第82話『断章3・心が痛まないのか?』
ゴブドルフの景観に沿った石造りの家屋。他の鍛冶屋と比して一回り大きな規模は繁盛の程を予想させる。吹きさらしの部屋からは刀剣や防具が所狭しと並んでいるものの、煙突からは煙の一つも出てはいない。
看板には共通言語で『セッカイ鍛冶屋』との文字が踊っていた。
スレイブは明かりの途絶えた店も除くも、客の気配は微塵もなし。
「なんだ、セッカイの奴は留守か?」
青の瞳に訝しげな疑問を浮かべても、答える者は誰もなし。
周囲の通行人達もまるで鍛冶屋が存在しないように通過するか、もしくは隣接する鍛冶屋へ足を運ぶばかり。店を畳んで数日が経過したと言われても納得できる様相は、鬼族との混血体をして不気味な印象を受けた。
首を傾げてみるも、外から覗くだけでは時間を無為に溶かすだけ。
元々不正入国の身、更にはいつガリオンが国家漫遊を飽きるかも定かではない。ひとまず深部を目指して足を進めてみるも、他者と顔を合わせる様子もなし。
「お邪魔しまーす……と、当然ここには人もいないか」
棚に並んでいる武具へ目を向けてみるも所々にチリが積もり、防具の中には蜘蛛が巣を張っているものまで存在した。仮にセッカイが真面目に管理していれば、まずあり得ない光景である。
幸いにも販売スペースと工房までの道程は把握していた。
が、道を幾ら進めども明かりは皆無。そして生活音も。
「金槌の音も全く、と……まるで盗人だな、こりゃ」
自嘲気味な笑みを零すと無意識の内に行っていた忍び足を止め、通常の歩行へと移行。店の深部たる工房へと進む。
鍛冶屋の命たる領域にてスレイブを待ち受けていたのは、焔途絶えた無明の荒野。命奪う武具を打つが鍛冶師の本懐なれど、そも熱の一つもなければ加工の術もない。
やがて暗闇に目が慣れると、金床に座る一人のドワーフが写り込んだ。
「おいおいおい、どうしたよ。セッカイの旦那、んなとこ弟子に見られてもいいのか?」
「……」
腰程度の体躯に横へ拡張した筋肉質、顔の三分の一を占める鼻に腰を覆う白髪。色褪せたオーバーオールには歴戦の空気こそ覚えるが、顔立ちはどこか痩せこけているように思えた。
工房の明かりが途絶えている関係で、表情から病気か否かを判断するのは困難。
だからこそ、多少の違和感を呑み込んでスレイブは意識的に声を上げる。
「埃に蜘蛛の巣、杜撰な手入れ……もしかして火を絶やしてるのと関係があるのか?」
「……」
「おい、何か言えよ。それとも口になんかある病気か?」
「……歯車旅団は、どうした?」
「ッ……何の話だ?」
スレイブの問いかけを無視した、脈絡のない言葉。
だが、こと現在の少年にとっては、国家陥落混成大隊に属する
そして違和感の起点が、セッカイ自身の放つ殺気にも似た圧であるとも。
「こっちにもギルバート死亡の報は流れてな……現場には、かなり特殊な加工が施された大剣の破片が残されていたともな。
アレ、アロンダイトじゃろ?」
「……し、知らねぇよ。確かにアロンダイトを直してもらおうと思ってきたが」
「惚けんな。分かってんじゃよ……俺だって、まさかと考えて現場に足を運んだ。破片を拾って確かめたッ。鍛冶師が自分で打った剣を見間違えると思うか?!」
言葉に炎熱よりなお燃え上がる熱を乗せ、金床から立ち上がったセッカイは力強い足取りでスレイブとの距離を詰める。
一方で怒りの元凶たる少年は灰髪を乱雑に掻くと、嘆息を漏らした。
「……そこんとこはややこしいんだよ。だが、誤解のまま端的に纏めればそうだ、俺が殺したことになるな」
「貴様ァッ」
丸太の如き怪腕。常日頃から鍛冶で鍛え上げられた隆々たる肉体。決して身長にまで恵まれた訳ではないものの、ことドワーフに於いては小柄が腕力を否定する材料とはなり得ない。
