第9話
花びらはあと一枚。
次の一撃でアリスは確実に死ぬだろう。
フレアはアリスの細い首に、大きな鎌の刃を押し当てた。
そうして一気に
ズドンッと銃声が響いた。
弾丸がフレアの右手首をえぐり、ガラーンッと音を立てて鎌が床に落ちた。
「うひゃひゃひゃ。詰めが甘いよ、フレア君」
撃ったのはキャスパー博士だった。
猟銃を手に、壁に寄りかかって立っている。
「あら、まだ生きてらしたのね、博士」
博士はさらに発砲した。弾丸はフレアの眉間に穴をあけたが、彼女は平気な顔で立っていた。
ちなみに二発しか装填できないタイプの猟銃だ。
「あなたはもう用済みですわ。邪魔しないでくださる?」
博士は銃を捨てて後ずさりした。
そのとき、突然フレアがハッとした顔で動きを止めた。直後、首がぽろりと床に落ちる。
背後には片手で鎌を持ったアリス。
まだ左手は回復中で、
「まだ終わってないぞ、アリス!」
博士が叫んだ。
その通りだった。
首を失ったフレアの体は動き続け、やけくそのように枝を放出して暴れはじめた。
「騎士の首だ! あの首を体から分離させないと動き続けるぞ!」
博士の言葉で、アリスはフレアの鎖骨あたりにめり込んでいる顔に目を向けた。
しかし、接近して攻撃しようにも、これ以上ダメージを受ければ最後の花びらが散ってしまう。アリスは向かってくる枝を切り落とすので精一杯だった。
「うふふふふっ。いつまで防ぎ続けええあああ!?」
フレアの首が素っ
博士が彼女の髪を掴んでブンブン振り回し始めたのだった。
フレアの体がふらついた。
視界が連動しているのだろうか、体にめり込んだ騎士の目がぐるぐる回っている。
「やめなさい! やめろっ! この変人!!」
フレアの首が声を荒げて叫んだ。
「うひゃひゃひゃひゃッ! 地獄に落ちたまえッ」
フレアの足取りが酔っ払いみたいにフラフラしている。デタラメに放たれる攻撃をかわして、アリスは彼女の両足を鎌で切り飛ばした。
倒れたフレアの体を足で押さえつけ、ついに鎌で首をえぐり出す。
フレアの体が動きを止めた。
バラの花も、枝も、急速に枯れていく。フレアの体も干からびたようにしおれていった。
博士は力が抜けたように、フレアの首を落とした。首は床に転がった。
「ああ……またアリスの勝ちなのね……」
フレアの首はそうつぶやくと、茶色くなってサラサラと崩れていった。
あとには、青白い騎士の首だけが残った。
「当人の苦労は、当人にしかわからない……それがわからなかった君の負けだ」
博士はドサッと倒れた。
アリスは彼に駆けよった。
「アリス、はやく騎士の首をリブリジアに返すんだ」
「いったん手当したほうがいいんじゃない?」
「いや、結構。手当したところで、助けが来るのは二日後だ。絶対に助からない。命を無駄にしたくない。最後の儀式をはじめよう」
アリスは言われたとおり、最後の首をリブリジアに返した。
これで、リブリジアの花を囲むすべての騎士が首を取り戻した。
「返したわ、博士。あとはどうしたらいいの?」
「私をリブリジアの根元に……魔法陣のところへ連れていってくれ」
アリスは博士をズルズルと引きずった。引きずりながら、
「ねえ、ほかに方法はないの? 人間草の枯れたやつとかをかわりに捧げちゃだめなの?」
と、たずねた。
「人間草ではダメなんだ。生きた人間でないと」
博士は血の気が失せた唇を動かして答えた。
「そう、だから私を人間のまま残しておいたんだ。そうなんだろう、リブリジア……」
博士はリブリジアのそばまで来ると、
「実を結ぶためには、命を捧げる人間が必要になるから。それが私だったのは……私なら確実に命を差し出すと、お前の中のアリスの記憶から導き出したのか……そう考えるのは、あまりに感情的な推測かな……」
博士は魔法陣に自分の血で文字を書いていった。
どうやら、それが最後の仕上げらしい。
「ねえ、私これから一人でどうしたらいい?」
アリスはぽつりとたずねた。
「記憶が戻ったら自ずとわかるさ」
博士は答えた。
「本当に? 全然そんな気がしないわ。記憶が戻っても、一人は一人だもの。フレアと博士しか知らないのに、二人ともいなくなる。勝手に生き返らされて、勝手に一人にされる。博士は勝手だと思うわ」
「その通りッ。私はすごく勝手だ。うひゃひゃひゃひゃッ」
博士は笑った。
なに笑ってるんだ、とアリスは思った。
「よしできたッ! さあ、リブリジアよ! わが命を食らいたまえッ」
博士は完成した魔法陣に手を置いて叫んだ。
騎士たちの目が青く光り、ざわざわと花がうごめき始めた。
複雑に絡みあった人間の腕のような茎が、ゆっくりと博士に向かって伸びてくる。
「なに、心配することはないさ、アリス。フレア君はああ言っていたが、君がつかんだ幸福の多くは、君が努力によって手に入れたものだった。それは子供の頃から近くで見てきた私が保証しよう」
リブリジアの青白い手が何本も、絡みつくようにして博士の肩や腕をつかんだ。
「君は雑草のように強くたくましかった。どこでだって生きていけるさ」
博士は腕に持ち上げられて、リブリジアの花の真上に連れていかれた。
巨大な青い花がゆっくりと開いていく。
そこにはもう、アリスが眠っていたフカフカの台座のような部分はなく、真っ暗な虚空が口を開けていた。
「うえええッ!? そこから食うってこと!?」
博士は怖がるどころか、少年のように目を輝かせた。
「見ろ、アリス! すごいぞ!! どうなってるんだ!」
そう叫びながら、博士はどんどん暗闇の中に押し込まれていく。
「うひゃひゃひゃひゃッ。素晴らしい! 一時的に痛みを忘れるほどの感動ッ。今まさにこの体は神秘の花と一体となり、謎めいた漆黒に向かって吸収されようと――ああこの状態も論文に残したいけど、さすがに無理ッ」
博士は完全に飲み込まれるまでうるさく喋り続け、最後に片手をあげて、「ではさらばだッ、アリス」と手を振った。
その手もすっかり飲み込んでしまうと、巨大な青い花は急激にしおれていき、あとには嘘みたいに小さな実ができた。
りんごに似た青い実がポトリと落ちて、アリスのほうに転がってきた。
***
数か月後。
とあるバレエ学校の寮の一室にて、
一人の少女がルームメイトに向かってこう言った。
「それ、素敵なオルゴールね」
ルームメイトは微笑んだ。
「そうでしょう。私の宝物なの」
彼女がネジをまわすと、音楽に合わせてバレリーナの人形がくるくると踊った。
人間草アリス 亜由村亜次 @aji_ayumura
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