最終話 VS己自身 その3(完)
※※※※
2025年3月30日(日)
そして季節がめぐるたびに、新しい事件は起きる。
俳優の大沢はホテル地下の駐車場で車を停めると、後部座席に座らせていた美少年アイドルに振り返った。
「それじゃ、ここからは歩いて移動するからねえ」
「は、はい」
「――ああ、やっぱり緊張しちゃうよねえ。でも、ちゃんと挨拶をして礼儀正しくしないとねえ。君だって信濃さんに気に入られたいでしょ? 芸能界で大きく羽ばたいていきたいでしょ?」
「――はい」
「だったら、今からこのホテルで見たものを口外するのは絶対禁止。なにがあっても抵抗したり泣き喚いたりはダメだから。ちゃんと言いつけを守らないとね、芸能人としての出世街道から滑り落ちちゃうからね。そんなのイヤでしょ? 滑らないのがいいよね?」
「は、はい、滑らないのがいいです」
「オッケイ」
――じゃあワゴン車とはここでオサラバして、スピード上げて信濃さんのところに歩こうね。ちゃんと「アテンド」してあげるからねえ。
大沢はフンフンと鼻歌を歌いながら複数のエレベータを乗り継ぎ、気が遠くなるほど長い廊下と建物間の連絡通路を通って目的地の部屋に移動する。
大沢自身もまたアイドル時代、己の地位を築くためにクソオヤジどもに肉体を捧げた男である(信濃はクソオヤジどもの一人だった)。そのとき彼のなかで腐り堕ちて死んだ魂、失われた心は永遠に戻ることはない。戻ることはないから、今はこうやって後輩や部下にあたる美少年アイドルを信濃に「献上」することになんの躊躇いもなくなっているのだ。
かつての彼自身とほとんど変わらない、まだ声変わりも済ませているかどうか怪しい少年たち、それを悪魔のような大人物に捧げて身を保つ儀式。
大沢は部屋のチャイムを鳴らして、なかから「いいよいいよ、入って?」という声が聞こえてくるのを確認してから、ノブを回してドアを開ける。
――部屋中央の大型ベッドには信濃が大の字で寝そべっており、その股間に別の美少年アイドルが顔をごっそりとうずめて「芸のお披露目」をしているところだった。壁際では九人の美少年たちが順番待ちの列をつくって並ばされている。
他には、付き人が何人か。
大沢が連れてきたアイドルは、その光景を見て思わず口もとに手を当てる。「ううっ」という声が漏れていた。おそらく吐きそうになっているのだろう。
――芸能人として飛び立つってのはよお~、厳しい世界だよなあ~~!!
信濃は「おほお!」と声を漏らしてから、自分の脚と脚の間で「芸のお披露目」をしている美少年の口内に大量のアレを吐き出した。そして呼吸を整えたあと、
「うーん」
と腕組みをした。長年の敏腕プロデューサーとして、芸能プロダクション社長としての険しい表情に見える、が、実際には自分に対する性的奉仕を採点しているだけだ。
野球帽を被り直し、サングラスを(室内だから本来必要ないのだが)改めてかけてからこう言った。
「いや、たしかに素晴らしい芸だったと思うよ。でも既定の時間を少しオーバーしてしまったのと、最後に綺麗に飲み干せなかったのがマイナスポイントかな。まあ、最初の一人目だからね、ここであんまり高得点をつけるのもね」
というわけで、んー、100点満点で言うところの89点かなあと信濃は採点した。
付き人のひとりが、その点数とアイドルの名前をマグネットタイプの札に書くと、枕側の壁にかけられたホワイトボードにペッタリと貼って「では、水谷くんは89点で暫定一位ということで」とコメントした。
大沢はそれを見てからため息をついて、自分の連れてきた美少年(金田くん)の肩を叩いた。
「それじゃ、俺は帰るから。せっかく敗者復活戦から勝ち上がってきたんだから頑張れよ」
そう小声で告げて、部屋中央のベッドに向かって恭しく頭を下げて廊下に出ていく。さっさと車に戻ってタバコを吸いたい――そう思いながら、逆の道のりをたどって地下駐車場に戻ってきた、
そのときのことだった。
正面の、自分のワゴンの前に若造が複数人いる。信濃の側近か美少年のアテンド役かと最初は思ったが、どうもそういう様子ではない。
