第83話『断章4・慰労祭準備』

 黄金飛行市場バビロン。

 白雲の向こう、蒼天を浮かぶ都市の一角。

 かつてスレイブとオボロが拳を交えた広場は、俄かに活気立っていた。神隠連盟かみかくしれんめいが保有していた多数の食料に加えて緑葉や黒の森から回収した食料など、ドラゴニュートや風牙かぜきば一族が好む食材も揃えた宴の準備が、粛々と進められている。

 雲の上という立地も関係するのか、空模様は快晴そのもの。

 今夜開催を控えた催しが雨天で台無しになる心配もない。尤も地形上、雨が降るのかは疑問に思えたが。


「この材料はどこに持っていけばいいんだ?」

「そ、それだったら向こうの机で作ってるスパゲティに使うもの、です……」

「はー、随分と周りに慣れてきたな。アイイシも……」

「貴様も見てないで働け、スレイブ」


 机に腰かけ、宴への準備を進める一行を眺める灰髪の少年。突然の叱責に視線を向ければ、白毛をたなびかせた狼牙が魔法で幾つかの食材を浮かべていた。

 実際スレイブは碌に準備を手伝う素振りを見せず、時折手に持つフォルミナアップルを齧るばかり。口内に豊潤な味わいが広がるに合わせて表情を緩めるも、不真面目な態度に一族を率いる長は唸りを上げる。


「それは宴のために用意したものだろう」

「それはそうだけどよ、正直俺はちょっと参加できる気がしなくてな」

「何?」


 怪訝に首を傾げる狼牙に対し、スレイブは肩を竦めて自身の背後を指差した。


「こんなことが本当に慰労になるのか……?」


 人差し指の先、階段に腰かけているのは片膝を突いて不貞腐れている片角の少女。

 真紅の瞳は人混みに恨みでも抱えているのかと疑うほど鋭利に研ぎ澄まされ、剥き出しの殺意は自然に周囲に無人の穴を形成する。

 ある意味スレイブ以上にやる気の伺えない彼女の正体は、魔族に近しい漆黒の角を巻き上げた鬼族──ムクロドウジ。

 少年は直感で理解しているのだ、今回は彼女と話し合う舞台を整える必要が生まれると。

 自身でも納得し難い怨嗟の感情を抱えたオボロに凶悪極まる魔法を持つ烈風。そして次は国家陥落混成大隊を率いる最高指導者。


「アレをスルーする訳にはいかねぇだろ……俺の仕事は精神面の安定とかじゃねぇんだけどな」

「……面倒を押しつけてすまんな。今回ばかりは別に組織運営としても必須とは言い難い。やりたくないなら、無理にやらずとも構わん」

「いやいやいや、トップを無視して騒ぐのもなんか違うだろ。それに奴は俺の恩人だ、せっかくなら楽しんでもらうさ」


 机から勢いよく降りると、スレイブは所在なさげに視線を落とす狼牙の目線に合わせて腰を下ろす。少しは気分も晴れるかと頭を撫で回してみるも、返ってきたのは鋭い眼光であった。

 ひとまず手元に残ったフォルミナアップルを食い尽くすと、踵を返してムクロドウジの下へと足を進める。

 彼女も少年の接近に気づいているのか、視線こそ向けないものの歯軋りをして不機嫌を訴えた。

 二重の意味で餓鬼かと脳裏をよぎるが、わざわざ指摘して神経を逆撫ですることもない。

 務めて表情を緩めて隣へ腰かけると、スレイブは邂逅一番に口を開く。


「準備をサボってた俺がいうのもアレだがよ、上が率先して働かねぇことには下は不満が溜まるぜ?」

「…………どうでもいい」


 端的に吐き捨て、ムクロドウジは視線を準備に奔放する面々へと注ぐ。


「ただ飯を食うだけならいざ知らず、他の連中と語らうなど苦痛だろ。何故奴らはあんな必死に準備できる?」

「仲間と馬鹿みたいな量の酒でも飲んで、馬鹿なことで騒いで、ついで酔った勢いで喧嘩の一つでもして……そういうのは結構楽しい、らしいぞ」

「らしいって、それもスレイとしての記憶か?」

「記憶というか、聞いた話だな」


 スレイの年齢での飲酒はフォルク王国でも禁止されている。ギルドによって順法意識に差異があるものの、少なくとも歯車旅団は無意味に法を犯す組織とは異なった。

 故に彼の経験も又聞きや酔い潰れている面々を見た感想に過ぎない。

 脳裏に浮かぶ光景では手ずから屠ったアレックスやギルバート、未だ生存しているバーディスト達は顔を赤く染め上げて騒いでいた。

 そして少年と同様に年齢の関係で酒を口にできない少女は、馬鹿騒ぎを繰り返す面々に呆れた表情を浮かべ、隣に座る彼へも微笑みを送る。


「聞いても理解できんな。喧嘩で騒ぐというのは、少しだけ興味深いがな」


 嘆息を零すムクロドウジを合図に意識を現実へと引き戻せば、彼女の関心は既に遠方へと向けられていた。

 何か声をかける余地もない。

 腰を上げた長は振り返ることもなく足を進めた。


「別に中止にしろと騒ぎ立てるつもりもない、やりたい奴は勝手にやればいい。私は参加しない……それだけの話だ」

「いやいやいや、おい……あー、行っちまったよ」


 一人広場を後にしたムクロドウジの背を目線で追い、中腰の姿勢を戻してスレイブは頭を抱えた。

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