第1話 浅き夢見し
喉の渇きで目が覚める。
小気味良く食材を切る音が微かに聞こえる。起き上がろうとするが、寒くて布団が俺を離さない。二度寝をしようと目を瞑るが身体が水分を欲して眠れない。仕方なく伸びをして起き上がり、寒さと眠気と戦いながら水を求めキッチンへと向かう。
キッチンで母が雑煮を作っている。
「
と起きてきたことに気付いて声をかけてきた。
「喉が乾いてるから水飲んでからそうするわ」
コップを手に取り水を汲み喉に流し込む。喉が潤い水の冷たさで本格的に目が覚めてくる。一杯では足りず二杯目を続けて飲み干し着替えるために自室に戻る。
部屋にあるはずの着替えが入ったスーツケースを探すが見当たらない。
「あれ? リビングに置きっぱなしだったか?」
再び一階へ降り、スーツケースを探す。
その姿を見て母が、
「漆輝何キョロキョロしてるの?」
「いやスーツケースを探してるんだけど……ん? 漆輝? 漆輝って何?」
「あんたの名前でしょ……部屋に服あるんだからアホなこと言ってないで早く着替えてきなさい」
新年早々からダル絡みか?
漆輝……。小学生の頃に自分の名前の由来を親に聞き発表する授業があった。確か両親から聞いた話では漆輝という名前候補があり、熟考の末に栄燈に決めたと言ってたような……。まあいい、先に着替えだ。どこか洒落たところに行くわけでもないし昔の服でも着ておくかと思いながら部屋に再び戻った。
冷え切った部屋で服を脱ぐと指輪に紐を通してあるネックレスを身に付けていた。起きてから胸元に異物感があると思ってはいたが、
「なんぞこれ?」
指輪部分を摘みながら見てみたが、そもそも買った記憶がないし身に付けた記憶もない。
「雑煮できたよー。起きろー」
キッチンから母の声が響いてきた。急いで着替えを済ませ、朝ごはんを食べにダイニングへ向かった。
食卓には既におせち料理と雑煮が並んでおり、母に起こされた父がのそのそと起きてきて席に着こうとしていた。
「あれ?
「友達と初日の出見に行くって一番早くに起きて出かけた」
「寒いのによーやるわ。いただきまーす」
朝食を食べ終わり洗面所に向う。歯ブラシに歯磨き粉をつけ口に含み磨きながら鏡を見た。
「ん?」
鏡に写る自分に違和感があった。顔がいつもより若々しい。
「肌に気をつけ始めた効果がでてきたのか?」
望に勧められて始めてみた美容液も案外やってみるものだなと感心したのも束の間、
「おいおいおいおい、片目が変色してるぞ……。やべぇなんだこれ」
右目の虹彩の色が灰色になっていた。パニックになり冷や汗が出てくるのを感じる。恐る恐る左目を手で隠して変色してる右目に視力があるのかを確認した。
「……ちゃんとあるな。白内障……は黒目だから関係ない……のか?」
視力に異常がなさそうだと判断し、歯を磨き上げて一旦保留にし身嗜みを整えた。
リビングで食事を終えた両親がテレビを観ている。おそらく若手であろう芸人が口から火を吹く派手な芸をしていた。過酷そうだが売れるための下積みとして必要な経験なんだろうか。いや一応テレビに出れてるだけ既に上澄みではあるのか?
