第22話 仮病

 朝のホームルームが終わると同時に、教室の空気が一変した。さっきまで静かに担任の小池の話を聞いていた生徒たちが、待ってましたと言わんばかりに口々に話し始める。


「今日のエミリオの講演、マジでヤバいんじゃね?」


「実演あるって聞いたけど、どこまで見せてくれるんだろうな?」


「あぁ、参加出来る奴らが羨ましすぎる」


 クラスメイトたちは皆、興奮を抑えきれない様子だった。どこもかしこも「六位」の話題で持ちきりだ。


 エミリオ・サンチェス・モンテロ——世界屈指の能力者。この業界において彼の名前を知らぬ者はいない。強者たちの頂点に立つ者の一人であり、しかも彼は表舞台に頻繁に姿を見せる数少ない九華煌武の一人だ。


「お前、エミリオの動画とか見たことあるか?」


 弥生が尋ねてくる。


「いや、ない」


「マジかよ……異能関連の動画、結構流れてるぞ? トークショーやってるだけあって論理的で面白い」


「俺レベルになるとな。実力が違いすぎる相手は下手に参考にするより、憧れとしてモチベーションにするんだよなぁ」


「へぇ、珍しいこと言うのね」


 膤が小さく首を傾げる。俺は苦笑しながら続けた。


「例えば対戦ゲームなら、キャラごとに決まった動きがあるから、上手いプレイヤーを真似すれば理論上は同じ動きができる。でも、人間はそもそも個体差があるだろ?」


「じゃあ、自分に近い奴を参考にすればいいじゃん」


 弥生が鋭く切り返す。


「それでモチベーションが維持できるなら、それもありだと思うよ」


「モチベかぁ……言われてみれば、俺とエミリオじゃ実力差以前に異能の方向性が違うし、目標というより憧れだよな」


 弥生は納得したように頷く。


「それにさ、俺らはエリートかもしれないけど、所詮は学生レベルの話だろ? 堅実に行こうぜ、堅実に」


「でも、学生の域を超えて活躍してる奴もいるぞ? ほら、一位とか。コードからして中高生のはずだろ?」


「じゃあ、お前は一位の活躍を見たことあるのか?」


「……いや、ないけど」


「活躍、ね」


 膤がくすくすと笑った。けれど、その目はまったく笑っていない。……無言の圧を感じる。


「う、うす」


 思わず変な返事が出た。膤の視線がまるで「一位についてこれ以上触れるな」と言っているように思える。


「でも、思考を吸収するのは大事よね」


「確かに。自分に合わなくても、そういう考え方があるって知っておくだけで、いざというとき役に立つかもしれないし」


「怖っ、漆輝がまともなこと言ってる。明日は雨か?」


 弥生がニヤリと笑う。俺は適当に肩をすくめて流した。


 そんなエミリオが、今日は特別に「異能戦闘論」の名目でトークショーを行う。しかも、ただの講演ではなく、実際に異能の実演を交えたものになるらしい。普段は簡単に会えるような存在ではないだけに、興奮しない方が無理な話だ。


 とはいえ、誰でも参加できるわけではない。事前に成績優秀者の中から三十人ほどが選ばれ、彼らだけが「公欠」として、参加希望者から選ばれた大学生に混じり講演を受けられる。異能の強さだけでなく、学業成績が一定の基準を満たしていることが条件だったため、参加できるのは極限られた生徒たちだけだ。


「うはー、でもやっぱ楽しみだな!」


 弥生が珍しくやたらとテンションを上げながら言う。普段はそこそこ冷静な彼だが、今日ばかりは興奮を隠せないようだった。


「ほんと楽しみね」


 膤の穏やかな声が響く。落ち着いた態度とは裏腹に、彼女の瞳もどこか期待に輝いていた。

 そんな二人に囲まれながら、俺は机に突っ伏したまま重いため息をついた。


「……はぁ」


 心の底からの落胆。なぜなら俺はその講演に参加することが認められなかったからだ。


「なんで俺は行けねぇんだよ……」


 そう呟くと、弥生が呆れたようにこちらを見下ろしてくる。


「いや、お前さっき参考にならんって言ってただろ。それにシンプルに座学の成績悪いじゃん」


「……ぐっ」


 痛いところを突かれ、言葉に詰まる。


 そう、選ばれた三十人というのは、基本的に尋徳生徒の成績優秀者。弥生と膤は、当然のようにその枠に入っていた。二、三年も合わせて三十人なのになんなんだこいつらは。


「異能の実力だけで選んでくれよー」


「座学も実力のうちよ」


「くそー、俺だって生でならエミリオの話を聞きたかったのにー」


 机に突っ伏しながら悔しさを噛み締める。

 確かに、俺の成績はこの学校では良くない。悔しいが認めよう。


 だが、異能戦闘の講演に必要なのは学力じゃなく異能の実力じゃないのか? 実力であればおそらく漆輝の積み上げた実技の成績なら、余裕で基準を満たせていたのではないか? 何のための能力者だよ、と愚痴りたくもなる。

