第十章 約束
すべてのことが済んだのは、翌日の昼過ぎだった。
ガウェインは警視庁に連れられ、クライヴの執務室で路地裏での出来事を詳しく話すこととなった。
その後、クライヴが報告書をまとめ始め、ガウェインは執務室にあった来客用のソファーで仮眠を取った。
そしてさらに数時間後。
惰眠を貪っていたガウェインはいびきに耐えきれなくなったクライヴによって問答無用でソファーから床に転げ落とされ、今に至る。
いつの間にか窓の外はどっぷりと暗くなっていた。
「いてえな……」
「仮眠を取っても構わないとは伝えたが、廊下に響くほどのいびきは許可していない」
「暴君かよ」
ガウェインが文句を言いながらソファーの上に戻ると、クライヴもその向かいに腰を下ろした。
「アンナ・ファーカーを殺したのも、リオノーラ・アシュクロフトを襲ったのも、昨夜の少年を殺したのも……全部、あの人狼で間違いなかった。親しくしていたアンナ以外は、人狼が薬と月の影響を受け正気をなくして町を彷徨っていた際、不運にも側を通りかかったらしい」
「証言が取れたのか?」
「ああ、本人からな。一連の犯人――いや、被害者でもあるか。
あの人狼も、ついさっき病院で意識を取り戻したようだ。あの妙な薬が入った腕は切断されたが、命に別状はない。
今のところ完全に正気を取り戻した様子で、事件の記憶もあった。詳しいことについては、また後日だな」
「へえ、よかったな」
微睡みの中で執務室に誰かが入ってきた気配は感じていたが、どうやらクライブの部下がその件を報告しに来ていたらしい。
「それにしても、よく手加減できたな。医者が感心してた。見た目はこれ以上ないほど悲惨な状態だったのに、内臓はかろうじて無事だったと」
「……まあな」
ガウェインは、どこか気まずさの残る曖昧な返事をした。
路地裏で人狼二人が対峙した後。
相手の人狼が完全に沈黙し、人の姿に戻ったところで、もう誰かを襲う気力はないと判断しガウェインはその場を去っていた。
息があるかどうかは確認していない。
ただ、手加減はしなかった。相手の肉を引き裂いた感触を今も覚えている。
実のところ、相手が生きているのはただの偶然だった。
それに。
もしかすると、きちんととどめを刺してやれなかったのは、むしろ失敗だったのかもしれない。
もしあの男が生を後悔するようなことがあれば、せいぜい自分を憎めばいい。
ガウェインはそう思った。
「お前はもうなんともねえのか?」
ガウェインがクライヴの腕に視線を向ける。
左の二の腕のシャツの下が膨らんでいるのは、包帯を巻いているからだ。
ハサミでつけられた傷はたいしたことはなかったが、自分で肉を食いちぎった箇所については、人間よりも遙かに高い回復力を持つ吸血鬼であっても、今後傷痕が消えることはないだろう。
それに、あの薬の作用は――。
ガウェインが言わんとしていることが伝わったらしく、ガウェインが軽く頷く。
「犯人の人狼もそうだったが、あの薬に浸食された部分を取り除けば問題ないらしい。無論、しばらくは注意して過ごすが」
「けど、お前は病気のことを周りに隠してるんだろ?」
「……もし自分が取り返しのつかないことをしそうになった時は、自分で始末を付ける」
クライヴがちらりと銃のホルダーへと視線を向ける。
こいつならやりかねない、とガウェインは思った。
緊急事態だったとはいえ、普通意識がはっきりした状態で自分の肉をあそこまでためらいなく食いちぎれるものじゃない。
「それに、まるきり誰も知らないわけじゃない。必要になれば僕にしかるべき処分が下されるよう、手配はしておく」
「必要になったら言えよ。お前のことは遠慮なく八つ裂きにできそうだからな」
ここ数日、妙な首輪を付けられた上に窮屈な生活を強いられた報復として、ガウェインは足を組み笑みを浮かべながらそう言った。
しかし、クライヴは部下から良い提案を聞いた時のように眉を軽く上げる。
「……そうだな。そうしてもらおうか」
挑発をしたつもりが素直に頷かれてぎょっとした。
「おい、冗談くらいわかれ」
「いや、ちょうどいい機会だ。お前に警視庁から正式に提案が来てる」
「……ん?」
クライヴはいったん立ち上がりデスクから一枚の書類を取ると、ガウェインに差し出す。
「特殊犯罪捜査担当官である僕の下で、特別捜査官として働いてほしい。お前の今回の働きが認められたということだ。ここに条件が書かれている」
ガウェインはうさんくさいものを見るような表情で書類をつまみ上げ、目を通した。
条件は悪くない。給料もきちんと出る。
今までガウェインがしていたように、都度怪しい仕事を探してその日暮らしの生活をすることもなくなるだろう。
社会的な信用も得られるようになる。
――だが。
