第91話 浅草の米蔵の横領をかけられていた肥後守




「そなたが不在の奥御殿を於縫は早くもわが物顔で取り仕きり始めておるようじゃ。むろん、裏で糸を引く輩にそそのかされてであろう。いや、逆か? あの女狐、相当な玉ゆえ、女鵜飼いが配下の男どもに命じて存分に魚を獲らせるの図、やも知れぬ」


 眼下の肥後守さまの口説は、ますます尖って来る。


「かような事態に立ち至ったら、もはや致し方ございませぬ。ただ子どもたちの身に危険が降りかからぬように、殿、奈辺のご采配は、くれぐれもお願い申し上げます」


 於万ノ方さまの懸命な頼みを肥後守さまはしっかと受け留め、

「心配無用じゃ。正経と石姫、正純の身柄はすでに上屋敷に移すよう指示してある。母御に会えぬと切ながるやも知れぬが、いましばらくの辛抱じゃ。そのうちに口実を設け座敷牢から解放する。さすれば、母子三人、再び寄り添うて暮らせるじゃろう」


「ありがとう存じます……。で、殿さまは金姫の父親に徹せられるのでしょうか?」

 於万ノ方さまがいささかさびしそうに念を押されると、肥後守さまも辛そうに、

「身は何処にあろうとも、心は常にそなたたちにある。心強く思うてくれてよいぞ」


 よかった、殿さまは若いだけが取り柄の側室にうつつを抜かす殿方ではなかった。

 長年、連れ添われた奥方、おふたりの間のお子さま方に真の愛を注いでおられる。

 思わず目頭を潤ませる知恵の指を、かたわらの欣之助がしっかりと握ってくれた。




      *




 翌二十日、口実を設けて保科屋敷の奥女中に復帰した知恵は、昨夜、於万ノ方さまの座敷牢で耳にしたばかりの於縫ノ方の専横ぶりを目の当たりにすることになった。


「下手人の香をいつまでも残しておくでないと、何度も申しておるのが分からぬか! ええい、じれったい。さように汚らわしいものは、ことごとく、徹底的に処分せよ」


 見方によっては別嬪の部類に入るのやも知れぬが、険のある眼差しや蓮っ葉な口説に品の欠片も感じられぬ狐顔が大威張りでのさばる様はまさに世も末の醜態である。




      ****




 畏れ多くも大猷院(家光)さまお胤を偽って肥後守さまお預けとなった旗本某が、振袖火事の被災者に開放した浅草の米蔵から、大量の米を運んで町家に売り払った。


 かりそめにも武士の出自とは思われぬ、悪辣にして大胆きわまりない窃盗事件に、老中の反対を押しきって米蔵を開放させた肥後守も一枚噛んでいるのではないのか。


 そんなでっち上げを種に、肥後守さまと御公儀を強請り、媛姫さま誤毒殺の一件もまんまと成し遂げたつもりだろうが、そのうち、尻尾を出すだろう、性悪な女狐め。


 ゆえなく陥れられた於万ノ方さまの恨み、天が晴らさでおかぬはずがあろうか。

 万一、天が晴らさずば、この知恵が黙ってはおらぬ、むろん、欣之助と一緒に。




      ****




 義のくノ一・知恵&欣之助夫妻の執念は、それから間もなく天晴れ成就を遂げた。


 肥後守さまとの間に設けた(近習の何某の胤と、もっぱらのうわさだが)一粒種の金姫を一歳半で亡くした於縫ノ方は、半狂乱になって聞き捨てならぬ罵詈雑言のかずかずを撒き散らしたあげくに保科屋敷から追放された。むろん、何某一派も共々に。


 座敷牢から解放された於万ノ方さまは三人のお子たちと静かに暮らしておられる。

 ひとたび押された悪妻の烙印は消えぬが、満ち足りた表情をなさっているようだ。




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