【カクコン参加記念ss】そして、二人は

 詞の居は一軒家だった。手狭な街中であるにも関わらず、小ぶりながらも庭がついている。高い塀に囲まれ、門までついているので葵は呆気に取られた。手を引かれるままに玄関に入り、あまりの殺風景さに拍子抜けする。引っ越ししたばかりでも、もう少し家財が整っているだろう。

 家の様子を見渡した葵は眉を下げた。


「一人で、生活されているんですね」

「まぁ、事情が事情なので」


 玄関の戸を隙間なく閉じた詞は手持ち無沙汰に腕時計を取り、胸ポケットにしまった。

 葵にはそうとは映らないが、術が解かれ本来の姿に戻ったのだろう。確かに、下手なところで生活をして、明るみに出ればと大騒ぎになることは確実だ。窮屈な生活を強いられている詞のことを知らなかった葵は申し訳なくなる。

 詞は何とでもないという風に笑って促す。


「台所は奥です」


 お邪魔します、と目礼をした葵はひやりとする畳に足をのせた。

 夕日に照らされた障子にはうっすらと埃がたまっている。掃除は行き届いていないようだ。

 葵の視線に顔だけ振り返った詞は苦笑する。


「すみません。情けない所をお見せして」

「忙しいですし、一人ではこの家は持て余しますよ」


 掃除をしに来ましょうか、と続けようとした葵は寸前で止めた。会える時間も少ないのに、勝手に家に入り込むのは無粋だろう。

 台所は葵の家とそう代わりがなかった。竈がひとつ少ないが、二つもあれば十分だ。 

 水道の蛇口に感動を覚えつつ、葵は調理道具を出す詞に振り返った。土間の下駄を借りていいかと尋ねれば、頷きが返される。


「一時間ほどあればできますから、休んでいてください」


 風呂敷と米を置いた詞に声をかけて、調理に取りかかった。最初に湯の準備をして、米を炊いてと手際よく進めていると人の気配がする。

 振り替えれば、柱にもたれて立つ詞が腕を組んだまま眠りかけていた。


「ちょ、え、何してるんですか」

「……ん、すみません」


 葵の声に遅れて反応した詞はゆっくりと瞬きを繰り返して、手で両目をおさえた。

 駆け寄った葵は顔色がかんばしくないことを読み取って眉をひそめる。


「疲れているなら、横になってください」


 でも、という言葉を遮って、畳みかける。


「寝てたら、あっという間にできますよ」

「……もったいないな、と思いまして」


 寝ぼけた姿を初めて見た葵はきゅっと胸が締め付けられた。

 目を隠していた手が葵の方へ向けられる。流れを見守っていた葵の頬に熱を感じたと同時に、顔が綻ぶ。


「今日はずっと感じていても誰にも咎められないでしょう」


 間近で見ていた葵は一瞬、意識が飛んだ。頬から吹き上がるように熱が広がり、笑顔にあてられた頭は真っ白だ。耳朶のやわらかさを指で遊ばれれば、震えてしまった。

 声にならない悲鳴を上げる葵を見かねた詞はまなじりにたまった涙を拭ってから離れる。


「料理の邪魔になりますね。お言葉に甘えて寝てきます」


 満足したような顔は元気を取り戻したようで、襖の奥へと消えた。



 気持ちを入れ換えて作った料理はまずまずの出来になった。

 炊きたての麦ご飯からは白い湯気が上がり、肉じゃがにいれたじゃがいもは角がほんのりと崩れてやわらかそうだ。彩り鮮やかな小松菜もゆで加減が絶妙だろう。かぶの汁から立ちのぼる味噌と出汁の香りがすいた腹を刺激する。最後に焼いただし巻きは、形がいい方を詞の皿に盛った。

 練習に練習を重ねて、どれが正解かわからなくなってしまったが、妥協な範囲だろう。なんだかんだ、調理実習の再現になってしまったが、詞はきっと喜んでくれるはずだ。

 盆を持ち上げるのを見計らったように襖が開いた。間から顔をのぞかせた詞が、運びましょうかと声をかけてくる。詞の持つ卓上ランプがぼぅと周りを照らし、時間がたったことを自覚した。