異様に殺気立っている――それは人間が放つ雰囲気としてはいささか常軌を逸していた。人間ではないからなのだが。
「よーう」
と、グループの真ん中にいる男が獰猛に笑った。少しだけ古びたカウボーイハットをずらし、靴のかかとにある拍車をカシャンと鳴らす。
「ヒトザルどもも変わんねえなあ~!! ヘンタイショタコンの異常者野郎を相手に人身売買かよ!!」
※※※※
「ああん?」
大沢は目の前にいるカウボーイ風の男を睨みつけた、のだが、直後にリボルバー拳銃による速射を受け――そのまま後ろ向きに倒れた。
ばきゅーん。
大沢自身は知るよしもなかったことだが、銃弾が命中する前から彼のTシャツには赤色の円形で「印」が描かれており、弾丸はそれに向かって命中しただけである。
カウボーイ風の男はリボルバーをくるくると回し、銃口から立ちのぼる煙をフーッと吹き払ってから、丁寧にホルスターにしまった。
彼の獣人名はトクソテス=ジャクラトリックス、テッポウウオの獣人。必中型、脅威度B級、「敵に命中するという結果を確定させてから銃弾を放てる」能力である。
「さて、お目当ての部屋に行こうかい? 部屋の番号はもう割れてるからなあ」
トクソテスは隣の女と、それからグループ全体にそう言うと、ゆらゆらと体全体を揺らすような歩きかたで歩いた。目指すは美少年たちが穢され続ける醜悪な部屋。
もちろんタダで辿り着けるとは思っていない、実際、先ほどのリボルバーの音を聞きつけたのか、あるいはホテル全体の監視カメラをチェックできる体制でもあるのか――筋肉質な黒服の男たちが、目当ての部屋の前に立ちはだかって廊下を塞いでいた。
「テメエらイカれてんのか?」
と黒服は言った。「こっから先は横井総会が仕切る治外法権。チャカを使ったらドラム缶のカニに食わせて湾に沈めるってルールだ――分かってケンカ売ってんだろうな?」
黒服の言葉に、トクソテスはヒヒッと肩を震わせる。
「ニンゲンがガタガタうるせえなこの野郎――俺たち獣人に勝てると思ってんのか」
「ああ、思ってるよ」
黒服たちは自動拳銃の Kimber Warrior 2 を取り出した。「シルバーバレット劣化複製NN式、発砲許可申請」
「アッハァ!!」
トクソテスはとうとう我慢できずに笑い出した。「旧世代の銀弾かざしてイキってんなよなァ、ヒトザル!」
二秒後。
黒服たちのYシャツに、「先に」真っ赤なシミが広がっていく。すでに弾丸の命中は確定した。トクソテスはそれを見てからリボルバー S&W M29 を抜く。当たることの決まっている早撃ちが六発、即座に黒服たちの脇腹を貫通していった。
トクソテスは隣の女――ノイデ=スキューマッシャとともに部屋のドアを開けるなり、
「本日のプレゼンターは、この獣人ン~~!!!!」
と大声で宣言する。ベッドにいた信濃と美少年はすぐに体を離すと、慌てた様子で服を着始めていった。
「どうしてここにぃ!? どうやってぇ!?」
と信濃は怒鳴った。「廊下にいた見張りたちはどうしたあ!? ああ!?」
それに対してノイデは表情をとくに変えず、手に持っていたピアッシングニードルで信濃の左目を突いた。ぱちん、と眼球が破裂する音とともに、水分多めの血液が飛び散って床を汚す。
「ッ、アアアア!!」
信濃は顔面を押さえて転げ回る、が、ノイデは容赦なく追い打ちをかけていき、耳たぶ、舌、へその周囲、指と指の間、そして股間に重点的にピアッシングニードルを突き刺し続けた。
激痛の悲鳴が上がり続ける。傷口が小さいためすぐに死ぬこともできない。そういう凶器を好む女がノイデだった。
トクソテスはダメ押しに、リボルバーで致命傷にならないギリギリの箇所(例:足の裏)を撃ち抜きながら、ゲラゲラと笑った。
「ヒトザルのクズどもを何匹ブチ殺してもォ、どんだけ痛めつけてもォ、なんの罪にもならない説ゥ~!! アハッハハハハ!!!!」
それからトクソテスは、同情に満ちた視線を周りの美少年たちに投げかけた。
「お前らも大変だったなあ。こんなところで小児性愛のクソビョーキ野郎に食いモンにされちまうなんてよお。
でもよお、そこまでして芸能界でアイドルになりたいかあ?
