【カクコン参加記念ss】前振り ―詞の場合―
「なぁ、
満面の笑みで声をかけてきた
幼い頃からあの手この手で散々からかわれてきたが、ここ最近は特にひどい。にやついた顔が脳裏にありありと浮かぶので、力を使う必要もなかった。
詞は視線を前に向けたまま、小さな声で釘を指す。
「仕事中だろ」
「小休憩だから大丈夫だろう」
特殊部隊総出の合同訓練は丸一日を使って行われていた。山瀬は第三特殊部隊に所属しているので、否応なしに参加だ。
諜報部に所属する匠には、関係のない話で小休憩もあるわけもない。
詞は嘆息混じりに言ってやる。
「
「まぁまぁ 、そう固いことを言わずに、な? 」
な、ではだろうと軽く頭を振った。
もろもろの事情を隠して他人のふりをしなければならないのに隙を見て絡んでくるのだから肝が冷える。
これみよがしに溜め息を吐く詞など気にも止めない匠は素通りしようとした白い頭を手招きした。
「
「……知るわけないでしょう」
「何でだよぉ、上官だろぉ」
「その
「今更だろう。誰も見てもないし、な?」
な、ではないだろう。『白炎の死神』と恐れられる相手に砕けた言動を取れる男もそうそういないだろう。
白い髪で見え隠れする曇天の瞳に一瞬、呆れが浮ぶが、詞は汲み取ることができなかった。隙間なく見えない糸を巡らせていても、ぴくりとも動かない表情を読み取ることは不可能に近い。読み取ろうとしていても、取りこぼしてしまうことは多かった。逆に言えば、人形のように整った冷えきった顔も見なくてすむ。
凍りつきそうな顔を向けられても、匠は何処吹く風だ。横柄な姿勢を崩さず、まぁ、いいかとおざなりに話を切って、詞に向きなおる。
「
詞は半眼になった。鬱陶しいという心を包み隠さず、億劫に口を開く。
「知ってるなら聞くなよ」
「えぇーっ何処に行くか聞きたいじゃないか。な、葛西」
「いや――」
「ほら、
巻き込まれた葛西は否定しようとして、先手を取られた。余計なお世話です、と呻く声は苦々しい。
今度は詞にも感情を読み取れる。眉間にはわずかなしわが刻まれていた。拳を握ったことから察するに、何かを堪えているのだろう。
話が
「で、何すんだよ」
楽しそうに聞いてくる目は逃さないとでもいうように輝いているだろう。声音までも包み隠さず示してくれる方がありがたいのだが、苛立ちが沸き上がるのは別の話だ。
黙する詞をいたぶるように、匠は言葉を並べていく。
「まぁ、候補としては、出掛けるなんだけど、面倒くせぇ世の中だからな。男女二人で夜分に外食するとなると世間体がな……相手は教師だし、体裁を守る必要がある……つまり、外食はなしだな。それじゃあ、家に連れ込むのか」
詞は兄の腹に一発かました。寸前のところで手で受け止められて、愉快に歪む面に怒りを燻らせた目を向ける。
「からかうのも大概にしろよ」
「お前の幸せを願って何が悪いんだよ」
いいことを言ってはいるが、にやついているので台無しだ。
腕組みをした匠は何度も頷きながら続ける。
「いいじゃないか。好きな子の手料理。大いに結構。俺も邪魔したいぐらいだ」
「邪魔するな」
つい口を挟んだ詞は匠が手紙の中身を見ているのではないかと勘繰りたくなった。糸を頼りに書く文字は不格好で読みづらいことは想像に
尾行や潜入調査が多く、休みも予定も不規則だ。合同訓練に顔を出す今日は夕方から予定が空くとみて、約束に踏み切っていた。ただでさえ少ない時間を邪魔されたくはない。
詞の心情を知ってか知らずか知ったとして、匠は全力でからかいにくる。
「何を作ってもらうんだ。好物の魚の塩焼きか? いま時期だと鱈だな。あー、それなら鍋もいいし、煮付けでも……うん? 煮物とかか?」
よく回る口で話していた匠の歯切れが悪くなる。妥当な話をして、詞の反応を踏まえ言い当てていたのであろうが、予想はどれも外れだ。
