第92話 知恵と欣之助の祝言&鉄扇と霧笛の花馬
それから一年後の万治二年八月二十日(一六五九年十月六日)。
会津領下における大坪古流馬術の始祖・守能長明の高弟である菊地武光と茜夫妻の屋敷で、武光の妹・知恵と愛弟子・欣之助の祝言が執り行われていた。(。・ω・。)ノ♡
胸板の厚い一皮目の花婿は、菊地家の家紋入りの紋付き袴がじつに似合っている。
白無垢に角隠しの知恵は、親戚筋の女児が注ぐ三々九度の盃を謹んで受けている。
一連の儀式が滞りなく済むと、ほっと座がゆるんで、なごやかな酒宴が始まった。
床の間を背に鎮座する新婚夫婦の耳に、義父母になった兄夫婦の会話が聞こえる。
*
「やれやれ。媛姫さま誤毒殺一件並びに会津騒動の真相を探りに出してやった旅路でかように思わぬ拾い物をしてまいるとは、わが妹ながら、呆れた跳ねっ返りだわい」
飲めぬ酒に早くも額を光らせた武光のひとつ話を、茜が丹念に拾ってくれている。
「あなたはまあ、またしてもさような仕儀を。何十度となく同じ愚痴を口にされて、よくもまあ飽きませんねえ。まあ、よいではありませぬか。娑婆の出来事は、算術の如くには割りきれませぬ。それがまた、浮き世の面白いところでもございましょう」
やわらかくたしなめられた武光は、聞き分けのない童子の如く唇を尖らせている。
「そなたの口達者には敵わぬわ。妹の不始末は不承不承に認めるにしてもだ。肝心要の於万ノ方さまのご嫌疑は晴れたやら晴れぬやら、一向にすっきりせぬではないか」
「たしかに歯がゆいところではございますが、奥方さまが仰せられたとおり、殿さまとお子さま方、主な家臣衆さえご承知ならば、当面は事を荒立てずに置くほうが得策でございましょう。真実は自ずから明らかになり、後の世に伝播もなされましょう」
「後の世に伝播とは如何様に?」武光は
「さようでございますね、たとえばですが、やがて年古りて奥方さまがご他界あそばされたときに、ご生前の悪名を払拭する、ご立派なご顕彰碑が建立されるとか……」
小首を傾げて愛らしい思案顔をつくる茜に、珍しく武光が突っこみを入れている。
「そんなことを申しても、殿さまが奥方さまより長生きされるとは限らぬであろう」
「たとえ殿さまが先に身罷られても、心から母君を慕うお子さま方や真実をご承知のご重臣衆によって殿さまのご遺志は確実に受け継がれましょう。わたくしたちもせいぜい長生きをして若夫婦と力を合わせ、及ばずながらお手伝い申し上げましょうよ」
「ふむ、そうじゃな。最後までお味方いたそうぞ」
意外と心配性の武光もようやく納得したようだ。
*
兄夫婦の会話を聞き終えた知恵は、角隠しに隠れて、そっと欣之助に囁きかける。
「わたくしたちの探索旅が、多少はお役に立てたようで、本当にようございました」
「神仏の思し召しを得て、この世に生を享けた以上、いささかなりともお力になれてこその生き甲斐というもの。これからも夫婦で力を合わせ不条理に挑んでいこうぞ」
「ところで、きんちゃん、義姉さまの湯漬け、召し上がりたくはございませぬか?」
「ほえ? 湯漬けとはなんのことじゃな」いきなり問われた欣之助は首をかしげる。
「高遠城下でほら『ああ、さすがに疲れ申した。なんだか茜さまの湯漬けが食べたくなりましたなあ』って」「お、そのことか……知恵どのも相当にしつこうござるな」
だってぇ……角隠し越しに茜を見、欣之助を見た知恵は「許してさしあげますよ」「さすがは知恵どの、男気にあふれておられる。そういうところ、好きでござるぞ」
声音にも力瘤のみなぎる欣之助の返事と共に「ひひ~ん、わお~ん、ぶぃぴぴぃ」きらびやかな秋の陽が燦々と降り注ぐ中庭から、三頭の馬の鳴き声が湧き起こった。
こぢんまりと温かい内輪の祝言の一座は、いっせいに首をめぐらせ彼方を見やる。
*
長さ半間ほどの
二親の間に立つのは、よちよち歩きも覚束ぬ、なんとも、ちびっちょい仔馬……。
先日、生まれたばかりの
※長いあいだ拙い創作をご高覧いただきまして、まことにありがとうございました。
本来ならば参考文献を明記すべきところではございますが、あいにく保科正之さん
につきましては、格好な書物が見当たりませんでしたので、ネットの記事を参考に
史実とされる出来事以外はフィクションとさせていただきました。 (@^^)/~~~~
家康の隠し孫――保科正之 🏯 上月くるを @kurutan
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