誰かの推しの子になって心の穴ボコを埋めたかったのかあ? それとも、勝手に履歴書を事務所に送りつけたクソ母親を喜ばせてやりたかったのかあ?
あとでミートゥーして告発二毛作しても割に合わねえだろうがよ」
トクソテスはそう言うと、リボルバーのグリップを振り上げて、いちばん近くにいた美少年の頭をスイカのようにカチ割った。
「おかしいだろうがよお!!!!」
彼の突発的な暴力に大して、美少年たちと信濃の付き人どもは再び悲鳴を上げて逃げようとする。だが、出口のドアはトクソテスの背中の向こう側。逃げ惑ってもひとり、またひとりと殺され続けるだけだった。
「アアアア!」
トクソテスは何度も腕を振り上げた――その手の甲に刻まれているのは、黒獅子模様のタトゥーである。ただし彼が見様見真似で彫ったもので、本物ではなかった。
「見てますかクロネコ様ァ!! アンタは間違ってないんだ!! アンタの意志をみんなが継ぐ――俺も継ぐんだァ!! ギャハハハハ!!」
※※※※
トクソテスたちの凶行が警視庁獣人捜査局の耳に届いたのは、日付を回るか回らないかの頃だった。
もちろん、誰かが通報したわけではないし、ホテルを無事に逃げ出せた者がいるわけでもなかった――トクソテスとその女たちは、その場にいる全員を容赦なく嬲り殺しにしていたからである。
問題は、信濃のガードとしてフロアを固めていた横井総会の私設兵には、警視庁公安部の者が情報収集係として紛れ込んでいたということであった。名前は鯨井。
彼の定時連絡が途切れ、バイタルモニターがロストしたことによって上司の鮫島カスミが状況に気づいた。そのあと、彼と個人的な繋がりを持つ獣人捜査局第一班班長、日岡トーリに連絡が届いたのである。
《鯨井の定時連絡は腕時計のツマミをプッシュするだけで可能なものだ。それを怠るような若手ではないし、怠るような状況も危機的なものを除けば想定しにくい》
とカスミは言った。《そして腕時計のGPS機能は、鯨井が配属のホテルから少しも移動していないことを示している上に、心拍のモニターは停止している――敵に見つかって無理に外された場合以外、単純に死んでいる可能性が高い》
「なるほど」
トーリは頷いた。「そして、これが獣人案件であることを裏付けるような材料もある――ということですか」
《無論だ》
カスミはさらに音声データを送って寄越した。
《モニタリングロストの瞬間に直近五分の音声が録音され、自動送信される。そこに実行犯の肉声が残っていたというわけだ》
そんな彼の説明を聞きながら、トーリは端末を取り出して付属イヤホンを耳につける。
『ニンゲンがガタガタうるせえな――俺たち獣人に勝てると思ってんのか』
『旧世代の銀弾かざしてイキってんなァ、ヒトザル!』
という、男のダミ声が聞こえてきた。
直後、発砲音。
音の重さからして44口径のリボルバーだろうと察せられた。
「獣人であるにもかかわらず、人間の兵器を攻撃に用いなければ対象の殺傷はできない感じですか」
とトーリは呟いた。「武器の選択には単なる合理性ではなく趣味・美学が交じってるみたいですね。今どきメリットもなく回転式拳銃を選ぶのは」
《ジャムを怖れているのでは? そちらの志賀レヰナ局長のようにな》
「――そうかもしれないが、この対象は違うと思います」
《なぜ?》
「ただの勘です」
とトーリは言った。「――敵の獣人の型はリボルバーの使用と密接に結びついていて、その型自体は弱くても、当人が大いに鍛え上げて愛着ある攻撃手段にしている。拳銃そのものの作成も発射も道具任せなら、その型は命中精度を上げるか、もしくは弾切れそのものをなくす、そういう能力でしょう」
