最終話:春は来る

 四月六日。

 私は二年生になった。と言っても、昨日と今日とでなにが違うでもない。

 春休み前と比べても、通学がバスになったことだけ。鷹守のおじいさんが、お祝いにシャーペンをくれたとか。


 学校へ着くと駐輪場へ向かい、その孫と待ち合わせた。下足室の手前に張り出される、クラス替えの表を一緒に見ようと約束したから。


「クラス、分かれちゃったね」


 さも残念そうな声。わざわざ目を向けなくとも、彼がどんな顔をしているか想像がつく。

 声なく笑い、私のツッコミを待っているに違いなかった。


「当たり前でしょ。あんたは文系で私は理系なんだから」

「まあね」


 言って、ため息混じりに見下ろす。すると彼の視線は、私の名前の辺りをまだ見つめていた。

 唇を噛み、悔しそうというか切なさそうというか。


「な、なに。どうしたの。分かってたことでしょ」

「そうだよ。今から選び直せるとしても、やっぱり文系にする。でもそれとこれとは違うでしょ?」


 やっとこちらを向いた。おずおずと上目遣いで、高橋さんは寂しくないの? と読み取れた。


「そりゃあ違う——ような気もするけど」

「ええ?」

「うるさいうるさい。立ち止まったら迷惑でしょ」


 そんなに責めないでよ。いや、責められてはないけど。


 私だって鷹守が居れば、助かることは多い。なにより気持ちが楽だ。でもコース選択はみんながするもので、理不尽に決められたのでもない。

 どうしようもなくて、知ったばかりの自分の教室へ逃げ込んだ。


 始業式と、ホームルーム。顔と名前の一致していなかった、担任の先生。

 お決まりの自己紹介は


「高橋直子です。最近の趣味はDIYです」


 なんて、当たり障りなく引きこもりと宣言しておいた。


 出席番号順の席。私の後ろは鷹守でなく、ショートカットの女の子だった。

 彼の居ない教室。むしろ居たのが去年だけなのに、なにか足らない気持ちで胸がいっぱいになる。


 六限までの授業も、担当の先生の自己紹介で始まる。いつもならメモをとる勢いで聞くのに、今日は内容を覚えていなかった。

 放課後。ショートカットの女の子は、疾風の速さで消えた。きっと絶対に陸上部だと思う。


 大丈夫、今日は私も用がある。

 なにが大丈夫なのかと自分にツッコみ、正面玄関へ向かった。一つ階を下りると、まだお客さんの入っていない教室がずらり並ぶ。


 どこを見ても、これといって思い浮かぶ記憶はない。ただちょっとだけ、私の席だった椅子に座ってみたいなとは思った。

 これから帰る生徒や、既に部活の練習を始めた生徒がひっきりなしで、実行には移さない。


「あっ、高橋さん!」


 正面玄関のホールに着くと、すぐ。いちばん小柄な男の子が飛び跳ねて手を振った。

 廊下を行く先生や生徒、鷹守の連れらしい人達も居るのに。


 本気で回れ右をしようとも考えたが、もう顔と名前を一致されたはずだ。諦めて彼の隣へ並び、またここでも互いの自己紹介をする。


「ええと、それじゃあ新入生役は誰にする?」


 鷹守と一緒に待っていたのは、男子が二人で女子が五人。ほぼ初対面ばかりだけど、演劇部とは先に聞いていた。

 というか中の一人が、疾風の女の子だ。


「高橋さんは、今からなにするか知ってるの?」

「ううん、知らない。呼ばれて来ただけなの」


 ホールには、例の鷹守の描いた絵が飾られている。その絵を背負い、問うのも疾風女子。


「じゃあ、ちょうどいいじゃんね」

「えっ、なにが?」

「うんうん。高橋さん、体験してみてよ」


 昨日、オンスタのメッセージで、放課後はここにと言われただけだ。

 その張本人も説明する気を見せず、絵の前へ押し出された。なんだか大きく膨らませたゴム風船も手渡されて。


「なに、怖いんだけど」

「まあまあ。後ろ、見てみて」


 もういい、逆らわない。あとで覚えてろ。

 この場はひと睨みするだけで諦め、従う。しかし後ろを見ろと言われても、そこには鷹守の描いた絵があるだけ——


「桜吹雪がない」

「うん。高橋さんは新入生だから、そんなこと知らないけどね。ドキドキしながら通った、正門からの風景だよね」


 描き変えたのだろうか。これだけの大きさに、そんなことができるかも知らないが。

 ともあれ趣旨はなんとなく分かった。別の男子がノートパソコンを操り、ファンファーレからの軽快な音楽も流れ始める。


「君は今、人生の新たな舞台へやって来た」

「ここに君は、どうやって自分の足跡を残すのか」


 ミュージカル仕立てらしい。広いホールだ、二十人くらいなら観客席も作れるだろう。

 入れ替わり立ち替わり、問いかけられる新入生は恥ずかしいったらないけれど。


「将来は野球選手?」

「それともJリーガー?」

「大学で研究の日々?」

「そんなことより幸せな家庭?」


 疾風女子が早業でメガネをかけ、理系女子に変貌する。ステレオタイプと言われても、こういうのは分かりやすいのがいいに決まっている。


 演じる中に鷹守は居ない。私の立つのと反対の壁際で、楽しそうに眺める。

 突然に始まった寸劇の渦中、野次馬の視線も一手に集める私とは違って気楽そうだ。