無防備に立つ混血体の顔面を殴り抜き、地面を跳ね回る程度には。
派手な音を立てて身体が吹き飛び、やがてスレイブの身体は壁面に直撃。背中から来る衝撃に肺から空気が押し出され、同時に血反吐が工房の一角を穢す。
ノーガードで受けたにしても思いがけないダメージに、立ち上がろうにも腕に力が入らない。
「クソが、なんだこの馬鹿力……!」
「俺はお前を信じていた、スレイ。いや、それともスレイブって呼ぶべきかの?」
「ケッ、随分と……知っているみたいだな」
「つい最近じゃがな。最初から知っていたら」
ガラハドの修理など請け負わなかった。
言外に込められた怒気と共に振るわれた足が、スレイブの懐へと叩き込まれる。
「ガッ……!」
浮かび上がった少年の背へ、重ね合わせた両拳が直撃。背骨がへし折れたかと錯覚する衝撃が地面へと叩き込まれた身体を反動で上下させる。
明滅する視界の中、スレイブは力を振り絞って身体を起こそうと奮闘する。
が。
「が、あぁぁぁッ」
「ハピネイスから忠告されてたんじゃ、ガラハドの持ち主は死んだと。ミコトが行方不明と割り込んでいたんじゃがの。
お前さん、あのお嬢ちゃんまで騙して心が痛まないのか?」
軋みを上げる背中と圧し掛かる加重。悲鳴に割り込み頭上より降り注ぐ声音は、咎人の罪を読み上げる裁判官にも似て鼓膜を揺さぶる。
更にミコトの名が身体へ作用したのか、首が数度激しく揺れ動いた。
尤も一時期脳内を占拠していたスレイの喧しい声はなく、いまや凪にも等しい心地よい静寂が支配しているが。
「し、知らねぇな……騙した分は、殴られてやってるだろうが。他に何が……ガッ」
一層強く込められた圧力がスレイブの憎まれ口を遮る。
別にセッカイ自身が謝罪を要求している訳ではない。スレイブの抱く罪悪感について問うていると理解していないがために。
「俺の話じゃなく、あの娘の話じゃ」
「んなの、決まってんだろ……!」
敵対する存在に対して、罪悪感などある訳もなく。
ましてや半ばムクロドウジに持っていかれた状態なものの、矛を交えた経験さえも有している。
安い感情を抱いて刃を握れるはずがない。
故にスレイブは声を荒げて答えを叩きつける。
その、刹那。
「何、やってんだ……?」
工房の入口に立つ浅黒い肌の少年──ガリアンが声を漏らしたのは。
突然の侵入者を前にスレイブは青の瞳を注ぎ、セッカイもまた警戒してか両足を地面につけて警戒を示す。
自由が確認されると、ガリアンは咄嗟に踏みつけられていた少年へと駆け寄って手を伸ばす。踏みつけていた側へ敵愾心を剥き出しにした眼差しを注ぎながら。
「大丈夫か、スレイブさんッ?!」
「ま、なんとか、な……それより、どうやってここが……」
「そりゃ灰髪を伸ばした少年を見なかったかって聞いたんだよ。そんなことよりッ」
「帰れ、お前らに売るもんは一つとてない」
「なんだとッ、喧嘩売ってんかッ!」
「いいんだよ、ガリアン。こりゃ、こっちの落ち度だ」
咄嗟に刃を抜いたガリアンを制すると、スレイブは痛む身体を押して起き上がる。
実際問題、セッカイを騙した挙げ句に気分を致命的に損ねたのは自分だという自覚は持っていた。無抵抗で殴られたのも否定できないなりに行える謝罪のつもりであり、満足できないならば別の店ないしバビロンの倉庫を漁るだけの話。
口元に滴る血を拭うと、スレイブはふらつく足取りで出口を目指した。
「じゃあな、セッカイの旦那。二度と来ることはねぇだろうよ」
捨て台詞を一つ残すと、慌てて後ろ姿を追うガリアンを尻目にスレイブはセッカイ鍛冶屋を後にする。
一人残されたセッカイは行く当てのない感情を地面へ叩きつけるも、揺れる衝撃に答えるものは誰もいない。
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