トーリはカスミからの連絡を、そのまま獣人捜査局内のチャットツールに流した。「敵獣人は今どうなってるか分かりますか」
《いいや》
とカスミは答えた。
《ただし、ホテルの周囲で獣人どもが暴れ回っているというような証言はなかったよ。さっさと逃げ出したか、もしくはその建物のなかでまだやり残したことがあるかのどちらかだろう》
「やり残したこと、ですか」
《それがなんなのかは分からん。ただのピザパーティーかもしれんぞ》
カスミの情報はそこまでだった。
――これは突入直前に分かったことだが、トクソテスたち獣人は、ホテルのなかで堂々とその他の人間を食い漁りながら、敏腕プロデューサ・芸能プロダクション社長である信濃の連絡網を使って自分たちを効率的に世間様にアピールする算段を立てていた。
手土産は大物の性的スキャンダルと生首。
主張したいことはただひとつ――日本獣人犯罪史上最悪の武闘過激グループ・クロネコ派の意志を継ぐことであった。
※※※※
鮫島カスミから日岡トーリに届いた情報は、すぐに獣人捜査局局長の志賀レヰナに伝えられたのち、手の空いていてる第一班、第四班、第五班が即座に現場直行の指示を受けた。
「第五班」
とレヰナは呼びかけた。「メロウ=バスの結界型を使って犯行グループをホテルのなかに閉じ込めろ。それから第四班は、サビィ=ギタを前衛に置いてメロウおよび第五班のバックアップに当たれ。第七班の猟獣を第一班につける」
『了解』
『了解』
第五班班長の笹山カズヒコと、第四班の中村タカユキは同時に応答した。
レヰナがオンライン通話から退室したあと、カズヒコのほうは、
『第二、第三班は別件でしたっけ――第六と第七が別件なのは知っとるけど』
と軽口を叩く。
『第二の橋本ショーゴ&イズナ=セト組は教会に対する追加調査』
と中村タカユキが答えた。『第三の田島アヤノ&キュロキュータ=キュロキュータ組は神柱ホシゾラのガードにつきながら獣人売買組織の洗い出しですよ』
ああ、せやったせやった、とカズヒコは言った。『神柱ホシゾラ――最終決戦までクロネコの人質にされてた金持ち女やろ? ガードなんて言いながら、本当はクロネコ派の残党がコンタクトを取ってくるかどうか、罠張って待ってるんちゃうの?』
『どうですかね』
タカユキのほうは、とくに雑談に付き合う気分ではなさそうだった。
『クロネコがオオカミと戦う前、彼女をどう扱っていたのかは分かりませんが、おそらく神柱ホシゾラはもう二度とマトモに言葉も話せないし、ベッドから起き上がることもできません。極度の精神的ショックで廃人状態のままですよ。
俺たち人間の側がそれでも守る意味はありますが、獣人どもが取引材料にする値打ちが今も残っているかというと微妙だな――少なくとも、神柱家のほうに庇護寄りの動きはないんです』
『――そうかい』
そんな風に二人は通話を続けながら、車を走らせ、現場のホテルから少し離れた公園駐車場、そこで待機している第一班と合流した。
※※※※
同時刻。
志賀レヰナは各班長に指示を出したあと、別のオンラインミーティングルームにアクセスし、祁答院アキラと通話していた。
『どうだい? そちらのほうは』
と祁答院アキラは言った。『捜査局組織そのものの立て直しは終わって、だいぶ元々の力を出せるようになったみたいだねえ?』
「――まあ、な」
レヰナは答えながらミネラルウォーターを口に含み、画面の向こう側にいるアキラの風貌を眺めた。
――片目が失われて黒い眼帯を巻いているのと、左の腕が肩先から丸ごとなくなっていることを除けば、祁答院アキラには、その他に目立つ欠損はなにもなかった。
死を覚悟した自爆攻撃をクロネコにお見舞いしたのが既に一年前のことである。彼女の猟獣・ドルサトゥム=トリシダの拒絶型は自爆(つまり「自分自身による自分への攻撃」)に対しても発動した。
