第84話『断章4・二人だけの慰労祭』

 地上からは不可視の領域。雲を突き抜けた果ての果て。

 漆黒の夜空に煌めく星々を尻目に、黄金飛行市場バビロンの広場には燦然たる輝きが灯っていた。

 国家陥落混成大隊が日頃の慰労を込めて催した宴は狼牙の思惑通りとでもいうべきか、兵士達の心労を程よく解けさせていく。

 アイイシを中心とした後方支援部隊が用意した料理に舌鼓を打つ奴隷が入れば、右には緑葉を貪るドラゴニュート。加工された肉を頬張る風牙一族の左には、目につく料理を片端から平らげていく鬼族の姿。


「私ハ別、コンナモノ……」

「いいから今の内に腹を満たしておけ。せっかくの催しだ」

「ふむ、サラダというものも少々味が濃いが……悪くない」

「こんなにキラキラしたの食ったことねぇ、美味い!」


 いくら上空に拠点を構えて安全とはいえ、無警戒に過ぎるという主張も存在した。が、祭にも似た派手な空気は徐々に注目を集め、気づけば都市に住まう面々の殆んどが集合していた。


「……」


 例外の一つは、魔塔の頂上。

 屋根に腰かけて広場の喧騒を見下ろすは、真紅の瞳を輝かせた鬼族の少女。鬼族にあるまじき白髪に色白の肌、魔族に酷似した漆黒の巻き角を生やした彼女は忌々しげに手元の瓶を掴むと、一気に呷る。

 風情も何もない。ただ喉を潤すだけの作業に多少のアルコールが混在していても、気分が晴れることは一向にない。


「はぁ……」


 酒気の籠った空気を吐き出し、少女は頭上に輝く星を見つめた。

 距離の都合か、もしくは光が一点に集中している故か。


「それとも。普段は見上げてないから、か」


 漆黒が一面を支配する無明の世界に散らばる白点は、平時よりも鮮烈な印象を以って視界に映った。無軌道に存在する星々を繋げ合わせ、一つの象形を連想させる遊びが人間の中で流行っていると聞いたことがある。

 だが、ムクロドウジが如何に目を凝らしたところで点はいつまで経っても点。鬼族の想像力では物体が形成されることはない。


「いっそ赤い星でもあれば、もう少し考える余地もあったのかもな」


 誰に向かってでもなく呟き、再び酒を呷る。

 フォルミナアップルを使用した林檎酒とは、酒瓶を持っていく前に語っていた奴の弁か。彼女が連想したのはゴブドルフから出国する際、スレイブから渡されたもの。

 アップル自体は淡い味わいで口内を満たしたが、熟成した酒になると印象が大きく様変わりする。

 尤も少女は美食家でもなければ酒に一家言ある訳でもない。人間が酩酊する濃度の酒成分も、鬼族にとっては多少舌を刺激すればいい方程度。

 瞬く間に空となった酒瓶を放り投げると、手元に魔法陣を形成。空間魔法から次の酒瓶を取り出し、蓋を歯で噛み取る。


「なんだよ、悩みを抱えた女ってのは皆屋上を目指すのか?」

「……何しにきた、スレイブ」


 瓶に口をつけようとした寸前、背後からかけられた声にムクロドウジは若干の怒気を込めて答えた。

 声をかけた張本人は酒をお預けにされた少女を他所に、大仰に肩を竦めると相手の心情など知ったことかと隣に腰をかける。そして紅玉を投げ渡すと、懐から取り出したもう一つのリンゴへと齧りついた。


「何って、独りぼっちの大将の下へと馳せ参じただけだが」

「奴らに混ざらなくていいのか」


 酒瓶で指し示した先は、広場で騒ぎ立てる同胞達。

 無理して自分に付き合うこともないと暗に告げるも、信を置く部下は被りを振って反論した。


「たまにはいいだろ、こういう時は無礼講っていうしな。それに……」

「大方、狼牙辺りに頼まれたか。私を宴の方へ引っ張ってこいとでも」

「一応な。ま、奴は無理して引っ張ってくることはないとも言ってたぜ。俺を気遣って言ったんだろうが」

「ヒハッ。こういう時にはいつも頼られてるからな、スレイブは」


 ムクロドウジ自身、風牙一族の長からの要請で烈風への対処にスレイブを頼んでいた。方向性は異なるもののオボロとの決闘も受けていた他、話が通じるからとスレイブは何かと雑用を依頼されがちである。

