第33話 決着
***
その部屋を訪れた者たちはたいてい同じ第一印象を抱く。
まるで宇宙だ、と。
床も壁も天井も黒い大理石に囲まれて、太陽は射し込まずひんやりとした空間。部屋の奥には竹が何本か植えられており、壁には満月を
その手前に置かれた革のソファに長い脚を組んで座る人物が一人。
ゆったりとした長い金髪に、金色の瞳。シュッとした長身にスーツ姿がよく似合う。顔つきは男性とも女性ともとれる神秘的な容貌で、見るものすべてを魅了する。
彼、あるいは彼女。
その名は
日本最古のおとぎ話とされる『竹取物語』のかぐや姫の末裔であり、現代御伽術師たちを束ねる「全日本御伽術師協会」のトップである。
「それで、最近彼はどうしているかな」
輝良は部下による面倒な協会業務の進捗報告を聞き流した後、何気なく尋ねた。
「彼とは……?」
「ほら、協会の権力で悪質な動画をもみ消したことがあっただろう。彼だよ、彼」
「あ、ああ! 十代目花咲師の桜庭灰慈くんのことですか」
輝良は膝に肘をついて両手の指を組み、ニッコリと笑って見せる。目尻が長いせいもあってキツネを思わせる表情だ。
「そう、彼。灰慈君だよ。まったくあの動画には困ったよねえ。あんな風に公の場で能力を披露されちゃ、どこから狙われたか分かったもんじゃない。海の外には御伽術師の能力を喉から手が出るほど欲している
「ええ、ええ。そうですね、まったく……! 近頃の若者はネットリテラシーがなっていないというか、ははは」
部下は愛想笑いで誤魔化す。遠回しに責められていることを分かっているからだ。花咲師との連絡担当は彼である。事前にああいうネットに出るような活動を控えなければいけないのを伝えていなかった非は彼にあった。
そんな部下の胸の内などお見通しなのだろう。
輝良は「はあ」と溜息を吐いてひらひらと手を振った。
「もう行っていいよ。君と話していても面白くない」
部下がおどおどと出て行ったのを見届けて、輝良はタブレット端末にある動画を映す。協会で保管している、例の削除済み動画のアーカイブだ。そこに桜髪の少年が登場すると、輝良の金色の瞳が好奇に輝いた。
「桜庭灰慈君、か」
片肘を肘掛けにつきながら、口角を吊り上げ笑う。
「先代の灰ノ助にはしてやられたからね。さて、君はどうかな。私たち御伽術師の未来に貢献してくれる子になるかな……?」
彼あるいは彼女と、若き花咲師の邂逅は……まだ、先のお話。
***
梅雨が明け、自分たちの出番だと言わんばかりに蝉が一斉に鳴き始めた。夏本番はこれからだというのに、早くも夕涼みが恋しい季節。
「じいちゃん、久しぶり」
じいちゃんの墓に花を供え、灰慈は両手を合わせる。
「花葬りを始めてから、色んなことがあったよ。見ててくれたかな?」
語りかけながら、灰慈はこの数ヶ月間のことを思い出していた。
スズラン。プルメリア。竹の花に、白いカーネーション。
命の数だけ死があって、そして死の数だけ送る人がいる。
一つとして同じものはなく、皆様々な想いを抱えている。
「僕ね、正直けっこう焦ってたんだ」
灰慈は素直に告白する。
「じいちゃんがいなくなっちゃって、花咲師はこの世で僕一人だけになった。じいちゃんが見せてくれた花葬りがあまりに印象的だったから、早く追いつかなきゃ、お手本の姿を覚えているうちに後を継がなきゃって必死だった。……けど、間違ってたみたい」
一つとして同じ死はないのだから、同じ花咲師と言ってもじいちゃんと同じ道を歩むことは不可能だ。出会う人々ひとりひとりに向き合っていくしかない。それが花咲師の仕事なのだと、この数ヶ月で灰慈は彼なりに解釈していた。
「あと、じいちゃんを花葬りしてあげられなかったこと、ずっと後悔してたけど……今は仕方ないかなって思える。だってじいちゃん、僕のこと大事に想ってくれてたろ。そんなの聞かなくたって分かるよ」
灰慈ははにかんで笑った。
直接言葉で聞けなかったとしても、じいちゃんが灰慈にしてくれたことの数々が心にちゃんと残っている。