爆発直後の肉体について言えば、手足と顔面のパーツを失った全身大やけどの黒炭ダルマそのものだったが、問題なく治癒を開始。
その傷は、名古屋拘置所にいる元ラノベ作家志望の放火大量殺人鬼を初めとした、大量の死刑囚が肩代わりすることになった(アニメーション監督に対する片想いをこじらせて妄想の世界に引きこもった男で、アキラからすれば生きていても死んでいても構わない存在である)。
ただし、あまりに激しい損傷からの回復に対してドルサトゥムがガソリン切れを起こしたのか、あるいは肩代わりのストックが尽きたのか(それはレヰナには知らされなかった)、祁答院アキラの肉体は途中までしか治らなかった。
「ざまあないな」
当時のアキラは失われた左腕の肩口を撫でながら自嘲し、側近たちを見つめた。
――その表情にはどこか清々しさがあった。
「大丈夫、この国は復興には慣れているよ。何度でもやり直して、何度でも獣たちに立ち向かおう」
そして、現在。
『あのとき』
とアキラは言った。『有耶無耶になってしまった猟獣たちの軍事転用だが、しばらく議論は先延ばし、という流れかな』
「そうなのか」
『ああ――米国で頭のすげ替えが起きそうだが、新しいリーダーが及び腰でね。どうも、クロネコとオオカミの戦いを見て、獣たちを技術的にコントロールしようという意志そのものが挫けてしまったようなんだ』
そうアキラは説明した。
『私は諦めるつもりはないが――どうにもねえ』
レヰナはそんな彼女を見て、不思議な気持ちになっていた。今までのアキラだったら、獣は許さない、その一点で軍事転用そのものはもっと積極的に推し進めそうなものなのに。そう思ったが、今の彼女は随分さっぱりとした表情で別の方向を見ている感じだ。
『――私も』
とアキラは言葉を繋いだ。『どうも、あのオオカミのことを考えると頭がボンヤリ混乱してくるんだ。なぜかな――』
「さあな?」
レヰナはタバコに火をつけた。
※※※※
カズヒコとタカユキはまず、第一班の日岡トーリが連れているメンバーに何人か知らない顔が交じっていることに気がついた。おそらくは、獣人捜査局訓練校を卒業して配属されることになった連中だろう。
「よう、美男子くん」
カズヒコは左手をひらひらさせながらトーリに挨拶したあと、念のため、その新人を顎で指して「この子らは?」と訊いた。
「新人です」
とトーリは答えた。「右のほうが細野。左のほうが花江。たしか笹山さん、あなたのメロウ=バスとは彼らは面識があったはずです。訓練校での猟獣との顔合わせでは、ラッカとメロウが担当だったと聞きました」
そこまでトーリが説明すると、細野・花江はすぐに敬礼のポーズを取った。
カズヒコも礼を返してから、
「そうかあ、あの頃の子たちがもう狩人になるくらい大きくなったんか。時間経つのは早いなあ」
と苦笑した。
「よろしくお願いいたします」
と、細野は緊張の抜けない表情で声を張り上げる。「あの、今回の件では我々はどのように動けば――」
「ええよええよ。たぶんトーリくんが『待機』言うたと思うけど、文字どおり。今回はボクらが入り口を塞ぐから、ぜんぶ終わるまでゆったり見学しといてな」
「見学ですか――」
「おう」
カズヒコはそう答えてから、曇天の夜空を見上げた。月は雲の向こう側に隠れていて見えない。しかし、たしかにそこには存在している。
――たしかにそこにあるのだ。
新第七班の専属猟獣、ウガツ=Y=ミリーナは浮遊型を発動し、闇に紛れてホテル上空を飛び回っていた。その体に掴まってホテル屋上への着地を狙うのが、オオカミの獣人、ラッカ=ローゼキである。