じっと見られている気がしたが、詞は無言を貫いた。玉子焼きを作ってもらうと知られたら、死ぬまでからかわれるに決まっている。
匠の四方八方からの攻めを流していた詞を救ったのは葛西の言葉だ。
「山瀬、訓練が終わったら帰れ」
いいんですか、と口から出かけた詞は堪えた。
訓練後は岩蕗中将からの稽古が待っているはずだからだ。特殊部隊の長を勤める『氷塊の鬼神』はことあるごとに葛西に難癖をつける。やれ書類を書け、やれ稽古だ、やれ飲みに行くぞと毎日のように絡まれても、粛々と葛西は付き合っていた。噂で聞いた話だが、幼い頃、拾われて世話になったので逆らえないらしい。先ほどの反応から考えるに、岩蕗令嬢が絡んでいることも察していたが新善者の詞は頭をつっこまないと決めていた。
巻き込まれる形で、岩蕗中将の稽古は部隊全員に課されるだろう。
「稽古に付き合わなくてもいい。どうにかしておく」
淡々と付け加えた葛西に匠がたたかける。
「うっわぁ、葛西もやさしい所があるんだなぁ」
「そう仕向けたのは貴方でしょう」
はて、何のことだとわざとらしく匠は首をひねった。皆目、思い至らないとでもいうように振る舞ってはいるが、故意にやったことは見え見えだ。
道化を演じる匠の代わりに詞は目を伏せる。
「気を使わせてしまったようで」
「俺だけでいい問題に巻き込んで悪いとは思っている」
葛西の口から出た言葉に詞は驚いた。仕事以外のことは話さないような人なのに、考える所もあるのだろう。
詞が閉口したことに何を思ったのか、ただと言葉が続く。
「一人であれに付き合うのは、きつい」
「なんてたって、鬼だもんな」
茶々を入れる匠を葛西は睨んでいた。震える拳はきっと殴りたいと思っているはずだ。
遠くで、休憩終了を知らせる声が聞こえる。
楽しんでこいよ、と耳打ちした匠はひらりと手を振って姿を消した。
◆
訓練を終えた詞は怒号が響く演習場を抜け出し、自宅で着替えてから街道に繰り出した。あまりの人の多さに巡らせた糸だけでは間に合わない。不意に横道から出てきた人にぶつかり、謝りながら進む。
軍服を来ていれば避けてもらえるが、葵と並んで歩くために私服を選んだ。一度だけ軍服姿を見せた時は申し訳ない気持ちでいっぱいになったからだ。顔を合わせた彼女は、眉尻を下げ、顔の中心に力を入れ血が出るのではないかと心配になるほど噛み締めていた。わずかに震える唇で、声は震せまいとする姿にさすがの詞も
軍の影として働く詞は死と隣り合わせに見えるのだろう。死んだも同然のような状態から生き返った『佐久田 詞』ではあるが、世を去ったことにされている。秘術を隠すため、詞を救ってくれた人を守るためだ。この事実を知っているのは、兄である匠と葛西、岩蕗中将だけ。匠の上司には筒抜けかもしれないが、実の母親も知らない事実だ。
見た目や声を偽り過ごす日々に嫌になることはないが、本来の自分がどこにあるのか末恐ろしく感じることはある。
面倒極まりない存在になって、葵には近づかまいと決めていた。ひと目だけ、声を聞くだけ、助けるだけだと本心に言い聞かせ、近付いたのは詞だ。結局は、決別を覚悟した彼女を縫い止めてしまった。
恐がりな葵を縛り付けているのは、詞のわがままだ。目の光が失われていなければ、彼女の一挙手一投足 、瞳の揺れを見逃すこともなかったのに、と後悔の念に
街道を進んでいると、葵の声を拾った。米屋の前で何か悩んでいるらしい。
近づこうとして、不振な動きをする男を糸が捕らえた。
いい加減な気持ちで近づいてくれるなと詞は胸倉を掴みたくなる。
踏み出そうとした足を糸で止めてやり、あせる男の隣を通りすぎて葵の横に並んだ。辰次と話し込み困ったように笑う彼女は詞の焦りを知らない。
「お米、買います」
「持ちますよ」
詞の言葉に葵は肩をびくつかせ、そろりと振り返った。徐々に目が開いていく。
