第4話.始動。そして母は


 それからしばらくし、条件付きではあるが家督を継ぐ事が許されたアカシックの元へ、一人の老人が訪れた。


 ケペウスと名乗るその老人は、背がとても低く、皺のある顔を覆う白い髪と髭だけでなく、白い眉毛までも長く伸ばして目が隠れているという、変わった風貌の持ち主だった。


 まるで物語に出てくる魔法使いのように薄汚れたローブを纏い、ねじ曲がった杖まで手に握っている。


 侍従長が追い返す前提で、アカシックに確認を取りに来たのだが、話の内容に興味を覚え、彼は面会する事にした。


 「それで、あなたが私に剣を教えてくれると?」

 「そうじゃ、父の仇が討ちたいのであろう?」


 そう、王が家督を継ぐ条件として出してきたのは、アカシックが成人する15歳までに、ガイオスを倒し、母を連れ戻す事だった。

 既にその噂は、国中に広まっている。


 だからか、ひっきりなしに腕自慢が代わりに仇討ちをしてやると、彼の元を訪れてくるのだが、大抵は金目当てで、黒獅子を本気で倒そうとする、気概のある猛者は現れることが無かった。


 それなのに、この老人だけは、彼自信を鍛えると申し出た。

 しkし、どう見ても老人は戦士には見えないし、名前も聞いたことがない。

 それでも今の彼にとっては、微かな希望に思えた。


 だから、


 「いいでしょう。それで報酬は何が望みですか?」

 「ふぉふぉふぉ、そうじゃの~~」


 アカシックは話に乗ることにした。

 老人が出した条件は、突拍子がないものであったが、だからこそ信じるに足る人物であると判断したのだ。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


 所変わり隣国では、傭兵団を引き連れ亡命したガイオスが、男爵の地位を得ていた。

 王の娘、シンシアを人質にしたからだ。


 国境線に近い街を領地として与えられ、古めかしい屋敷に住んでいる。


 「いや、およしになって……」


 綿が詰められたソファーに座り、足を開いたガイオスが、連れてこられたままのドレスを着たシンシアの顔を、自分の股間へと押し付けた。


 部屋の片隅では、大男の蛮行を黙って見つめるカルシオンが立っている。

 震える拳を白くなるほど強く握りしめ、それでも目だけは、屈辱に歪んだ、母の美しい顔を眺めている。

 赤色をした可憐な唇が咥えているものを見て、少年はもう一度、汗ばむ手を力任せに握るのだった。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


 老人とアカシックの特訓は訓練場がある中庭ではなく、部屋の中で行われた。

 来る日も来る日も、彼は古めかしい本を読まされ、目を閉じて修行に励む。


 そして空いた時間には、残ってくれた兵士を相手に剣を振るう。

 手の皮が剥けようが、休むことなく振るった。


 夏が終わり、秋が過ぎ、冬が訪れ、そして春がやって来た。


 いつしか成長したアカシックは、侍女であるセリヤと夜を共にするようになっていた。

 しかしそれすら、老人の指示である。


 初めのうちは、お互いにぎこちなかったが、今ではすっかり仲良く愛し合うようになっている。

 若いからか、アカシックは訓練をした後だというのに、寝るのも忘れて手足を絡めあい、繋がったまま朝を迎えることもしばしば。


 それでもアカシックは、朝になると裸のセリヤを残してベッドから出た。

 幼くとも、しなやかな筋肉に包まれた少年の肉体が、朝日を浴びて美しさを放つ。


 その日も彼は、一心不乱に訓練に励んだ。

 剣の訓練などは、ベテラン兵士を同時に3人も相手するまでに上達した。


 そして遂に、師と崇めるケペウス老人の最終試験を受ける日がやって来た。

 これまでも、幾度となく段階を追うごとに試験を受けてきたが、今日だけは胸騒ぎを抑えることが出来ない。


 毎回、ケペウスの試験は、聞いたことも、考えたことも無いものばかりなのである。


 ある時には、裸馬の上に立って屋敷を十周もさせられ。

 またある時には、屋根の上で逆立ちをさせられた。

 しかも片手で五時間も休むこと無く。


 父アクシスが残してくれた名刀を腰に、中庭へと向かう。

 外に出ると、空にはあの日と同じく、重苦しい曇天が広がっていた。


 嫌な予感しかしない。


 それでも彼が荒れた花壇を抜けると、何故か訓練場の真ん中に、エプロン姿のセリヤが立っていた。

 両手を後ろで縛られ、口に木の棒を咥えている。


 「何をさせててるんですか、師匠!」


 これには声を荒げずには居られなかった。

 慌ててセリヤに駆け寄るアカシックの足元が掬われた。


 「うぅぐ…………」


 何も出来ないまま、アカシックは強い衝撃を胸に受けて石畳の上を転がった。

 何がどうなったのか分からない。

 それでも犯人はあの老人だと分かる。


 彼がホコリを払いながら起き上がると、何事も無かったように師であるケペウスが、セリヤの横に立っていた。


 この屋敷に現れたときと同じ丈の長いローブを身に纏い、杖の代わりに持った火の灯った松明を、少女の顔に近づけていく。


 セリアは今にも泣きそうな顔をしていたが、声を出せないでいる。

 なぜなら震える唇に、棒を咥えこまされているからだ。

 しかもその棒の上には、蝋燭ろうそくが垂直に立っている。


 ポッと音をたて、オレンジ色の火が蝋燭に灯る。


 「これで目隠しをし、その剣で火を消すのじゃ」


 いつもと変わらぬ、飄々とした老人の声。

 しかしなぜだか逆らうことが出来ない言葉。


 同じく老人の声を聞いていたセリアが、赤い唇と木の棒の隙間から息を呑み。

 揺れた炎が少女の瞳を焼こうとする。


 (近すぎる……)

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