タカの姿に獣化しているウガツ=Y=ミリーナの足に掴まりながら、ラッカは足もとの遥か下、現場にあるホテルの屋上を見つめた。
「あそこに着地すればいいの?」
と言うと、イヤホンからトーリの声が聞こえてくる。
『そうだ。敵は数時間前に周辺の仲間たちも建物内に引き入れて、十体以上。狭い廊下と階段に申し分ない警備を張りながら、芸能界の裏側とそこに繋がった反社ネットワークを今も探索中だ。だから、狙うなら上からってことになるな』
「オッケー」
ラッカはズボンのベルトに固定した電流つきの特殊警棒を確認してから、ウガツ=Y=ミリーナのほうに顔を上げた。「ここまでありがと!」
そうして、改めてイヤホンの位置を片耳ずつ丁寧に再確認した。
「他に確認すべきことは?」
『獣人グループは、俺たちが来る前に横井総会の武装派と交戦したらしい。場合によっては、奴らが持っていた海賊版のシルバーバレットは獣人たちに奪われて、武器として使ってくるかもしれない。そのくらいだが、注意してくれ』
「なるほどな――了解」
ラッカは深呼吸をしてから目を見開いた。後ろで結んだ白髪が揺れる。細く、豊かな睫毛が風に震えて、真っ黒なライダースジャケットがひるがえった。
蒼灰色の瞳は、ここ一年で様変わりした東京の夜景を映し出していた。首にかけている銀色のドッグタグもその光を反射して、彼女のための光になる。
「この作戦が終わったら、どっか美味しいごはん連れってってよ」
『そう言うと思ったよ』
トーリの声が耳に届く。『表参道で見つけたポルトガル料理店がある。きっと気に入ると思うから、そこに行こう』
「うん!」
ラッカは大きく頷いてから、ぱっと手を離し、敵の獣人たちがいる建物に向かって飛び降りた。強い風を顔と体に受けながら、彼女はジーンズとミリタリーブーツに包まれた両脚の筋肉を使い、姿勢を整えて上手くランディングできるようにする。
それから左手をピストルの形にして、すっと地面の方角に差し向けた。足を着いた瞬間ダメージを受けないように「超加速型」を発動するためである。
不意に、頭のなかで声が響いてきた。
クロネコの声だ、とラッカは思った。
『今日もニンゲンの味方をして正義のヒーロー気取りかい? よく飽きないよねえ』
と彼は言った。『この一年間でなにが変わった? なにも変わってない。これからも僕のような獣人は底なしに現れ続ける。君がどれだけ戦い続けても、血を血で洗うこの生存競争が終わることはないんだ』
そうかもな、とラッカは思った。
『あの世から、お前の不毛さがよく見える』とクロネコは言葉を繋いだ。『ニンゲンどものほうは少しでもマシになったかな? ニンゲンに守る価値はあるんだと、君は今でも自信を持って言えるのか?』
そんな問いかけに対して、ラッカはとくに答えなかった。どうせクロネコ本人の声ではないことは分かっているのだ。彼は死んだ。いま聞こえてくるのは、彼ならそう言うだろうという想像の産物だ。
――大丈夫だよ。
ラッカは目を閉じた。まぶたの裏側には映画と、音楽と、言葉に満ちた街が映るようだ。その街を行く人々も見える。自分を認めてくれる友人、信じてくれる仲間がいるということが分かる。
トーリがいる。大好きな人が。私のことを大事だと言ってくれる人が。
だから戦える。私が皆を守るように、私を守ってくれる人がいるから。
やがて、疾風とともに世界が近づいてくる。
両目を開く。
彼女は今夜もまた、その世界に獣のヒーローとして降り立とうとしている。
Wolfish Darkness
END.
オオカミビト -Wolfish Darkness- 籠原スナヲ @suna_kago
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