だからもう、大丈夫だ。
灰慈は立ち上がり、墓地を後にする。
階段を降りると、待っていたツヅラがこっちに向かって気だるそうに手を振ってきた。
「ごめん、待たせた」
「構わないよ。お墓のあたりって意外と野鳥スポットだったりするんだよね」
そう言って、灰慈が墓参りしていた間に撮ったであろう写真を一眼レフのモニターでほくほくと確認する。
それから二人は春日向商店街方面へ向かうバスに乗りながら他愛もない話を交わした。
先日の定期テストはどうだっただの、夏休みの予定はどうするだの……。
「ところで水川さんって今後どうなるの? 今はしばらく学校休んでるみたいだけど、灰慈何か知ってるでしょ」
ツヅラが不意に話題を変えてきたので、灰慈は口に含みかけていた水筒のお茶をこぼしそうになる。
「な、なんで僕が知ってると思うんだよ」
「だって少なくともうちの学校の中じゃ灰慈が一番あの人と仲良いだろ」
「だいたい、普段他人に興味ないくせになんでわざわざ雪乃さんのことだけ聞いてくるかな」
「親友と仲良い人のことに対して興味があっても別におかしくない……って、あ」
ツヅラはハッとして口元を覆うと、それから愉しげに目を細めて。
「雪乃さんって言った?」
「言ってない」
「言った」
「言ってない!」
「お二人、バスの中ではお静かにお願いしますね」
つい声が大きくなって、バスの運転手さんに注意されてしまった。
「なんだ。俺に言ってくれないだけで、すでにそういう仲になってるわけ」
ツヅラが声を落としながら拗ねたように口を尖らせる。
「そういう仲ってなんだよ。違うって。単純にお母さんとも知り合っちゃったから水川さんってのがややこしいのと、もしかしたら苗字が変わるかもしれないって話を聞いたからさ……」
それ以上詳しい話は聞けてはいない。
彼女も手続きやら引っ越しやらでバタバタしていて忙しいらしく、あの日以来一度も会っていないのだ。時々メッセージで連絡をくれるくらいである。
「へえ。そうなんだあ。へえ〜〜〜〜」
口元に手を当て、ちらちらと煽るように灰慈に視線を投げてくるツヅラ。
バスは間もなく商店街に到着する。
やられっぱなしでは腹が立つ。バスを降りたら最近風の噂で聞いたツヅラと仲の良い女の子について追及してやろうと意気込んだその時。
ぴこん、と灰慈のスマホの待ち受けに通知が浮かんだ。
彼女からのメッセージだった。
――今、お店来てる。これからもお世話になるから、よろしく。
たったそれだけのシンプルなメッセージ。
バスが着いたのと同時、灰慈は慌てて飛び出した。
夕焼け色に染まり、人がまばらな商店街の中を走って、走って。
やがて見えてくる桜庭花店。
その店の前で、母さんと談笑するもう一人。
「……あ」
足音に気付いたのか、彼女は振り向く。
そして灰慈に向かって。
「やだ、汗だくなんだけど」
ぎょっとしたように言う。
ひとこと目にそれかよ、と突っ込みたいが息が上がって声が出ないのが悔しかった。
よく見ると彼女の腕の中に「よくわかる フラワー装飾技能士試験」という本があった。
灰慈の視線に気づき、彼女は表紙を隠すようにぎゅっと抱きかかえて。
「……借りたの。勉強しようかなと思って」
それから、ぼそりと。
「誰かさんのおかげかもね」
と。
そう言って、そっぽを向く。
しかしその耳は夕陽の色のように赤い。
身体の内側からぽかぽかしてくるような、熱がじわりと湧き上がってくる。
もうすぐ夏だ。
そんな脈絡もないことがよぎりながら、灰慈は自分の胸がとくんと小さく跳ねるのを感じた。
〈第4章、および第1部 了〉
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御伽術師 花咲か灰慈〈長編版〉 乙島紅 @himawa_ri_e
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