第5話.最終試練
そうセリアが咥えている棒の長さは、とても短かった。
もしかしたら喉深くまで棒を咥えこまされているのかもしれないが、唇から出ている長さは五センチも無い。
後手にリープで縛られ、恐怖のあまり女性らしさが増した身体を、ガクガクと震えさせている。
「嫌なら止めても良いのじゃぞ?報酬は頂いていくがの~~」
楽しげに笑う、しわくちゃの顔から出た声を聞くたび、アカシックは背中に冷たいものを覚える。
殺気が籠もっているわけではない、それでも老人の声は本気なのだ。
もしここで老人が居なくなれば、彼はあの憎んでも憎みきれない、黒装束の男ガイオスを殺すことが出来ない。
なぜなら、まだ最後の教えを受けていないからだ。
この三年間、アカシックが教わってきたのは剣術、いや、体術の基礎だけであった。
その先にある、何かを教わらなければ、絶対にあの男には勝てない。
なにしろ力と速さ、そして経験が圧倒的に敵の方が上だからだ。
もしもあの時、彼が父に向かって声を掛けてなければ、もしかしたら父は勝っていたのかもしれない。
しかしそれすらも、今のアカシックには判断することが出来ないのだ。
目が追いつかない。
あの時、何が起きたのか。
父がどのように避けようとし、そしてどのように切られたのかも、少年の目には映らなかった。
しかし老人から、さらなる教えを
「分かりました。やります。ゴメンなセリヤ」
覚悟を決め、アカシックは手渡された手拭いをダークブラウンの頭の後ろで縛り、深緑色の目を隠した。
”暗闇”
降り注ぐはずの陽光が厚い雨雲に遮られているからか、想像以上に暗い。
頼れるのは、己の耳のみ。
と言うのは一般的な考えで、今の彼には他にも頼りになる知覚があった。
鼻孔から入り込み、肺に溜まり酸素だけを残して、唇の隙間から出ていく空気。
体へと十分に染み込んだ酸素が血液に溶け、心臓の力を借りて四肢を駆け巡る。
掌から伸びる指だけでなく、足の先までに意識を延ばし。
そしてそのまま皮膚にある毛穴の一つ一つまでに、それを広げていく。
”動いた”
そのイメージを腕に生えている短い毛が、空気の微かなゆらぎから捕らえた。
きっと師匠が、セリヤの位置を動かしたに違いない。
焦らずに、もう一度、深呼吸をする。
「はようせぬと、娘の可愛らしい唇が火傷してしまうの~~」
後ろから聞こえて来た老人の声に驚かされ。
セリヤのあの赤くて柔らかな唇に、溶けた蝋燭が触れ、皮膚が焼かれる場面を想像してしまう。
「くっ…………」
動揺した心に反応し、すぐさま心臓の動きが早くなり、鼓動が力強くなってしまう。
”乱れ”
せっかく周囲へ広がり始めた知覚が霧散してしまった。
息を細く長く吐き気を静めようと、アカシックは反りがある
鞘に触れ合う刃の微かな感触が、神経を研ぎ澄ましてくれる。
再び、何も聞こえない暗黒の静寂が訪れる。
そこに居るのは自分だけ。
ゆっくりと深く息を吸い込み、薄く吐き出した息が霧となって周囲へ広がっていく。
”居た”
その柔らかで震えた感触は、紛れもなくセリヤのものだった。
匂いまでが分かる。
頭の中に瞳を閉じた彼女の顔が浮かぶ。
”可哀想に……”
再び乱れそうになる心を落ち着かせ、彼はもう一人の人物の居場所を探った。
その教えを信じていても、絶対に信用してはならない人物。
しかしいくら慎重に、老人の気配を探っても見つからない。
やはりダメかと落ち込むも、今は蝋燭の炎に集中する。
それは意外なほど簡単に、見つけることが出来た。
空気を焼く熱が、風の流れに負けて揺らめいている。
アカシックは、人間よりも自然を感じるほうが得意であった。
切っ先を正眼に構え、迷いなく歩みを進めて、そのまま流れるように剣を横に振るう。
微かに空を切る音と、セリアの息を飲む音を残し、剣先から蝋燭の芯が断たれた感触が伝わってきた。
「見事じゃ」
なんと老人は、彼のすぐ後ろに立っていた。
一瞬にして跳ねた心拍とともに、広げていた感覚が霧散してしまう。
まだまだ未熟であった。
それでも目隠しを外すと、涙を零したセリアの顔が見えた。
思わず抱きしめて、キスをしてしまう。
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