クライヴと同じアパートメントに住居を移すよう書かれている。
ガウェインは悟った。
これは協力要請兼、引き続き監視をするという宣言だ。
働きが認められはしたものの、同時に犯人の人狼への振る舞いから凶暴性ありと判断されたのだろう。
その力を正しく使うのならある程度の自由を認めてやる、という通達だった。
「仕事を共にしながら、お前は僕を見張れ。僕はお前を見張る。ついでに仕事も住居も手にできて、お前にとっては悪くない話だろ」
条件だけ見ると確かにそうだった。
どうせそれとなく監視をされ、妙な仕事の片棒を担げばすぐさま牢に入れられるのだとしたら、いっそ警視庁で働いた方がいいのかもしれない。
それに――クライヴが提案した『相互監視』は、ガウェイン自身が心の奥底で抱える恐怖も解消してくれる。
だが、ガウェインはあえて書類をひらひらさせ、ニヤニヤした笑みを浮かべる。
「えー。お前と? どうしよっかなー。そうは言っても警視庁の奴らは嫌いだし、雑談もできねえつまらねえ奴と仕事すんのもな」
半分本音、半分ただの意地悪だ。
ガウェインは、どうもこの男のなかなか変わらない表情を崩してみたくなるところがある。
逆に言えば、そこそこ気に入ってきている証拠でもあった。
さあ、どうでるか。
敬語で真摯に頼み込んで来るなら、言うことを聞いてやってもいい。
しかしクライヴはあっさりと頷き、書類を手に取った。
「そうか。女王陛下にお前の活躍を知ってもらうチャンスだったんだが。まあ、お前の言うことももっともだ。僕の方からなんとか断れないか上層部に話をしてみよう」
思わず反射的に書類を奪い返す。
『女王陛下に活躍を知ってもらえる』。
今こういつはそう言ったか。
今まで手紙を通して一方的に知ることしかできなかった女王に対して、報告書を通して自分のことをアピールできる。
それはまたとない機会のように思えた。
「…………やる」
「声が小さくて聞こえないな」
「やるって言ってんだろ! その代わり、報告書には俺の活躍をよーく書いておけよ。いいな?」
「仕方がない。善処しよう」
クライヴが、初めてちらりと唇に笑みを浮かべる。
ガウェインが信じられないものを見たように目を剥いた。
「……お前、笑えたんだな」
「人を何だと思ってる」
笑顔は一瞬で消えてしまった。
「ツラの皮が金属で出来てる無表情野郎。ところで、この首輪そろそろ外せよ。窮屈で気が狂いそうになる」
未だに装着されたままの首輪のあたりをかきながら、ガウェインが言う。
実のところ、今の今まで忘れていただけだが、思い出してしまえば改めてぞっとした。
クライヴがもう少し浅慮な男だったら、窓から脱走した時点でスイッチを押されていたかもしれない。
でも、もうこれも必要ないだろう。
けれどクライヴは頷かなかった。
「いや、外さない」
「なんでだよ!? 今の会話は完全に信頼関係築いたやつだっただろ。お前は相棒に首輪付ける趣味でもあんのか?」
「万が一の時を考えて、首輪は外さないということも条件のうちに入っている。よく読め」
……本当だ。
クライヴは奪い返した書類を見て真顔になった。
やっぱり警察機関は気にくわねえ。
「それに……お前を相棒として認めたからこそ、いざというときに僕はお前を止めることをためらってしまうかもしれない。
今回僕はお前に助けられた。それでもなおお前をただの危険人物として扱うことは、僕にはできない。だからこそ、このスイッチと首輪は、互いへの戒めになるだろう」
クライヴが、懐中時計を模したスイッチをポケットから取り出す。
さきほどガウェインは文句がてらにさりげなく『部下』ではなく『相棒』と言ってみたのだが、訂正されることはなかった。
その上やけに真っ直ぐに情のあることを言われて、かえってこちらの居心地が悪くなる。
ガウェインが何も言えずにいると、「首が飛ぶのではなく、電気が流れるくらいに調整してもらおう」とフォローなのか何なのかよくわからないことを言った。
「……そうかよ」
「不服に思うのなら、僕も首輪を付けた方がいいか? 相互に監視をするなら、それがフェアだ」
クライヴは冗談を言っているわけではなさそうだった。
あくまでも生真面目に妙な提案をするクライヴに、ガウェインは呆れた。
「いらねーよ。んなものなくてもお前なんざいざとなったらいつでも殺してやれるからな」
「そうか」
ソファーにふんぞり返ったまま偉そうにのたまえば、クライヴがまたちらりと笑う。
それは、心底安心したような穏やかな笑みだった。
女王陛下の忠犬―人狼と吸血鬼の怪奇事件簿― 保月ミヒル @mihitora
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