辰次に悟られぬように詞は腕時計を指し示した。葵の口から、この姿の時の名前を呼ばれ、否定を我慢して肯定する。
葵には詞自身の姿が見えているはずなのに、偽りに荷担させなければならない。申し訳ない気持ちと悔しさで心が濁り、二人の他愛のない会話がひどく羨ましかった。
暗い感情を見透かされたのか、辰次の言葉が切りかかる。
「ねぇ、おじさん。空木先生のこと、大事にしてよ」
雷鳴に打たれたかのように、言葉が出てこなかった。大事にしているつもりだが、本当にできているのだろうか。隠れるように会って、自分では与えることのできない普通の縁を遮って、彼女は幸せなのだろうか。
言い争う葵と辰次の声が遠く、堂々と振る舞う少年に眩しささえ感じた。
葵が困っている。それだけは判断がついて彼女の肩を叩き、辰次の風呂敷に手をのばした。
「僕が荷物を持ちます。ここまでありがとうございました」
しかし、荷物は引き渡されない。
詞は目を細め無言で促す。
「大事にするって約束しろよ」
勇敢な辰次は一歩も引かず、すぐに答えられない詞はどう返すべきか考えを巡らせた。平静であれば、建前だらけのうまい言葉が浮かんだだろう。重い口を開くと、何も装えていない言葉が溢れ出る。
「大事にすると答えても納得するようには思えませんが」
「お前の行動がふせいじつなんだろ」
辰次の真っ直ぐな声は詞の胸に巣くう燻りをさらに広げた。
双方に睨み合い、どちらも意地を張る。
葵が詞を一瞥したのは一瞬のことで表情が読み取れず、背を向けられた詞は手がのびそうになった。荷物を預けられたのだと、手の感触で遅れて知る。
葵になだめられた辰次はしぶしぶと言った様子で、詞に玉子を押し付け走り去った。
見守ることしかできなかった詞の方にやっと葵の顔が向けられる。
「大人げないですよ」
確かに、大人げない。反省する最中も、糸で捕らえた男を気にする詞は、余裕がないことを自覚していた。
手に職を持ち、生徒にも朗らかに接する葵は人気がある。ぱっと目立たない所が妻に丁度いいと思われるのだろう。彼女の周りには男の影が絶えない。
「……すみません、虫の居所が悪かったもので」
しぼり出せた言葉は何とも情けない。
詞はこれ以上聞かれても困ると判断して男に視線をやり、糸を解いた。
知り合いですかと訊ねてきた声を否定する。
葵が小首を傾げるのも無理のない話だろう。
「珍しいですね、言い訳なんて」
「自覚してほしいと言っても通じそうにないので」
詞は頭をひねる葵から逃げるように米を買い、元来た道を引き返した。慌てて追いかけてくる葵につめていた息を吐く。いつ彼女が離れてしまうのか気が気ではなかった。
かけられる言葉は心配の色を見せる。
「はぐらかしてませんか」
もどかしい想いを葵は知らないと思うと何だかやるせない。自虐的な笑みが浮かぶのが嫌でもわかり、背を向けていてよかったと心底思う。ただの八つ当たりだとわかっているのに、困らせるだけだとわかっているのに、ほとばしる感情を言葉を止めることができない。
「何もできないのが歯がゆいだけですよ」
雑踏の音が遠退いた気がした。気まずい空気が切り取られたようだ。
何も求めません、とか細い声が落ちた。桜舞う下で捕らえたあの顔と同じものが詞に向けられている。
「生きてさえいてくれれば、それだけでいいんです」
詞は動きを止めた。彼女の言葉は、異能の力を持っていないはずなのに詞をいつも絡めとる。葵は救い上げてくれた。いつだって寄り添ってくれる。そんな彼女を手放せるわけがない。
小道に折れた詞は続く葵の手を取った。急ぎましょう、と言った口を他人事のように感じて口元がゆるんでしまう。どうか、目一杯に開かれた瞳に映る自分を見限られないでほしい。
「楽しみにしていたんです」
彼女の耳に刷り込んだ言葉は本心だった。
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