第3話.無力と虚脱
荒れ狂う嵐の中、天から見守る神を嘲笑うかのように、大男が豪快に笑い声を上げている。
勝者だけが得る事が出来る優越に浸り、崩れ落ちた父に抱きつこうとした母の細い腕を、熊のように大きな男が掴んだ。
「お母様!!!」
何も考えず、アカシックは窓枠に足をかけて飛び降りた。
頭から雨を被り、着地した瞬間に右足に激痛が走ったが、彼は構わずに母を助けるため駆け寄ろうとする。
しかし折れた足が言うことを聞かない。
全身が花壇の泥に塗れ、それでも這い寄ろうと、彼は必死にもがく。
「キャーーー何をなさるの……」
甲高い澄んだ悲鳴を聞き、顔を上げた彼の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
強引に母の華奢な抱き寄せったガイオスが、母シンシアの唇を奪ったのだ。
あまりの衝撃に、アカシックは手を動かすことも、声を出すことも忘れた。
髭面の野蛮人が母の可憐な顔を貪っているのに、母は動こうとしない。
いや、恐怖のあまり細い身体を固くし、震えることしか出来ないのだ。
長く荒々しい接吻の後、ようやく顔を離した大男が、今度は傍で佇む弟の事を見下ろし。
欲にまみれた目が細められた。
(殺される……)
そう思った瞬間、アカシックは片足でもいいからと、立ち上がろうとした。
大切な弟を救うために。
しかし彼の予想は外れた。
ニヤリと笑い大男が差し出した手を、弟はとったのだ。
心なしか弟の唇の端が上がっているようにも見る。
「カルシオン……」
大粒の雨に打たれ、掠れた声で呟くアカシックの声を聞きつけたのか、弟がこちらを向いて蔑む目を向けてきた。
愕然とする彼が見守る中、もう一度高らかに笑った大男が、薄水色のドレスを着た母を脇に抱え、弟を伴って外へ出ていく。
屋敷で働く兵士達も、絶対の信頼を寄せてきた主が敗れた衝撃から立ち直ることが出来ず。
不埒な侵入者に挑むものは誰も居なかった……
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
あれからアカシックは、どうしたのかを覚えていない。
意識がはっきりとした時には、朝日が差し込むベッドの上で横になっていた。
あれから何日が経過したのか、どうやって自分の部屋に戻ったのかも分からない。
ただ分かっているのは、この屋敷にカストールの姓を名乗るものは、自分しかいないという事だけ。
当主を失い、跡継ぎも成人していない屋敷の中は、太陽が登っているというのに、明かりが消えた夜の森のように静まり返っている。
「ぼっちゃ、あっ、いけない……。ア、アカシック様……お目覚めになりなられましたか?」
戸惑い、遠慮がちに若い女性の声が掛けてきた。
彼は視線だけを動かし、ドアの方を見てみると、エプロン姿のセリヤが立っていた。
てっきり、使用人の全員が屋敷を出ていったと思いこんでいたので、アカシックは目を大きくして驚いた。
その時、
グゥ~~~
何とも間の抜けた音が、言葉を忘れた彼を助けてくれた。
「あっ、すぐに朝食をお持ちしますね」
クスリと微笑んだセリアが、フリルに縁取られた黒いスカートをふわりと広げ、軽い足取りで部屋から出ていく。
「そっか……まだ居てくれたんだ……」
彼の唇から漏れ出た声は、何とも情けないものであった。
思わず、涙までが込み上げてくる。
幸いにして、部屋には誰も居なかったので、彼はそっと袖で涙を拭い、気分を変えようと、窓から望む景色を眺めた。
彼の心の中とは対象的に、よく晴れた青空が広がっている。
結局、屋敷には、長いこと仕えてくれている年老いた侍従長と、その孫娘のセリヤ、そして腕に覚えがある兵士が3人だけ残ってくれていた。
あとは侍従長が判断して、暇を出したらしい。
カストール家は、特別貧しい訳でも無かったが、かと言って一代で子爵にまで昇り詰めた父の領地は大きくはない。
それに十一歳の彼が、家督を継げるかも微妙なところであった。
せめて母が家に残っていればと、侍従長が言っていたが、彼としては家督などよりも、母の身の方が心配であった。
あの獰猛で粗野な、まるで野獣のような男に連れ去られてしまったのだ
そして実の娘を奪われた王も、大勢の兵をガイオスの元へ差し向けたそうなのだが。
既に傭兵達のねぐらは、もぬけの殻であった。
なんと傭兵団ごと、敵国へ寝返ったという噂だ。
それを聞いた時、アカシックは再び
まずは王へ謁見を申し込み、家督を継ぐ許しを
全てはそれからだと、手を痛いほど握り、彼は自分を奮い立たせるのだった。
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