う ~初めて恋した人は異界の王弟でした~ 滝野れお @reo-takino
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