3年B組、命の授業

コザクラ

3年B組、命の授業

こんな景色のなかに


神のバトンが落ちてゐる


血に染まつた地球が落ちてゐる




山之口獏

「喪のある景色」より






3年B組、命の授業






 校長室で人を食べる。

 こんなことをするのは世界広しと言えど僕くらいのものだと思う。


「怖がることはないよ。れんくん」


 校長先生はそう微笑み、ナイフとフォークで「それ」を口に運ぶ。


「うん。塩コショウのシンプルな味付けはやっぱりいいね」


 その笑顔には屈託らしきものはない。

 なんとか僕を慣らそうとしているのだろう。


 僕は父さんを恨む。仕事の都合で僕を都会の学校に越させた父さんを。

 元いた田舎の学校。そこでは人肉はあまり広まっていない。

 人の肉が嫌い。食べたくない。これは田舎ではよくあることだったが、都会では特殊な反応として扱われる。

 でも、これからはそうではいけないだろう、と。そんな計らいで校長先生は僕にこの機会を設けてくれた。











 有史以来、人は食料の生産体制を常に高めてきた。

 でも僕が生まれるずっと前にはその体制が崩れかけてたらしい。

 無理もない。人口増加っていうのは子供が子供を産む、掛け算のペースだから。

 でも食料は違う。ある土地で年に数回。しかも決まった量しか獲れない。必ず生産体制のほうで限界が来る。

 そして実際に来た。それがだいたい50年前。


 だから国は人を食肉として使えるようにした。

 その一環として、まず国は死刑のハードルをぐっと下げた。そうすれば社会正義の名の下で堂々と人を殺せるから。


 それからもう1つ。国は人を死にやすくした。

 おかげで銃や刀の所持は違法ではなくなったし、のるかそるかだった尊厳死はすぐに認められた。

 輸入や医療体制の安全管理も緩くなったし、70歳以上の人間は社会的に切り捨てられてる。

 遺体は国からの許可がなければ食肉に回されるので、葬式では故人の死に顔を拝めないなんてことはザラだ。


 でも、問題はそれだけじゃなかった。

 なんというか、人は人を許さなくなったんだ。

 ネットで炎上すれば。いじめをすれば。パワハラやセクハラをすれば。

 この瞬間、その人は大衆によって肉になるべき存在として扱われる。

 これはネットだけじゃなくて現実でもそう。いじめられっ子は常に肉扱いだ。


 こんな社会だけど、困ったことに――というべきか。人の肉は豚、牛、羊よりも安い。しかも種類は多様化している。

 肥満型肉。瘦せ型肉。高齢者肉。中年肉。少年、少女肉。人種だってもちろん。

 要するにブランド化だ。ちなみに赤子肉は可食部が少ないので超高級品らしい。

 そのおかげでこの国の人身売買の発生件数は爆発的に増えたし、捨て子を食肉として育てる業者までいる始末。

 人だけで作り上げられていた社会にいきなり肉が割り込んできた。

 これが、公に食人が許されるようになった国の社会問題だ。

 でも、それでとりあえず肉類の供給不足は改善に向かってるらしくて、しかも減った人口の分だけ食料の消費が抑えられてるみたい。

 というよりメインは多分こっち。そもそも人口爆発に伴う食料不足のほうが問題なんだから。

 ちなみに肉類以外は人工野菜類で賄ったから割と早くに解決したとか。











 僕は皿に乗ったステーキに意識を戻す。

 豚、牛、羊。「私はそれと同じくくらい当たりです」って面で、それは皿の上で座っている。

 香りも芳醇。茶と赤のコントラストが脂で輝き、その全体はピンクの肉汁で滴っている。


 このステーキはかつて人だった。その一生を幸せか、もしくは不幸せな人生を送ってきた人だった。

 多分、一生のうちで数え切れないくらいに泣いたり笑ったり――。


 その時、頬に冷たいものが走ったのに気が付いた。

 僕は泣いていたらしい。なぜ? 食べるだけなのに。

 意味不明の涙だった。


「考えちゃう?」


 校長先生がそう言って、さらに続ける。


「でも、その人は食べられるくらいには悪いことをしたんだ」


 涙を拭きながら、予想通りの答えを聞いた。

 でも、すぐにその言葉に違和感を覚えた。


「えっ? 今なんて?」


「うん? その人は食べられるくらいには悪いことをした、って言ったよ」