 休んでいいと言ったのに、困った人だ。そう思いながらもくすぐったい気持ちがあるのは、確かで葵は素直に運んでもらうことにした。


「いろいろ道具があって助かりました」


 米と味噌汁をよそう葵がこぼした言葉に微妙な反応が返された。

 瞬く葵に気付き、詞は茶碗を受け取りながら吐息をつく。


「兄さんが、たまに押し掛けてきて置いて行くんですよ」


 いらないと言っても。いらないと言ってもですか、と何とも言いがたい二人の間に沈黙が落ちる。息を吹き出したのは一緒だ。


「仕方のない人でしょう」

「らしいと言えば、らしいですね」


 笑いながらランプで照らされた食卓を囲んで、手を合わせる。いただきます、と言った詞に続く形で葵もいただきますと、と呟いた。

 だし巻き玉子が切り分けられ、口に運ばれていく。

 葵は迷惑になると思いながらも注視することが我慢できなかった。

 咀嚼され、喉仏が上下して飲み込まれる。

 開いた口が言葉を形にするまでの時間がとても長く感じられた。


「うまいのは当たり前ですが」


 何だか、ほっとしますとこぼした口は笑みをたたえていた。

 葵も肩の力を抜いて、応える。


「お口にあったようで何よりです」


 葵もだし巻き玉子を口にしてみた。形がいまいちなものだけど、今までで一番おいしい気がする。

 調理実習の話をしながら食事を終え、ランプを持った葵は洗い物を運ぶ詞を見上げた。


「詞さんの好きな食べ物は何ですか」


 少し驚いた様子を見せた詞は考える素振りを見せて、茶碗を置くためにしゃがんだ。見せた態度とは裏腹に声は淡々としている。


「白身魚の塩焼きです」

「では、今度はそれにしましょう。あ、弁当の方がいいですか? 台所をお借りするのも、待たせるのも悪いなって思いまして」

「また、作ってくれるんですね」


 背を向けたまま落ちた言葉に葵は頷く。


「いつでも作りますよ」


 きょとりとした顔同士が見つめあった。

 先に吹き出したのは詞だ。


「そうでした。案外、大胆な人でした」

「それって誉めてます?」


 しゃがんだ葵が口を尖らしても、詞はまだ笑っていた。ふと止まったかと思えば、ひと呼吸で空気が研ぎ澄まされる。

 かさついた手が、膝にある葵のものに重なった。伏せられた視線の先で、白い甲が爪に撫でられ、窪みに指をおさめられる。身動ぎさえ躊躇ためらってしまう空気に息ができなくなりそうだ。

 葵の口は壊れたように開いたり閉じたりを繰り返し、意味のある言葉を発声できない。

 詞が掬い上げた手の平に顔を寄せ、自身の唇を押し付けるように握りしめた。

 瞬きも忘れて見入っていた葵は震え、あまりの恥ずかしさに目線を逃がす。 勿体ぶるように間が空き、熱い吐息が手の平にあたった。敏感になってしまった肌に自分のものとは思えない鼓動に、葵は顔を向けられない。

