カット場面 ―二拾陸と終章の合間―
【いきさつ】
先日、ごそごそと作業をしていて、謎のメモを見つけました。終章前の葵と匠のやり取りです。流れ的にはいらないかな、とさくっとカットしたものの、もったいないお化けが出て参りました。読みたい人いる?と訊ねてみたら、ありがたいことに読みたいというお言葉を頂戴したのです。
というわけで、今更ながらカット場面を追加いたします。
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葵は迷った末に、賭けに出た。
面会室に気だるげに入ってきた匠は片眉を器用に上げ、立ち上がって礼をする葵に席を進める。
「何だ、困り事でもあったのか」
葵は座らずに、目の前にどかりと座った男を見据える。
「佐久田さん、生きてますよね」
仕方ないとでも言う風に匠は目をすがめ、口に弧を描いた。眉間には皺が刻まれる。
「何言ってんだ、そんなわけ――」
「嘘です」
一文字に結ばれた口が開くよりも先に葵は繰り返す。
「嘘です」
人差し指で自身の眉間をさして。
こぼれ落ちるほど瞠目は幻かと思うほどの一瞬で匠の顔はすぐさま塗り替えられた。見据える瞳は猛禽類と等しく射殺さんばかりの鋭利な光を帯びる。ほんのひと欠片だけ見え隠れする好奇は、見るものに恐怖を抱かせた。
怯みそうになる葵は奥歯を噛み締めて耐える。ここを越えなければ、匠は口を開かない。
葵が引かないことを見てとった匠はもったいぶるように怠慢な動きで頬杖をついた。顎をあげ、細めた目は冷たくひどく愉しげだ。
「よくわかったな」
「とある先生に聞きましたから」
張りつめられた空気が一変して和らいだ。
は、と一笑した匠は腹を抱えて震えている。
「ほんっと、すんごい強運だな」
悪運の間違えではないかと言いかけた葵は口を挟まないでおいた。
笑いが収まったのか、収まっていないのか、髪をかきあげた匠は強者の笑みを浮かべる。
「言ったよな。余計な首をつっこむな、て」
「引き入れたのは匠さんでしょう」
不満を十二分に含んだ言葉が向けられても匠は笑みを深くした。口をゆがめ、試すように問う。
「いつだって言うんだよ」
「クィルターさんが、転びそうになった私を助けた時です」
葵は言い切った。まだ、かの人を鮮やかに思い描くことができる葵が、あの鳶色を見間違えるわけがなかった。
佐久田が姿を偽っているのであれば、残りは一人だけだ。
葵は震え上がりそうな手を握りしめ、かの人と同じ色を持つ匠を見据える。
対峙する瞳は、やさしい色を持つはずなのに暗い影で膜をはるように心の底を見せなかった。一瞬、一秒の無音が重くのしかかる。
匠はわずかに目を細め、重い口を開いた。
「どうして正体を明かさないのか、考えないのか」
考えないわけがなかった。どうして、姿を偽っているのか。どうして、真実を教えてくれないのか。どうして、助けてくれたのか。
きっと、葵を守るためだ。それぐらい、あの人が優しいことを葵は知っている。
目頭に力を込めた葵は、伏せていた瞼を上げた。
「正体が知りたいわけではありません。
それ以上は言えなかった。嗚咽がこぼれそうになるのを堪え、滴をこぼさまいと匠を睨むような形になった。
返ってきたのは、ため息だ。怒られるの誰だと思ってんだよ、と溢した匠は葵に視線をやった。これ見よがしにもう一度、ため息をついて片方の口端を上げる。
「負けたよ。で、どうしたいんだ」
「願い事を聞いてもらいたいだけです」
「聞いてもらえないかもしれないぞ」
「きっと聞いてくれます」
さみしそうに笑んだ葵はその口で、匠にある願い事をした。
男は穏やかな色の瞳を細め、泣いている子供になだめるように言葉を尽くす。
「これも何かの縁だろう。弟が世話になる」
「世話になったのは私の方です」
「そうだとしても、生きることを諦めなかったのは君のおかげなんだ」
葵は疑いの眼差しを目の前の男に向けた。
いぶかしむ視線さえもくすぐったそうに匠は続ける。
「あいつ、約束しただろう」
必ず帰ってきます、て。
その言葉は確かに葵の耳に届いた。淡雪が降る中、雑踏の中で落とされた言葉だ。
「そう、ですね。ちゃんと、約束を、守ってくれました」
深く礼をした葵は、すっきりとした面を上げた。
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