第7話

「あいつ、昔の事思い出したって?」

「まだ曖昧だが、思い出したみたいだ」

「おじさん、どうなるの?」

「診療所でもいいとは言っているが、明日市内の病院に行こうと思ってる。俺がついていく」

「私、見てきてもいい?」


居間から皆んなの声が聞こえてくる。

誰かの足音が近づいてきた。


「橙一さん。起きてた?」

「樹ちゃん。何か賑やかだね。皆んないるの?」

「うん。お父さんとお母さんも戻ってきた。」

「…だいぶ寝ていたみたいだな。夢かな、うなされて嫌な感じだ」

「思い出した?」

「多分昔働いていた所だ。人の声がたくさん耳に入ってきて…怖かったな」


樹は僕の手を握って心配している表情を浮かべていた。僕は重たい身体を起こして、立ち上がった。樹が無理をするなと言ってきたが、外の風に当たりたいと言い、上着を羽織り、玄関から出て、薄暗い小道を歩いていった。


吐いた息がわずかに白い。畑の中の虫の音も聞こえなくなってきたと思っていたら、もうそんな時期か。


小川の近くまで来てみた。南東の空に三日月が見える。雲の後ろ側に隠れながらこちらを見ているようだ。山間から吹く風が少しだけ心地が良い。


横浜にいた頃の僕はとにかく自分の時間もほとんど取れないほど忙しく過ごしていた。

頭痛がする中、当時付き合っていた恋人の事を思い出した。

彼女のために懸命だった。しかしあまり一緒にいれなくて、すれ違いが原因で別れたんだった。


足に小石が当たった。何かを踏んだか。蛙か。しゃがんで足元を見ると、たしかに蛙だった。僕を見つめた後に畑の中へ飛び込んでいった。


人気もない、僕しかいない小道の真ん中。

何かの音が聞こえる。あれは羽音か。


こんな夜に飛ぶとしたら迷子になったカラスくらいしかいない。どんどんこちらに向かって音が大きくなってきた。


その時、頭上を素早い勢いで風が吹いていった。長屋の家の屋根の上に何かが留まっている。近づいてよく見ると、月の明かりに照らされて、ギョロリと目を光らせて僕の方を見ている物がいる。


フクロウだ。試しに声をかけてみた。


「ねぇ、どうしてこんな所にいるの?」


彼は何も答えない。もう一度尋ねてみた。


「どこに住んでいるんだ?この里山なのか?」


咄嗟にこちらに向かって翼を広げて飛び立っていき、西側の山の頂の方へと行ってしまった。


「あんな大きなフクロウがこの近くにいるなんて…」


身体が冷えてきた。自宅に帰ると皆が僕を出迎えた。


「どこに行っていたんだ?そんな薄着じゃ風邪引くだろう。早く居間に入れよ」

「…おじさん!どうしたの?大丈夫?」

「橙一、外で何をしに行っていたの?貴方まだ身体が良くないのよ。」

「ごめんなさい。1人になりたくて。気晴らしに出たら、少しは落ち着いたみたい」

「お風呂沸いているから、先に入って」

「母さん。俺ら帰るよ。」

「遅くまでありがとう。気をつけてね」

「また来るね」


浴室で衣服を脱いで、シャワーで身体を洗ったあと、湯船に浸かった。ため息が溢れた。


何だか頭が怠い。蛙の足を踏んでしまった。あのフクロウに睨まれた。生き物を粗末にしているようで、少しだけ気持ちが落ち込んだ。


湯船の中に深く潜った。数を数えて息が苦しくなってきたところで、水面から身体を上げた。両手で口を押さえて顔も覆った。


ゆっくり息を整えて湯船から上がり、タオルで身体を拭き衣服を着た後、居間に行くと夕飯がテーブルの上に置いてあった。


「今、温めるわね」


味噌汁や白飯の湯気が心地よく見えた。

一つ一つ口の中で噛みしめながら胃袋を和らいでいった。


後片付けをした後、歯を磨いて部屋に入っていった。叔母が布団を敷き直してくれたようだ。


照明を消して敷布をかけて横になった。


まただ。涙が出てきた。恐らくだが、昔の事を思い出したことで、再び心身が過去を浄化させようとしているのに違いない。


一粒一粒の涙が温かく感じた。

自分を信じてあげようと、慰めているのかもしれない。

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