 故に慰労の機会である今くらい、変に考えることもなく心身を休めてほしい。

 喉を鳴らす少女は憐憫の眼差しを以って少年を見つめる。


「……私は夜風を浴びてるくらいがちょうどいいんだ。スレイブは向こうで楽しんでこい」

「俺はこっちでも存分に楽しめるから問題ねぇよ。それに酒が回ったお前になら、聞けることもあるしな」

「何のことだ?」


 自然と紡ぐ言葉へ怜悧なものが宿る。

 続く弁に予想がついたためか。もしくは本人の認識以上に酒が回っていたのか。

 ムクロドウジ自身にも見当がつかない感覚を抱いたまま、スレイブの発言を待ち侘びていた。


「ムクロドウジお前さ、何か吐き出したいことがあるなら聞くぞ?」


 促されたのは、吐露。

 そして少女には、鬼族を率いる大将たるアバラドウジの一人娘の彼女には、一つの心当たりがあった。


「別にお前に話すことは……いや、お前になら話してもいいか」

「お、ようやく聞ける訳か。先に言っとくが、無理な部分は言わなくてもいいぞ」

「そんなことはお前が気にするものでもない。

 そうだな、私の容姿が他の鬼族とは乖離しているのは知ってるな」


 言われ、スレイブは冗談めかして人差し指を口元に当てた。

 とはいえオボロや他の鬼族と比べるまでもなく、ムクロドウジの見目は浮いている。特に渦巻く黒角など魔族側の特徴に近い。

 合点がいった少年の反応を待ち、少女は言葉を続けた。


「そして集団に於いて浮いているというのは、何をしてもいいということだ。幸か不幸か、私の父上も力があればいいという考えでな。子供の頃は色々されたものさ」

「……」


 溶岩に叩き落とされたりな。

 昔を懐かしむ目で頭上を見上げ、空に輝く星を見つめる。

 いい思い出とは口が裂けても言えない。むしろ痛苦にまみれた過去は恥部であり、聞いてきたのが唯一信頼できる部下たるスレイブでもなければ、生涯胸に抱えていた。

 予想だにしなかった答えなのか、少年は頬を引きつらせる。


「幸か不幸か、といったろう。

 自分の身は自分で守れ、というのは気分が楽だぞ。他者を頼れないと割り切れば、後は力をつけるだけだ」


 溶岩に落とされれば落とし返し、殴られれば殴り返す。金棒で殴打した衝撃で角をへし折った時など、報復の手が一時は止まなかった。

 酒瓶を片手に持ち、自慢げに語ってみせればスレイブはますます頬を引きつらせる。

 鬼族の価値観に理解が乏しい少年も、同族への負傷を戦功として扱われれば動揺するというもの。

 上機嫌に喉を鳴らすムクロドウジだが、途端に夜闇を揺らす音は声量を落とす。


「気に食わない奴は潰した。私の容姿を揶揄した奴も、私が上司を務める事に不満がある奴も。そうしている内に私は鬼族王国方面軍の大隊長へと任命された。

 いつもやってることと変わらない。敵が身内から本物へと変わり、黙らせる手段に命を摘むのが加わっただけの話。そう、何も変わらない」


 不変。

 結局のところ、ムクロドウジという人物は突き詰めるとそうなる。

 邪魔な他者を叩き潰して道を切り開いてきた。ただ一つの出来事だけを繰り返してきた。他の関わり方など知らぬ、流れ滴る血のみが己の優秀さを証明する武具と同様に。


「これが恐怖、なのかは分からない。ただなスレイブ、私はお前以外とこうやって言葉を重ねてきたことはない。

 わざわざ他の奴らと語り合いたいとは思わないし……やれるとも思えない。何せ別に今までの生き方を恥じてる訳でもないからな、頭を下げる必要性すら感じていない。

 それに鬼族にしろドラゴニュートにしろ、私は奴らを叩き潰して屈服させた。これでも少しは気を使っているつもりさ」

「お、おう……そう、か」


 スレイブとしても想定外の言葉だったのか。碌に返答することもできず、口を上下に開閉するばかり。

 無理もない。

 何せ実際に語ったムクロドウジですら、自分がどうしたいのかに明確な答えを持っていないのだから。

 今の自分から脱却したいのか、それともひたすらに邪魔者を叩き潰す旧来の道を突き進みたいのか。少なくともフォルク王国との事が終われば何らかの回答が求められるにも関わらず。

 主張諸共に酒を飲み込み、少女は極僅かでも思考を濁した。


「忘れろスレイブ。変なことを口にした」

「……そうだな。今はそれでいいかもな」


 視線を俄かに下げたムクロドウジだが、直後に割り込んできたスレイブの弁に目を見開く。


「明日からは、な」

「……は?」

「ひとまず今日はお前と二人で宴だ。それが楽しかったら、今度他の連中とも楽しめるか考えればいい。

 何も全部一度にやる必要はないだろ」

「……なんだ、それ」


 気楽な物言いに堪え切れず、ムクロドウジは思わず苦笑を漏らす。

 そして魔法陣の奥から杯を取り出すと、スレイブへと手渡した。


「宴なんだろ、飲むぞ」

「いや、俺の歳だと酒は飲めないんで……」

「馬鹿言うな、今のお前にはフォルク王国の法に従う義理はないだろ。それに混血体キメラだ、酒への抵抗も高まってるさ」


 透き通った黄金色の液体が一方的に注がれ、内心を曇らせるスレイブの心情など知らず。ムクロドウジは上機嫌に喉を鳴らす。


「こういう時にはこう言えと本には書いてたぞ。『私の入れた酒が飲めないのか』とな。ヒハハッ」



 夜闇のカーテンを陽光が引き裂き、水平線の果てより日輪が顔を現す。

 とりわけ雲の上に浮かぶバビロンに光を遮る手段はなく、広場に転がった多くの人員と寝息を零す面々をも照らし出す。

 そして魔塔の一角、ベッドを寝慣れた石造りのものへと変更した寝室にも光が突き刺さった。目映い輝きがさらけ出した漆黒の巻き角が、俄かに動く。

 ゆっくりと半身を起こした少女は、一糸纏わぬ姿のまま起き上がると出てきて数刻と経っていない朝日を凝視する。


「さぁて、待っていろフォルク王国。決戦の刻だ……!」

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ギルドに見捨てられた盾役が鬼族の変わり者に救われた話 幼縁会 @yo_en_kai

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