第8話

 床に血だまりが広がっていく。

 博士は倒れたまま動かなかった。


 フレアはため息をついて、「がっかりですわ、キャスパー博士」と言った。「人間に戻る方法を聞き出してから殺そうと思ってたのに。そもそも戻る方法がないなんて」


 アリスは状況が理解できなかった。

 フレアの肩からは、白衣を突き破ってトゲだらけのバラの枝が生えている。


「フレアは……人間草だったの?」


「ええ、そうなの」

 フレアは普段と変わらない笑顔で言った。


「フレアが最後の騎士なの?」


「ええ、そうよ。ほら」

 と、フレアはおもむろにブラウスのボタンをはずし始めた。

 上から3つ目まではずしたところで、白く滑らかな肌に異様なものが浮き出ているのが見える。 

 左の鎖骨の下あたりに、女の顔があった。

 目が、パチパチと瞬きをしていた。


 アリスは頭が混乱した。

 何から考えていいのかわからない。


 フレアが騎士だということは、戦わなければならないのか?

 戦って倒して、騎士の首をリブリジアに返さなければならないのか?

 でも、騎士の首を集めろと言った博士は、もう死んでしまった。フレアが殺してしまった。


 アリスはこれからどう行動していいのかわからなくなった。


「ついてないわ。こんな化物になっちゃうなんて」

 フレアは肩をすくめた。

「私って本当についてないの。昔から。ついてるのは、アリス。いつもあなたのほうだったわ」

 ブチブチッと白衣に穴をあけて、バラが背中全体に茂りはじめた。花も咲いた。赤いバラだ。左右に大きく広がった枝は、まるで背中に赤いバラの翼が生えているみたいだった。

「本当にあなたはついてるわ。まるで神様に守られてるみたい。だって、殺しても生き返ってくるんですもの」


 バラの枝が勢いよくのびてきて、アリスの太腿ふとももを刺した。

 言葉に気を取られて、一瞬アリスの反応が遅れた。


「殺した……?」

 アリスはバランスを崩し、床にひざをついた。


「そう。私が殺したの。階段から突き落として」

 フレアは顔色ひとつ変えずに言った。

「でもあなたが悪いのよ。あなたが私から幸運を奪っていくから」


 鋭いバラの枝がふたたび襲ってきた。

 アリスは鎌でぎ払った。


「何のこと?」

 アリスはたずねた。身に覚えのない話だった。


「今のあなたは覚えてないでしょうけど、じつは私たちは同じ孤児院で育ったのよ」

 フレアはにっこり笑った。


「孤児院?」


「そう。私たちは孤児だったの。はじめは同じ境遇だったわ。なのに、どうしてかしら。幸せになるのは、いつもアリスなのよね」

 フレアはため息まじりに言った。

「私が引き取られたのは、貧しい旅芸人の一家で、アリスが引き取られたのは金持ちの議員の家だった。私は養父に殴られながら踊りを仕込まれ、生活のために八つの頃から舞台に立ってたわ。でも同じ頃、アリスは綺麗な服を着て、学校に行かせてもらってた。ずるいと思わない? それでね、私は貧乏から抜け出すために、ある有名なバレエ団のオーディションを受けたの。そこで、アリス、あなたと再会したわ。最終選考まで残ったけど、選ばれたのはアリスだった。またアリスよ。そのあと私は結局バレエを諦めて、半年前にこの屋敷のメイドになった。そしたら、また……! フフフッ、あなたがいるじゃない、アリス!」

 フレアは声を立てて笑った。

「しかも、あなたったら、バレエを辞めてフォレスト家の御曹司と結婚してるじゃないの! 私から夢を奪っておいて、なんて贅沢なのかしら!」


 バラが爆発的な勢いで成長し、アリスに向かってきた。

 上下左右、全方位から襲ってくる。

 どれだけ鎌でぎ払っても防ぎ切れず、一本が体を貫いた。頭の花びらが散る。


「そんな贅沢、許されていいはずがないわ。だから私が神様に代わって天罰を下したの」


 アリスは串刺しにされて、持ち上げられた。


「でも、博士があなたを生き返らせようとしてるって知ったときは焦ったわ。だって、あなたが生き返ったら、私が殺したってバラされちゃうじゃない。だから思ったの。リブリジアを燃やしちゃおうって」


「え……」


「ああ、でも実際に火をつけたのは新人の研究員よ。ほら、あのハエトリグサ男。あいつにやらせたの。だって、すごく危険な花だって聞いたから、自分でやるのは怖いじゃない? だから、こう吹き込んだの。『私は博士がアリスを突き落とすところを見た。博士はリブリジアを使って永遠の命を手に入れるためなら手段を選ばないマッドサイエンティストだ。あんな花は燃やしてしまったほうがいい』って。あの新人、前から私に気があったみたいで、簡単に信じてくれたわ」


 フレアは嬉々として語った。

 アリスはどうにか鎌で枝を切って地面に降りたが、すかさず次の攻撃がきた。

 ドドドドッといっせいに右腕を集中攻撃され、右腕がちぎれた。

 鎌が床に落ちる。


「あら。もう花びらが半分よ、アリス」


 フレアは容赦なく攻撃を続けた。

 右足、左足、左腕を順番に吹き飛ばされ、アリスは床に転がった。


「さあ、あと一枚」

 フレアはアリスの鎌を拾い上げた。

 再生が間に合わない。


「あとぶった切るとしたらココかしら」

 フレアはそう言って、アリスの首筋に鎌で狙いを定めた。

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