 僕は一瞬止まった。


「どうかした?」


「……いえ。ただ、今の言葉にどこか聞き覚えがあるなって思っただけで――」


 すると校長先生は「ああ」と言い――。


「多分、食べればわかるんじゃないかな」


 そう笑う。

 食べればわかる? どういうことだろいか。それがこの食事と何の関係があるのか。

 いや。考えてはいられない。校長先生だって忙しい中、こんな機会を設けてくれたのだ。これは一重に親切心から以外にない。

 僕はナイフとフォークでステーキを切り取った。すると柔らかい肉感が刃物を伝わる。

 考えてはいけない。この「人」だったものの人間性なんて。この人はなるべくして肉になったのだから……。


「いただきます」


 ステーキを口に突っ込んだ。

 すると、肉汁とシンプルな味付けが口の中に広がった。

 羊肉に近い、やや癖のある味だ。たた、どこか覚えがある。


「どうかな」


 校長先生が微笑みながら言う。

 僕は肉を飲み込んで答える。


「……美味しいです」


 お世辞でも社交辞令でもない。これは本当の感想だった。

 ファミリーレストランでいただくステーキの味とほとんど変わらない美味しさだったのだ。しっかり調理されている証拠に他ならない。

 何事もやってみなければわからないというのは本当のようで、僕はそのままステーキを平らげた。

 それを見たのか、校長先生は機嫌良さげに笑った。


「気に入ってくれたようで良かったよ」


 僕は静かに頷いた。

 昔、犬や猫が食肉として使われるまでをテーマにした本を読んだことがある。

 食糧難とあっては食肉も選んでいられないので、だから当時の人たちは犬や猫に「食肉」の役割を与えた、という話だ。

 食肉とされた犬や猫を初めて食べた人の感想はどうだったのだろう。多分、「美味しい」だったはずだ。


 始めは犬や猫を食べることは非常識で、非日常だった。

 でもその価値観も結局は時間が解決してくれたのだと思う。何せそれらが食べられるようになったのは今から70年くらい前と聞いたから。

 疑う人がいなくなったのだろう。犬や猫を食べるのはかわいそうだ、と言う人が……。


 ある逸脱行為が広まり、受容され、常識になる。同じことが僕の中でも起きている。今は受容の段階だろうか。

 でも、常識になるまではそんなに遠くない気がする。

 だって、こんなに美味しいのだから。


 すると、僕の中である記憶が呼び起こされた。


 ――この人はお肉になるくらいに悪いことをしたんですよー。


 これは僕が幼稚園にいた時に記憶だ。先生が「さくら組」のみんなにそう呼びかける記憶。あの時、子どもたちの反応は薄かった。僕はぎょっとしていたが。

 これはさっきの校長先生の言葉とほとんど同じニュアンス――。


「――あ」


 このステーキの味に覚えがあった理由がわかった。僕は幼稚園にいた頃、多分人の肉を食べていた。しかも組単位で。

 刷り込みなのだろう。「肉になった人は悪い人」という教訓は子供への教えとしてはもっともだし、少なからぬ子はそれを教わるまでに人肉を当たり前に食べて育っていたはずだ。

 あの時のさくら組の反応がなんとなく薄かったわけだ。みんな、あの場では当たり前の常識を確認されただけなのだから。

 しかし僕はそれまでに人肉を食べる機会がなかった。それ以降もなかったので、人を食べることに気味悪さや忌避感を覚えていられた。

 でも、これからはそうではないのだろう。


 すると、校長先生が言った。


「3年B組、命の授業。君はまたそこで人の肉を食べると思う。出席出来そうかな」


 多分僕はこれから人を食べていけるし、進んで食べていくと思う。


「はい。頑張ります」


 今日の帰り、スーパーに寄ってみるかな。






【挨拶&作者からのお願い】

 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 こんな社会はそうそう来ないとは思いますが、まあ現実になったらこんな感じなのかなって感じで書きました。楽しんでくださったのなら、作者としては光栄です!


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