別解版うるうの森

桑鶴七緒

第1話

君に会える日を待っていた。


あの森に行けばどこかで会えると信じていた。大人の僕でも君に会えると信じていいのだと思っていた。


かすみがかる里山の麓のとある町。

僕はここに来て6年が経つ。

都会に住んでいた頃とは違い、人口密度も低く、海が無い分、湿度が高くじんわりとした空気が辺りを包み込んでいる。


早朝5時。家々の煙突から湯気が立ち込めて、鳥のさえずりとともに目が覚めた。台所へ行くと叔母が朝食の支度していた。


「おはよう。今日早く起きれたのね。目覚めはどう?」

「眠い。叔父さんは?」

「直売所に行って野菜を買って来るって出たわ。おかず出来たからテーブルに持っていって」


朝食の用意が出来たところでちょうど叔父が帰宅した。手提げ袋には採れたての野菜や山菜などが膨らむほど入っていた。


「おはよう。お前、よく起きれたな。工房には行けるか?」

「うん。行ける」


朝食を済ませて、車で15分の所にある陶器工房に出向いた。7時。到着すると、専用の窯の焚き口に着火し、火の燃え具合を見て薪を追加して扉を閉めた。

円筒から煙が淡々と上がっていく。


ここから見下ろす景色は自宅よりも少ない集落のような場所で、青々とした山間から陽の光が差し込んでいる。


橙一とういち。中に入りなさい」


叔父が僕を呼んだ。

僕の名前は脇田橙一。6年前に住んでいた横浜から離れてこの里山で暮らすようになった。


僕には当時の記憶があまり無く、どうやら何かに巻き込まれたようでその何かが原因で今の叔父夫婦の元にやってきたみたいだ。


週に一回程度、町の医師にも相談しながら生活を送っている。


都会暮らしが当たり前だと思っていたが、ここに来てからはすっかり馴染んでいるようだ。


記憶が曖昧で時々夢でうなされて夜中に目を覚ましたり、調子が思わしくない時は半日は布団で横になって過ごすこともある。


そんな僕を叔父夫婦や近所の人達は温かい目で見守ってくれているのが、何よりの感謝の気持ちでいっぱいだ。


今いるこの工房は叔父夫婦が市役所の職員勤めを辞めて里山に移り住んでから建てられた場所で、30年近くは経とうとしている。


11時。前日に仕込んで乾燥させた陶器を窯に入れて素焼きをするため2時間かけて焼成をしていく。


その間、また工房に戻り、新規で依頼が来た陶器を作るために、叔父が荒練りをした粘土を電動のろくろで成形していった。

いくつか出来上がったものを専用の棚に置いていき乾燥させていく。


13時。昼休憩を取ろうと言われて、工房の隣の控え室で叔母が作ってくれた弁当を食べた。叔父の淹れてくれたハトムギ茶も美味しい。


「母さんに電話を入れておくから、お前は今日は帰っていい。あとは俺が見ておく。」


「分かった。お願いします」


14時半。叔母が車で迎えに来てくれた。叔父に声をかけて工房を後にした。帰り道は僕が運転をした。空の雲行きが怪しくなって来ていた。


「叔父さん、帰り大丈夫かな?」

「そうね。予報では雨が降らないって言っていたのね。でもいつもの事だから大丈夫よ。貴方は家でゆっくりしていなさい」


自宅に着き、僕は仮眠を取ることにした。奥の間が僕の部屋として使わせてもらっている。押し入れから布団を出して仰向けになって天井を見ていた。そこへ叔母が来た。


「買い物に町に出かける。何か食べたいものある?」

「小腹に合うものが食べたい。何でも良いよ」


そう伝えると叔母は出かけていった。

家の中には僕が1人。しばらく横になっていると、屋根の上に水滴が音を立てて鳴っていった。雨が降り出してきた。


2人の帰りを静かに待つ僕はいつしか眠りについていった。

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