第2話.来訪と・・・
変化に乏しい
燃えるような朱色の髪を
門番の静止を片手で振り払い、安々と屋敷の中へと踏み入れてしまう。
慌てふためき、執務室に飛び込んできた侍従長の知らせを聞くと、当主であるアクシスは何も言わず名刀を手に取り、中庭へと向かった。
その頃、
なんとなく不穏な空気を覚え、本から顔を上げて小さな窓へと向かう。
今朝まで晴れていたというのに、青空は鈍色の厚い雲に覆われ隠れてしまい、書庫の中は薄暗かった。
窓辺に立ち、ふっと気配を感じて見下ろしてみると、普段は閑散としている中庭に使用人たちが出て来ていた。
一様に不安な表情を隠せないでいる。
不思議に思い、彼が窓を開けると、湿った空気が押し寄せてきた。
今にも大粒の雨が降り出しそうだ。
中庭には質素だがよく手入れの行き届いた花壇に囲まれるようにして、タイル状の石を敷き詰めた訓練場が有る。
その中央、黒い鞘に包まれた大剣を片手にぶら下げ、猛々しい獅子のような大男が立っていた。
「あれ、あの人は確か……」
ちょうどアクシスが呟いた時、正門がある側の屋敷から、父アクシスが出てきた。
正装としても十分に通じる、皺どころかチリすら付いていない騎士服を身に着け、腰には家宝の長剣を下げている。
息子にとっては見慣れた服装なのに、今日は何処かが違って見えた。
その後ろから、薄い水色のドレスを纏った母シンシアと、赤い服を着た弟が続く。
例え息子であっても、溜息を零さずにはいられない母の美しい顔が、どこか空と同じで不安げだ。
「ガイオス殿。連絡もよこさずに訪問するとは、如何に貴殿とはいえ無礼ではないか?」
「ふっん。戦場では礼儀も何もなかろう」
表情を変えること無く、
例え相手が王であっても、礼節を弁えつつも、態度を変えることがないと、母が頬に手を当て嘆いていたことを思い出す。
それでも国で、騎士団で一番の腕を持つ父を、彼は誇りに思っていた。
それに対するガイオスは、どこまでも
”狂乱の黒獅子”とあだ名されるその男は、千を超える兵士を抱える傭兵団の団長であるが、しかし貴族ではない。
そのような男が、子爵である父に無礼を働けば、本来であれば衛兵に捕まり牢屋へと送られるところだ。
しかしこの男は強い。
きっと衛兵が10人がかりで囲んでも、いや、30人がかりでも捕らえる事は出来ないだろう。
たとえ剣が未熟でも、アカシックはこれまで得た情報と、単身で貴族の館に乗り込んできた男の態度から、そう結論付けた。
何しろ一度戦に出れば、最低でも百人は殺すと言われるほどの男だ。
そして黒獅子が、これ以上の会話は無用と、大剣から黒革で出来た鞘を取り去った。
幅広の鈍色の刃が黙って佇む父へと向けられ、凶暴な光りを纏う。
それは瞬く間の出来事だった。
黒い服を纏う大男が石畳を剣先で削りながら、ゆったりとした足取りで前に出たかと思うと。
次の瞬間には、父に肉薄していて大上段より裂波の気合とともに、紫色の闘気を纏う大剣を振り下ろしていた。
素人が見ても分かる避けようがない、会心の一撃。
どのような技を使ったものなのか、熊のように大きな巨体が、瞬きする間に距離を縮め、父の頭に凶刃を叩き込んでいたのだ
しかも父は構えもせずに立っていた。
”死んだ”
その予感が、アカシックの胸を瞬時にして凍らせる。
恐怖のあまり息を吸うことも、瞼を閉じる事も出来ない。
しかし静寂に支配された中庭から、うめき声どころか肉が潰れる音が聞こえて来ない。
微かな何かを感じ取り、アカシックの視線が横に動く。
「えっ、どうやって……」
大剣を振り下ろした体勢で固まる大男の後方、数歩離れたところに父の姿があった。
今だに剣を抜かず、黙って男の広い背を見つめている。
長年、稽古をつけてもらったアカシックでも、父の光速と謳われる体捌き見ることは叶わなかった。
もし父が剣を振っていれば……
呆然とする彼を他所に、一般人の背丈ほどもある大剣を肩に担いだ、黒獅子が振り返った。
髭に囲まれた野蛮な顔が、朱色の燃えるような髪よりも赤く染り、憤怒に歪んでいる。
見れば大男の纏う黒い服が、胸の所で横一直線に裂けていた。
しかし血は出ていない。
なんと驚いたことに、父は殺人剣を振るう相手に対しても手加減をしたのだ。
無益な殺生は良くないと……
黒獅子、ガイオスの雰囲気が変わった。
先程までの不遜な笑顔が顔から消え、垂直に立てた大剣を肩の高さで握り、殺気の籠もった両目で父の事を睨みつけ。
右足をしっかりと引いて構えている。
アカシックは、距離がある二階の窓から見ているというのに、その圧倒的な気迫に気圧され、後ずさりたくなるのを、窓枠を強く掴んで必死に耐えた。
にじみ出た汗で窓枠から手が滑りそうになる。
そして遂に父が、音もなく家宝の剣を抜いた。
見事な反りがある細長い
”殺す気だ”
アカシックはまだ教わったことがない構えを見て、そう
父は相手に惑わされること無く、中段に構えろと教えてくれていた。
敵の攻撃を交わすことを優先させよと。
しかし今は相手を強敵と認め、攻撃を優先した構えをとったのだ。
屋敷で働く者、全員が、中庭で行われている決闘、いや、死闘を固唾を飲んで見守っている。
勿論、全員が父の勝利を願っているに違いない。
ポツポツと大粒の雨が落ち始めた。
それでも動くものは誰もない。
(ん?あれは……)
その時、ほんの僅かに敵の分厚い唇が動いたように、アカシックには見えた。
殺気をはらんだ獰猛な目がニヤリと笑う。
「お父様!気を付けてください!!!」
気がついた時には、アカシックは窓枠を握りしめ、大きな声でで叫んでいた。
チラッと、こちらを向く父の視線を、彼が感じた瞬間、父の体に紫色の雷撃が落ちていた。
…………
「そんな…………」
しばしの静寂の後、天の底が抜けたような豪雨が、彼の呟きを掻き消すのだった。
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