第11話.因果の帰結


 結果、赤色のマグチタス軍は負けた。

 惨敗であった。

 ただ一人の騎士の働きによって、軍勢が瓦解したのだ。


 そして黒獅子ことガイオスに代わり、傭兵の頭になったカルシオンもまた、兄に一太刀を浴びせることも出来なかった。

 それでもあの激戦を生き抜いたとして、彼は黒獅子の後継者として認めれられている。


 古めかしい屋敷に戻ると、金髪の少年はガイオスが座っていた豪華な椅子にドカリと腰を下ろし、慌てて侍女が差し出してきたワインを一気に煽り。


 「くそっ、何なんだ、アイツは!」


 腹立ちさのあまり、ワイングラスを絨毯に叩きつけた。

 その破片が侍女の顔に当たり、傷を付けても気にしない。


 それどころか、そのままガイオスのお気に入りであった侍女の細い腕を取り、一番広い寝室に連れ込むのだった。


 静まり返った屋敷の中。


 母シンシアは、隠れるようにして、使用人が使う狭い部屋で暮らしていた。

 大切に育てた息子が戦場から帰還しと知っているのに、そのやつれても美しい顔に笑みは浮かんでいない。


 別に息子が所属している軍勢が、戦に破れたから悲しんでいるわけではない。

 勿論、この屋敷の絶対者であったガイオスが死んだからでもない。


 そしてその大きな戦で、もう一人の息子であるアカシックが名を上げたとを知ってもなお。

 母は表情を変えることがなかった。


 最早、笑みを浮かべる気力すら残っていない。


 ただ幸いなことに、この屋敷に暮らす傭兵の殆どが重症を負い、そのまま戦場に捨てられていた。

 その全員が腕や手首を切り落とされ、武器を持つことが出来なくなったからだ。


 実は嫡男のアカシックが、その全てを切り落としたのだが、その事実を母は知らない。


 それから一ヶ月後の夜。


 荒れ果てた屋敷の前に、一人の男が現れた。

 青い騎士服に濃紺のマントを羽織り、腰からは反りのある長剣を下げている。


 ここが敵国の領内だというのに、気にしたふうに見えない。


 無断で敷地に踏み込もうとしたところを、欠伸そしながら門番が静止しようとした。

 しかしその手が、訪問者の肩に触れる前に腹を押さえて崩れ落ちた。


 そのまま歩みを進める訪問者。


 銀色の鎧を脱ぎ、愛剣以外は何も携えていない。

 それでも堂々と、ダークブラウンの髪を伸ばした青年は、屋敷の正面にある玄関から入った。


 偶然にも、そこへ居合わせた傭兵が、慌てて剣を抜いて襲いかかったが。

 虚しく剣と一緒に手が宙を舞った。


 その呻きとも悲鳴とも付かない声を聞きつけ、わらわらと武器を手に傭兵達が駆けつけてくる。


 「おや、誰かと思ったら兄さんじゃないですか。でも、連絡も寄越さず来るとは無礼ではないかな?」


 この屋敷の主は俺だと言わんばかりに、金髪を綺麗に整え、豪華な服を纏ったカルシオンが、中央階段の上から見下ろしている。

 表情を変えぬまま。


 「母上を迎えに来た」


 アカシックは落ち着いた声で、用件だけを弟に伝えた。

 反りのある両刃もろばの剣は鞘に収まったまま。


 みるみるうちに顔を赤くする弟が、裸の侍女が三人がかりで持ってきた大剣を乱暴に掴んだ。

 それは弟が戦場で使っていたものではなく、あの黒獅子が使っていた禍々しい気配を纏う大剣だ。

 幾百幾千の人間の血が染み込んだ呪われし大剣。


 背が伸び、相当な量の筋肉が付いたとは言え、まだ成人していないカルシオンが簡単に振れるものではない。

 それを引きずるようにして両手で持ち、奇声を張り上げると、弟が階段の上から飛び下りた。


 「はぁ~。無益な事はしたくないのだが……」


 再開した時、すでに兄アカシックが知っていた弟の面影は、どこにも残っていなかった。

 姿形が同じでも、何百とも分からない人間の血を頭から被り、女性や子供を苦しめて来た事で、純粋だった魂は見る影もなく汚れ。

 最早、人間と呼べる存在ではなかった。


 二十段はあろう階段を一つの跳躍だけで飛び越え、落下の勢いに全体重を載せて、兄のダークブラウンの頭に刃を叩き落とす。

 真っ直ぐな肉厚の刀身は、切れ味よりも打撃を一点に集中することに特化している。


 それを頭に食らった人間は、どんだけ鍛えようが死をまぬがれない。

 父と同じ様に……


 しかし兄は違った。

 ほんの少しだけ体を右へ動かしただけで、凶刃きょうじんかわしてみせた。

 そして抜き放った反りのある刃で、弟の首を優しく撫でる。


 なんの抵抗もなく、音も立てずに、胴体から離れた頭部が孤を描いて宙を舞う。


 見事な切断面から鮮血をほとばしらせているのに、弟のカルシオンは痛みを感じていなかった。

 ただゆっくりと回転する視界の中に、ダークブラウンの毛が数本、舞っているのが見えている。


 そう、彼が振るった大剣が断ち切った物だ。


 父から習った剣を捨て、本能のまま剣を振るうようになった弟の剣は、全くと言っていいほど兄には通じなかった。

 戦場でも、そして今ここでも。


 しかもだ、兄はあの父から譲り受けたと思われる、電光石火の秘剣を振るわなかった。

 基本に忠実に、敵の剣筋を見極め躱しただけ。

 そしてガラ空きになった急所を一太刀。


 その無駄のない剣筋は、まさに鍛錬のたまもの


 ”完全なる敗北”


 その瞬間、カストール家の次男カルシオンは、父アクシスが黒獅子と恐れられたガイオスに、負けていなかったことを覚った。


 そう、わざと殺されたのだ。


 理由は分からないが、きっとそうだと少年は確信した。


 ふわりと漂う髪の毛の向こうに、兄の顔が見えた。

 父と同じ感情の読めない、憎らしいほど澄ました顔。


 いや、深い緑色をした目が、僅かにだが細められている。


 (あっ、そうか。悲しんでくれたんだ…………兄さん)


 そして頭部が反対側を向いた時、ホール脇にある廊下から出てきた女性と目が合った。


 (お母様…………)


 宙を舞う息子の顔に驚愕し、大きく開かれた瞳から、透明な液体が溢れ出し、雫となってこぼれ落ちる。

 しかしそれを見ても、少年は口から声を出すことが出来ない。

 何とか動かした口が、最後のメッセージである。


 次第に薄れゆく意識の中、カルシオンは豪勢な食卓を囲む、家族の姿を心に思い描くのだった。

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