第4話
14時。
雨が降り続くなか、僕と
ソファに樹が座り、僕はテーブル席の椅子に座っていた。
僕は普段あまり人と長く話す事をしないので、何を話せばいいのかとあれこれ考えていた。
「
「いや。まだ求職中。体調が回復しにくくて、今は叔父さんの工房を手伝っているんだ」
「私、来年から就活。第一希望の職種がなくて、どうしようかなって考えている」
「したい事はあるの?」
「初めは航空会社に行きたいなって考えていた。でも、倍率高くて辞めたんだ。何が向いているのか分からないんだ」
「そう…」
「橙一さんは、何の仕事していたの?」
「覚えていないんだ」
「どうして?」
「いつからか分からないけど、気がついたら横浜から離れてここに来たんだ。」
「記憶がないとか?」
「そう。記憶喪失に近いやつなのか、昔の事を、何も覚えていない」
「辛くない?」
「今は落ち着いている方だ。叔父さん達が皆、優しい。出来れば、まだここにいたいくらいだ」
「そのうち働きたくなるんじゃない?見てる限り、気持ちのどこかで、そう思っている事もありそうだし」
「本当はそうしたいね」
雨音が激しく屋根を打ってきている。
窓の外を眺めると、山の頂の黒い雲がこちらを見るかのように風に揺らいでいた。
居間の方に振り向くと、樹が立ち上がり僕を見つめてきた。
「どうしたの?」
彼女は僕の胸元に顔を埋めるように抱きしめてきた。
「あの…何、しているの?」
「少しだけ。少しだけでいいから…」
「ちょっと、困るな」
「橙一さん、ずっと1人でいるんでしょう。誰も相手もいなくて、寂しくない?」
「確かに。寂しさはある。でも、こうされるのは、慣れていなくて…」
「まだ、誰も帰って来ないから…寝室、いかない?」
僕はよく分からないまま、彼女が言った通りに自分の居間に連れて行った。
襖を閉めると彼女は僕の手を握ってきて、耳を貸して欲しいと言ってきた。
「キス、してみない?」
僕は目線を畳に向けて少し俯いた。
「僕でいいの?」
「うん」
「少しだけなら、いいよ」
お互いに顔を合わせて近づけていき、僕は震えながら彼女の唇に触れて重ねてみた。
「どう?何か感じる?」
「温かい。なんか…初恋の頃に近い感じがする」
もう一度唇を重ねてみると、彼女の吐息が口の中に入ってきた。
なんだか懐かしい。
いつ振りかは思い出せないが、初めて付き合った女性とキスをした時の感覚に近い感じだった。
樹は微笑んで再び僕を優しく抱きしめてきた。
すると、外から車のドアの閉まる音が聞こえてきた。樹は僕から離れて先に居間に行くと言って出て行った。
跡を追うように僕も玄関へ行き、皆を出迎えた。その数時間後、息子夫婦と子ども達は滞在先のホテルへ戻っていった。
僕は叔母と一緒に夕飯の支度を手伝い、食後に浴室へ行き湯船に浸かった。
前日よりも今晩は少し寒さを感じた。浴室を湯船から立ち込む湯気で包み込んでいくのをぼんやりと眺めていた。
浴室を出て部屋着を着て居間へ行くと、叔父から明日工房に行くようにと伝えてきた。
ソファに座り、テレビの横の棚の上に何かが乗っているのを見つけた。
「これ、どうしたの?」
「
袋の中を取り出すと1冊の絵本が出てきた。
「うるうのもり…」
本を開くと、児童向けというよりは大人も読めるような、少し難しい内容の文面と作者が描いたとは思れないほど、細かなペン先で描画された挿絵がそこに載っていた。
これをあの子が読んでいるのか。
僕も何だかその世界に入っていくような不思議な気持ちになっていた。
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