折り紙の秋

朝吹

折り紙の秋

 京都で暮らしていたことの利点は、地図が頭の中に入っていることだ。何処の土地でも同じだろうと云われるかもしれないが、千年以上の古都だ。空襲にもあっていない。長安の都を模した碁盤の目の通りの多くと、神社仏閣が長い間変わっていない。時空のいたずらで数百年落っこちたとしても、「ああ、あのお寺ね。それはこの道を真っ直ぐこう行って、それからああ行って」と迷いなく案内が出来てしまう。わらべ歌で覚える主要な通りと、洛南洛北の山並みと川さえ想い描くことができれば、だいたい何処にでも迷うことなく行けるのだ。

 これが何に役に立つかというと歴史小説を読んでいる時だ。たとえば岩倉から毎日御所に歩いて通った、または六条に邸宅を構える大臣が正妻の悋気に懲りて一時宇治に引きこもったという記述があったとする。これを距離感とともに容易に想い描くことが出来るのだ。ちなみに両方とも結構距離はある。


 十年住んでいた。自転車であちこちの寺や神社を巡っていた。行動を起こすのは早朝だ。外国からの観光客は昔から多かったが、今のようにアジア人観光客の団体さまが占拠するということはなくて、ひと昔前の主流はバックパッカーの欧米人だった。

 朝はやく、開門したばかりの寺にわたしは滑り込む。太い柱が立ち並ぶ立派な山門をくぐることもあれば、庵のようにかわいい小さな門もある。自転車をとめて境内に入る時、春夏ならぬるい静寂に迎えられ、秋冬なら霜の降りるきんと冷えた大気に耳を引っ張られた気がしたものだ。

 友だち同士で旅行もしたが、お寺に関してはひとりで行くのが好きだった。そして庭を観る時には他に人がいない状態であることが好ましかった。だから早朝を選んで行った。


 同じことを考える人間は少なくない。朝いちばんを狙っても人に逢うことはあった。そういう人たちはわたしと同じような嗜好をもった人間なので、お互いを視界から消すようにして動くという妙な連帯感を分かち合うことになる。

 ある時など、たまには写真でも撮ろうかと用意していると、同じようにカメラを構えている人が数名いた。老人とおじさんと若者だ。お互い、撮りたいのはまったく人物の入らない境内の景観である。

 無言でわたしたちは場所を譲り合い、邪魔にならないように立ち回り、気を散らさぬように静かに歩き、見事な連携プレーを展開して、わたしを含めた四人の誰もがゆったりと先の人が心ゆくまで写真を撮り終えるのを待ちながら、無言で気脈が通じるところを存分に発揮するということもあった。たまにネットで炎上揶揄されるような、一部の鉄道おたくの喧しい我の張り合いとは大違いだ。


 団体観光客や修学旅行生が押し寄せるお寺よりも、その脇にひっそりとあるような、小さなお寺によく行った。気の利いた観光タクシーの運転手さんが連れて行ってくれるような隠れた寺だ。借景や美しい庭は写真集になるような有名な寺だけの専売特許ではない。どのお寺もきれいに掃き清められて、四季を愉しめるような庭になっており、朝早くとびこんでいくわたしはそういった庭を、昔の人になったつもりで堪能するのが常だった。

 藤棚に蟲のとぶ初夏も、山水画の世界の雪つもる冬も、暑くなりそうな朝空も、桜絨毯の春の早暁も、どの季節も好きだった。


 早朝に独りでやってくる女というのはよほどの訳ありにみえるものらしい。たまに坊守や僧侶から話しかけられた。そんな時は、悩みはありませんし自殺する気もありませんということだけを言外に訴える笑顔をつくって、せいぜい明るくお喋りをした。何があったんやと想われていたのだとおもう。お茶まで出された。あちらも不気味だったことだろう。石段がじゃりじゃりに雪で凍り付いている真冬の朝の庭の端っこに、ぼんやりと女が独りで立っていたりするのだから。


 とにかく、京都なのだ。歴史のうねりの中で千年分担当している京都なのだ。数々の悲劇を繰り広げた上皇も天皇も、乱も戦も、天才歌人も俳人も、尊王攘夷派も新撰組も駆け抜けた土地なのだ。苦しみもがいて死んだ武者の手形の残る血天井を見上げながら、否が応でも夢想ははしるというものだ。そして彼らのことを想い描く時には、やはり他に誰もいない、当時から変わってはいないのではないかと想えるような、古いお寺の庭がいい。

 わたしはそこで歴史の中の人々と親しくなる。

 歴史的建造物を維持していくために拝観料を徴収するのは仕方がないのだろうが、好みとしては、やはり今の時代であってもふらっと入ってふらっと出ていける構えないお寺が好きだ。

 明治の白黒写真などを見ていると、今ではガラスケースの向こうに展示されているような歴史的お宝がまだ無造作にぽんと放置されていて、子どもたちが自由に境内に入り込み、大きな鐘の廻りを取り巻いていたりする。これは奈良でも同じで、現在ではきちんと整備されて管理され、見学料金を取っている明日香村の石舞台古墳も、わたしの友人の祖母の時代までは子どもがよじ登って遊び場にしている原っぱの中の謎の大きな石だったそうだ。


 腰に刀をさした羽織はかまの志士が急ぎ足で通り過ぎたり、洟のたれた童が土塀をよじ登って柿泥棒をするのが想像できるような小さいお寺を見つけると嬉しかった。常日頃は大勢の人がいる名刹も悪天候を狙って朝いちで行くと誰もいないことがあり、お雛さまのような恰好をした人々の幻をそこに重ねて愉しんだ。

 寺の庭はわたしの空想の箱庭だった。神社もそうだ。そこでは、京都に生きた歴史の中の人々が、何やら陰謀を企てていたり、物の怪におののいていたり、蹴鞠をしていた。

 大原の方に行って、帰りのバスが一時間に一本で、待っているあいだ吹雪に叩かれ寒さで後悔したこともあるのだが、底冷えの真冬の朝ともなればとくに誰もいない。

 早朝だけでなく、日中には観光客で溢れかえっている賑々しい場所に移動もしている。紅茶や珈琲をのんで、団子を食べて、友達とランチを待ち合わせることもある。二年坂三年坂、嵐山。いつ行っても人が大勢いて、レンタルした着物を身につけた人たちが行きかい、お祭りのようで楽しくなる。


 今は他県から通っている。初日は京都駅からバスに乗り、バスの中で運転手さんから一日乗車券を買う。適当な処で降り、また適当に眼の前に来たバスに乗る。四回乗車すれば元がとれる。乗るバスを間違えても乗り換えればいい。だいたいのバスは京都駅に向かう。ハイシーズンになるとバスに乗ることすら出来なくなるが、そんな時は潔く貸自転車か電車にかえて、なるべく遠くに行ってみる。

 そして次の日は、チェックアウトまでの時間と相談しながら朝いちばんで財布だけ持ってホテルから出て行くのだ。

 市内中心部はもう取り返しがつかないほど開発され尽くしてしまったが、郊外に行けばまだぎりぎり、高い建物も眼に入らず、古い時代もこうであったかと想わせるような鄙びた庭と広い空を愉しめる。

 或る年の秋、誰も振り返らないような小さなお寺に行った。境内の紅葉がすべて紅葉しており、ひらり、ひらり、と静かな朝の光の中に紅葉が落ちてきた。鮮やかな赤い色。黄色。つめたい秋の朝風に、まるで折り紙で折った金魚が泳いでいるようだった。

 

 [了]

 

 

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折り紙の秋 朝吹 @asabuki

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