 まぁ、俺自身の実力でいえば、余裕で満たしてないんだけど……。


「でも、実演は動画撮ってきてあげるわよ?」


 膤がふとそんなことを言い出した。


「マジ?」


「えぇ、もちろん」


「おぉ! 膤ちゃん、神か?」


「別にそこまで言われるようなことじゃないわ」


 膤は苦笑しながらも、確かに撮影してくれると約束してくれた。


「膤さんが撮る動画は観るのな」


「そりゃあ、わざわざ俺のために手間かけてくれるって言ってるのに観ない奴いる?」


「おぉ、漆輝にも心はあるんだな」


「弥生、それは流石に失礼よ。彼にも心はあるわ。人の心がないだけで」


「お前らさぁ……」


 二人は声を合わせて笑っている。

 膤が撮ってきてくれるのはもちろん嬉しい。だが——。


「でもなぁ、動画じゃなくてやっぱり生で見たいよなぁ……」


「そこまで言うなら、次からちゃんと勉強するんだな」


 弥生が肩をすくめながら言う。


「くそっ! 俺にもっと時間があれば、きっともう少しなら成績を上げれたのに。もうね、アボカド。バナナかと」


 そもそも俺は高校で習う範囲の基礎すら忘れているのに問題は所謂進学校相当。初登校した日にテストの存在を知らされ、数日後に直ぐにテストだなんて無理ゲーだ。


「その古のネタをいまだに使ってる奴がいるとは。てか、少しくらい上がっただけじゃ無理だぞー」


 弥生の無慈悲な言葉に、俺はまた溜息をついた。


「……どうにかならねぇかな」


 弥生は俺の隣で腕を組み、俺の様子を見ながら考えていた。そして、何かを思いついたように提案してきた。


「しゃーない。連れション行こうぜ」


 弥生に連れられトイレに向かった。


「なぁ、漆輝」


「ん?」


「お前、別に途中で抜けてもバレねぇんじゃね?」


 弥生が小声で言った瞬間、俺の中の思考が一瞬停止した。


「……は?」


 何を言い出すかと思えば、まさかの授業を抜け出す提案。弥生の顔をまじまじと見つめるが、本人は至って真面目な顔をしている。いや、真面目というより……ちょっと楽しそうだ。


「お前さ、三十分受けてりゃその授業は出席扱いになるだろ?」


「あぁ、まぁな」


「だったら、残り二十分くらい抜けたところで問題ないだろ」


「……いやいや、普通に問題あるだろ」


 俺が呆れたように返すと、弥生はニヤリと笑った。


「大丈夫、大丈夫。そろそろ実演しそうだなって雰囲気を感じたら俺がメールしてやるからさ。その時に『お腹痛いんでトイレ行きます』って言って抜ければいい」


「……お前、それ完全に仮病じゃねぇか」


「そりゃそうだろ? でも、考えてみろよ。先生だってわざわざトイレまでついてくるわけじゃねぇし、二十分も戻ってこなかったところで『大丈夫か?』くらいしか思われねぇよ」


 弥生はそのまま捲し立てて続ける。


「もし、あとで詰められたら、『そんなに僕のうんこ気になりますか?』とでも言っておけばいい」


「……」


 言われてみれば、確かにそうかもしれない。俺の根が真面目くんすぎて盲点だった。今の俺に足りないのは、授業を抜けるための「大義名分」だ。普通にサボれば即バレするが、仮病なら怪しまれずに抜けられる可能性はある。


「どうする? このままおとなしく授業受けてるか? それとも、一世一代の大勝負に出るか? 今こそギャンブラーの顔を見せるときだぞ」


 弥生が俺の肩をポンと叩き、悪友特有のニヤリとした笑みを浮かべる。


 俺はしばらく考え込んだ。別に俺が行かなくたって、膤が動画を撮ってきてくれる。それで十分だと言い聞かせれば、ここで無理に抜け出す必要はない。……でも、本当にそれで満足できるのか?