 引き結ばれた葵の唇をほどくよう、かさついた親指がなだめるように撫でた。まるで問いかけるよう優しくゆるやかな動きは刺激が強すぎる。逃げを打つ葵に言葉が滑り込む。


「やめますか」


 不思議と色香は含んでいなかった。

 目だけを詞に向けた葵は赤い顔をさらに真っ赤にして声を上げる。


「……っ! う、嘘ついてますね!」

「うそ」

「み、眉間の、しわ……や、や」


 やめたくないんでしょうと絞り出した声はほとんど形になっていなかった。

 ふっと力を抜いた顔は、葵さんはと問いかけてくる。

 葵は小さく首を振った。

 唇を撫でていた指が止まる。


「無理をさせてしまって、すみません」


 離れようとした手を引き止めて、泣きそうな笑みを浮かべる。


「恥ずかしくて、たまらないんです。たまらないんですけど、求められるなら、何でもしたくなるんです」


 息を飲んだ詞は噛み締めるよう問いかける。


「もう、後戻りできなくても?」

「詞さんが望んでくれるのなら、願ったり叶ったりです」


 深く息を吐き出した詞が何事か呟いたが、葵は聞き取ることができなかった。探し求めるように視線をさ迷わせるのも束の間のことで、糸が繋がったように目が合う。

 いつの間にか両手を包み込むように握りなおされていた。

 どうして目が合うのだろうと不思議に思う葵をよそに詞は告げる。


「結婚、していただけませんか」


 確実に時が止まっていた。暗く、寒い台所で白い息を吐くような場所で、ランプに照らし出された影は確かに繋がっている。

 しばらく放心していた葵は、山彦のように反芻される言葉をやっと飲み込んで、我を取り戻した。


「わ、私でいいんですか」

「葵さんがいいです」

「ご、ご迷惑がかかるのでは」

「かけるのは僕の方だと思います」


 いや、でもあのと焦る葵に対して、詞は表情を曇らせていった。

 つられて悲しそうな顔をした葵は顔を引き締めた。真っ直ぐに詞を見つめて決心する。


「条件があります」

「……先に死なない、でしょうか」


 それは結婚しなくてもできるお願いですから、と葵は淡く笑った。呼吸を整えて、ひとつひとつ丁寧に言葉にしていく。


「夫婦になるのであれば、辛い時は隠さないでください。実は、聞いてもいいものかと我慢をしていたんです。言えないこともあるでしょうけど、添い遂げると約束してくださるのでしょう?」


 葵の手は震えていた。

 彼女の覚悟を肌で感じた詞は反省する子供のような顔をする。


「危険なことには巻き込みたくないのですが」

「それならそうと言ってくだされば大丈夫です」

「……善処します」

「善処してください」


 仕方の無さそうにいたずらっぽく笑った笑みに、葵は同じものを返した。

 手が離れたかと思えば、正面から抱き締められた。心臓は暴れまわるけれど、愛しい人の熱は心地よく、言い表すことのできない温もりがくすぐったい。


「傷つけるとわかっていて、あなたのことを離せません」


 肩口から発せられたくぐもった声が言うことを聞かない子供のようで葵は笑いが我慢できなかった。小さく笑いながら、伏せられた頭に自身のものをゆだねる。


「私も遠慮しないので、逃げないでくださいね」


 抱き締める腕が強くなった。ぎゅうぎゅうと力を込める詞の異常を感じた葵は顔を離して詞の顔を見ようとするが、全く見えなかった。隙間からのぞく耳が赤いのはランプのせいか、抱き締めた熱のせいか。

 締め付けられる体は、痛みを感じて始めていた。


「ど、どうしたんですか」

「……堪えています」


 欲望に、と付け加えると初な葵はまた固まってしまった。



◇◇◇



 去年のカクコンに間に合わず、せっかくなのでssを!と思ったら、合算して二万字を越えていました。おかしいな、ssとは。


 終章から後も遠慮したり、から回ってた二人も落ち着く所に落ち着いたのでしょうか……結局は、葵の方が一枚上手だったような気がしないでもないですが、まぁ、いいように転がった気がしないでもないので、よしとしましょう、そうしましょう。


 そうそう、山瀬のでっち上げられた戸籍は後見人が岩蕗家とふんわり考えているので、葵の両親は飛び上がって驚くことでしょう。たぶん、無事に入籍できると思います、たぶん、きっと(行き当たりばったり)


 次は甘味伯爵を書きたいなぁと思いつつ、先の話になりそうです。甘いお話で終わりたいのにシリアスが顔を覗かせるんですよね、避けては通れないので頑張るのですが、なかなかなハードモードなので、これ書いて読む人いるのかと自問自答しております。

 それを書き終えたら、次作は智昭が活躍するお話を書きたいなぁと考えてますが、きっと二年ぐらい先です。飽きてないといいな……頑張れ自分。タイトルだけ告知しておきますね(予防線)

 『宵を尋む』です!(ジャーン!

 またまた難解読漢字です。楽しみに待っていただけると嬉しいです。

 ではまた。



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