「おーいちゅうもーく、ねぇ俺の目さ、なんかおかしくね?」
「何? ものもらいでもできたの?」
「いや、ほら色……」
「何もおかしくないじゃない。ねぇ?」
「俺らと同じ焦茶色だろ。なぁ?」
なんと薄情な両親なんだろうか。数年合わなかった間に息子の顔を忘れたのか? いやそれにしたって片目の色が明らかに違うんだ。例え数年越しでも気付くだろ普通。
「そんなことより今日いつもより気合い入ってるじゃん」
母の意図が分からず思わず聞き返す。
「何が?」
「何がって髪の毛」
「ん? 社会人になってからだいたいこんな感じだったろ」
父がニヤニヤした顔で、
「なーにが社会人だ。照れてるからって言い訳が下手だなお前は」
「……」
小馬鹿にしてる顔がうぜぇ。そしてマジで話が噛み合ってない。
「膤ちゃんとデートなんだからそれくらいしないとね」
「ちょ、ちょっと待って膤ちゃんって誰だよ。え、何? もしかしてその膤ちゃんって子とお見合いでもさせるために俺を帰って来させたのか?」
母の言葉に混乱した。
「はぁ? 何言ってんの? あんた今日おかしいよ。大丈夫?」
「じゃあ膤ちゃんってなんなんだよ!」
両親が不思議そうに顔を見合わせている。そして父が答えた。
「お前の婚約者だろ」
俺の血の気が引いたと同時にピンポーンとインターホンが鳴った。
インターホンのモニターで母が来客を確認し、俺に対応をするようジェスチャーをした。
しぶしぶ玄関に向かい、
「はーい」
と返事をしながら扉を開ける。
「ハッピーニューイヤー! 今年もよろしく!」
突如浴びせられるあまりにネイティブな発音。そこには着物を着た長髪の高校生くらいの氷肌玉骨な女子が立っていた。
「……えっと、あけましておめでとう?」
不覚にも言葉が詰まり語尾が上がってしまった。
「なんで疑問形なのよ。朝から何度も電話やメールしても出ないから寝坊してないか見定めに来ちゃった。あら、右……。とりあえず外寒いからお邪魔させてもらうわね」
「あ、はい」
言われてスマホを携帯していないことに気付いた。
「お邪魔します」
育ちが良いのか
両親と会話が済んだのか膤が俺に、
「九時には出発をしたいんだけど」
時計を見ると時刻は八時五十五分。
「あ、あぁ、スマホとってくるから待ってて」
そう言って部屋へと向かいながら心の中で嘆く、いつのまにか初対面の人と初詣行く気不味さを。
ベッドに置いてあるはずのスマホを探す。充電コードの先にあるスマホを見つけ異変に気付く。
「え? サイズが二回り小さい。これ昔の……」
と言いかけたところで朝から気にしないでいた違和感たちが嫌でも繋がっていく。頬をつねると痛覚が俺に夢ではないと訴えかけている。
「もしかして俺パラレルワールドにでも来ちゃった?」
スマホの画面には確かに膤からの通知が届いていた。
「はやくー!」
玄関から膤の声が響き渡り、部屋を出た。彼女の待つ玄関へと階段を降りる音が響く中、俺は困惑と興奮に胸を膨らませながら、懐かしのスマホから目が離せなかった。
玄関扉を開けると外の空気が俺を迎え、風が冷たく吹きつけ、耳は凍りつくような痛みを感じた。その痛みは、改めてこれが現実だということを痛感させるには十分だった。
「早く車に乗って」
催促する声の方を見るといかにも金持ちが乗っていそうな高級車が停まっていた。俺自身投資で儲けていたとはいえ一生乗る機会がないと思っていたタイプの車だ。小金持ちになったとはいえ所詮、根は庶民。たまにしか使わない車なんて金の無駄でいらないし、ましてや高級車なんぞもってのほか。タクシーで必要なときに足を確保するに限る。
膤が後部座席のドアを開けて早く早くと手招きしている。
「ごめんよ遅くなって。朝から大分驚きの連続でさ、寝不足で頭が回ってないみたい。悪いけど着くまで寝てもいい?」
運転手に挨拶を済ませ、そう言いながら彼女の隣に座った。
「しょうがないわね。着いたら起こしてあげる。だから寝ていいわよ」
礼を言い目を閉じた。実際眠くなんてない。とりあえず目的地に着くまでに現状のトンデモ現象やこれからの身の振る舞い、隣の女との付き合い方を寝たフリをしている間に考えよう。そう思った。
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