第6話
午前5時。起きなければならない時間だ。
身体が思うように動かない。
布団が鉛のようなもので覆われているみたいに、1人で起き上がるにはとても辛い。
「橙一、どうした?」
「叔父さん…身体が重たくて起き上がれない。どうしよう…」
「無理しなくてもいい。そのまま寝ていなさい。母さんにも、声かけてくる」
叔父が部屋から出ると、今度は息が苦しくなってきた。背中にじわりと汗が出てきた。横向きに変えて何とかして呼吸を整えていた。少し視界が虚ろになってきた。
「橙一。汗が凄いわ。一旦起き上がってみて」
叔母が僕の身体を支えてひとまずは起き上がることができた。タオルで汗を拭き、着替えの部屋着に取り替えて、再び仰向けになった。熱も測ったが平熱より少し高いくらいだった。
「叔父さんは?」
「工房に行った。とにかく貴方は安静にしていなさい。ご飯、後で持ってくるね」
部屋に1人でうなされていた。次第に睡魔が出てきて、いつしか眠っていった。
「こちら、横浜市消防指令センターです。いかがされましたか?」
「息子が大量に薬を飲んでしまったようなんです。あの…お願いです。助けてください」
「息子さんは意識はありますか?」
「はい。呼吸が荒くなっていて…ああ、待ちなさい。すみません。今、床に吐きました。電話繋いだままにしてくれますか?」
「はい。慎重に処置できる範囲で動いてください」
そうだ。ここは、僕が大学を卒業してから働いていた場所だった。24時間体制で緊急通報指令室にかかってきた依頼人と病院に搬送されるまでの繋ぎ目になる所だ。
ある程度の時間になり、食堂で休憩を取りに行った。
「脇田。お疲れ。飲めよ」
「ありがとうございます。1日が早いですね」
「今日はまだ少ない方だったからな。お前も大分馴染んできたようだし」
「色んな人の声を聞いていると、自分の事のようにも感じます」
「だからと言って感情移入があってはならないからな。先に戻ってる。まだ休んでいろ」、「お疲れさまです」
そう、そこには様々な声が溢れてくる場所でもあった。僕は気がついた時に過労で更衣室で倒れていたんだった。救命する側がそんな身では道理に反く。
早く、1秒でも早く指令をしなければ電話の向こう側の助けを求める人達に役に立たなくなってしまう。
僕は扉の向こうにいる仲間に手を伸ばして呼んでもらおうと必死になっていた。
誰か。誰か、ここにいる僕に気づいてくれ。
「おじさん、聞こえる?」
「まだ覚めないね。蒼、お婆ちゃん達呼んできて」
樹と蒼の声が遠くから聞こえる。夢から覚める時のように薄目を開けていくと、叔父が僕の顔を見つめていた。
「気づいたか?」
「叔父さん…僕、もっと助けないと。僕を電話の向こうで呼んでいる人がいる。…戻らないと。指令室に戻らないと…!」
「無理に立ち上がるな。大丈夫だ。もうあの場所には行かなくていいんだ。お前は十分沢山の人を助けたんだ。もういいんだよ」
「でも…苦しんでいる人がいる。早く僕が行かないと…1秒でも早く助けなきゃ…」
泣き崩れる僕を叔父は背中を摩って慰めてくれた。
退職後、半年ほど入院していた事もあった。泣き叫ぶように退院を訴える僕を看護士らに止められて、しばらくは毎日が地獄のように過ごしていた時期もあった。
その後叔父と叔母に身を引き取られたんだった。
あれから6年、記憶がほとんど思い出せないままこの里山で暮らしてきている。
しばらくすると、処方箋が効いてきたのか、涙を流しながら深い眠りについていった。
僕はその日、久しぶりに蘇った記憶と闘いながら狭い部屋の中で息を整えて、虚しさと共に過ごしていった。
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