 世界屈指の能力者が直々に異能戦闘について語り、実演までしてくれるというのに、俺は動画で済ませるのか? 実際にその場で肌で感じるのと、画面越しに見るのでは、得られるものが違うのは明らかだ。


「……マジでやるのか?」


「おう、やるなら早めに決めとけよ?」


 俺は息をついた。


「……やるしかねぇよなぁ!」


 その言葉を聞くなり、弥生はニヤリと笑った。


「おっし、決まりだな」


「だけど膤ちゃんにはバレんなよ? 妙に勘が鋭いからな」


「分かってるって。膤さんにバレたら俺まで共犯扱いされるからな」


「共犯というか主犯じゃねーか」


「まぁ、上手くフォローしてやるよ」


 弥生はそう言いながらガラケーを取り出し、何かを打ち込んでいる。


「何してんの?」


「抜けるタイミングを見計らうための準備だよ。どのタイミングで実演するのかで、授業を抜け出したり戻るタイミング変わるだろ? ありそうなパターンを箇条書きしてる」


「まるで、悪知恵の擬人化だぁ」


「慎重にやるからこそ成功するんだよ」


 まったく、素晴らしい幼馴染を持ったもんだ。


「作戦の概要はこうだ」


 弥生がガラケーをしまい、真剣な顔で話し始める。


「まず、俺がそろそろってタイミングでメールを送る。それを確認したお前はタイミングを見て手を挙げ、体調不良を訴える」


「お腹痛い、で本当にいいのか?」


「いけるいける。『ドライカレー通り越してスープカレーのタイプっぽいです』って付け加えれば、さらに抜け出しやすいかもな」


「ったねぇな……。トイレでうんこの話するなよ」


「トイレだからだろ」


「で、俺はそのまま会場に向かう、と」


「正解。会場前に着いたら俺にメールしろ。確認したら俺がトイレに行く体で一旦会場を出るから、会場に戻るタイミングでさりげなく紛れ込めばいい。エミリオの実演が始まれば、先生たちもそっちに気を取られてるだろうしな」


 うーん、実にシンプルで完璧な計画じゃないか。俺は思わず弥生を見直した。


「どうして俺みたいな真面目が服を着て歩いてるような男に、こんな悪友がいるんだろう」


「鏡みろ」


「弥生くん大変だ、鏡の中に美少年がいるよ!」


「うぜー」


「ま、成功したら駄菓子のラーメンくらいなら奢ってやるよ」


「せめて本物のラーメンにしろ」


「なんにせよ、持つべきものは優秀な幼馴染だ」


 固く握手を交わした。


「おうよ。泣いて喜び、今後俺に足を向けて寝るんじゃねぇぞ」


「恩着せがましいな」


「実際恩を売ったしな」


 弥生は自信満々に笑う。


「そういうのは無事成功してから言ってもらっていいっすか?」


 俺は戯けながらも、握手した手を離す。あとはこいつの計画が成功するのを祈るだけだ。

 俺たちのトイレでの密談が一段落し、教室に戻ると膤の溜息が聞こえてきた。


「ほんと、バカなことばっかり考えてるんだから」


 呆れたような、しかしどこか諦めたような口調。俺と弥生はビクッと反応した。


「……ん?」


 俺は内心焦りながら、膤の表情を伺った。バレたのか? いや、バレたというより……半分以上は気付かれてるような気がする。


「……何か企んでるでしょ?」


「なんの話?」


「今日、漆輝体調が悪いんだってさ」


「ふぅん?」


 膤の視線が鋭くなる。ヤバい、これは完全に疑われてるパターンだ。

 弥生が何とか誤魔化そうと口を開く。


「女子には聞かせられない秘密の男子トークだよ」


「秘密の時点でアウトじゃない?」


 俺は慌てて話を逸らす。


「そんなこと言ったら俺なんてアウトの塊になっちまうー」


「そうそう、秘密がない人間なんていないもんな」


 弥生が全力で乗っかる。


「へぇ?」


「授業をしっかり受けて、しっかり学んで、しっかり身につける! これこそが学生の本分!」


「それを言うなら、サボる計画立ててないで普通に受ければいいじゃない」


 膤の的確な言葉に、俺は返す言葉を失った。


「バレとるやないかい」


 弥生がツッコミながら白状した。


「はぁ……もういいわ。どうせ止めても無駄でしょ?」


 膤は呆れたように目を閉じ、そっぽを向いた。


「人間、痛い目を見ないと学べないんだよなぁ」


「せめて、ちゃんとバレずにやりなさいよ」


「はい」


 まさかの許可が出た。というか、膤はなんで気付いたんだ? 漆輝を側で見てきた故に行動パターンを読めたんだろうか。


「でも、もし先生にバレたら——」


「バレたら?」


「知らないふりするから」


「あぁ、それは俺も」


「薄情者! そこはさぁ! 一蓮托生、死なば諸共だろ?」


 二人とも「何言ってんだ?」とでも言いたげな顔をしている。

 ……まぁ、いい。とにかく計画は決行だ。目指すは講演。

 待ってろエミリオ、この俺様が「華麗に、果敢に、完璧に」来訪なさってやるからな!

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