「演劇部なら、なんにでもなれる!」

「人生はなにもかも演技!」

「演技があれば、なんでもできる!」


 それはどうなんだ。

 大いにツッコみたいところだけど、笑ってしまった。

 なんでもできる、と。相方に張り手をかました男の子が、私にも向かってくるまでは。


「えっ」


 まさか。

 大げさに上げた腕が、どう考えても遠い間合いで振り下ろされる。おかげで目を閉じず、私の手の風船が割られるのも見えた。


「ほら!」

「ほら!」


 ぶわあっ、とピンクが舞う。もちろん作り物だけど、桜の花びらが。全身、花びらまみれの私に、みんな後ろを向けと手で示す。

 その通り素直に。もう一度、鷹守の絵を振り返る。


「ええっ!」


 絵の中の学校が、桜吹雪に包まれていた。どうやったのか分からないけど、本気で驚きの叫びを上げた。

 周りで見ていた人達からも、「おおぉぉ」とどよめきと拍手が。


「演劇部なら、君の足跡どころか姿が残る」


 なるほど鷹守が自分の人型を残したのは、この演出のためか。

 風船のなくなった私の手に、花びらをかたどったメッセージカードが載っていた。


 こうしてリハーサルは終わり、絵の前へ立たせることや、風船を持たせるのも、芝居の一環としてやってはどうかと意見もした。


 あとには鷹守と私だけ。


「ありがとう。先入観のないほうがいいかなと思って」

「いいけど。恥ずかしかった」

「あはは、ごめんね」

「あははじゃない」


 うまくいったのなら良かった。

 鷹守はこうやって、新しいなにかを作るのが好きなんだ。そう思うと、私まで嬉しくなる。


「高橋さんは、どうするの? 将来。理系だったら、前に言ってた事務員さんももちろんアリだけど」

「なに、急に」

「いや、その。なんとなく」


 壁に寄りかかる彼の隣で、私も同じにした。近くでよくよく見るのとは、また絵が違って感じる。


 問われたのは、なんとなくでないように思う。今朝、文系と理系の話をした時と、表情が重なって見えた。


「正直、なにも分かんないよ。事務員さんは撤回するけど、結局そうなるかもしれない」

「だね。まだもう少し先だしね」

「うん。でも一つ、決めたこともあるよ」


 私の未来を彼の聞きたがる理由はなんだろう。分からないけど、それとは関係なく付け加えた。

 絵に向いていた鷹守の眼が、こちらへ。最初は見開いていて、すぐに「なに?」と微笑む。


「免許をとるの」

「免許って、運転免許?」

「そう。車のだから十八歳だっけ。どのみち、まだ先だよね」

「いいと思うけど、なんで?」


 免許をとるなんて、わざわざ言うほど珍しい話でない。普通はそうだが、私には違う。


「卒業するまでにお金貯めて、車買って、どこか行くの。できれば車で暮らすみたいな感じで、あちこち行ってみたい」

「ええと、今の家は?」

「ずっとじゃないよ、長くても一年。自分の目で、自分の足で、自分だけで、できることを探したいの」


 あんたみたいに。

 と言うつもりだったのを、やめた。さっきの仕返しだ。そうでなくとも鷹守は、忙しく顔の筋肉を働かせたが。

 急にこんなことを言い出せば、この反応で普通なのかもしれない。


「……そっか。戻ってくるんだよね?」

「もちろん。私の家は、あんたのご近所のあそこだから。もし気が変わっても、絶対に言う」


 ほっとしたような、残念なような。寂しげに彼は頷き、「ありがとう」と苦笑した。


「どうしたの。そんなに気になる?」

「そりゃあね、僕は高橋さんが好きだから」


 グラウンドから、校舎の彼方から。部活の声、楽器の音色。たくさんのざわめきを貫いて、耳に刺さる言葉。


「え……?」


 絵と、鷹守と、交互に見ていたのができなくなった。最悪なことに、ちょうど彼に向いたところだ。

 もごもご口を動かし、次の声を蓄えるのから目が離せない。


「あ、ああ。うん、仲良くしてくれるもんね」

「僕は高橋さんが好きだよ、ずっと。これから先も、いつまでも好きだと思う」


 ライクかラブか。なにかの漫画で、聞き返す場面があった。そんな残酷なと思ったのに、本当に私も分からない。


 分からないというか


「好きって、ええと——私でいいの?」

「高橋さんがいい。僕が好きと言ったって、特別とは思えないかもだけど」

「そんなこと」


 信じられない。鷹守を誰よりも信じているけど、私にそんな気持ちが与えられるなんてあり得ない。


「僕が高橋さんを特別と思いたいんだ。僕の中ではとっくにだけど、高橋さんにいいよって言ってもらいたいです」


 普通に普通でいることが特別。そう教えてくれたのは、鷹守だ。

 それは彼の声が私の胸に届いたから。


「なんで敬語?」

「えっ、あっ、ごめん」

「いいよ」


 だから、決まっていたのかもしれない。たぶん後にも先にも、人生で最高に驚いたけど。答えるのに迷いはなかった。


「い、いいよって?」

「あんたが言ったんだよ。いいよって言ってほしかったんじゃないの?」

「じゃ、じゃあ!」


 学校の中。職員室のすぐ隣というのに、鷹守が私に抱きつく。

 私のほうが背が高くて、泣いた彼を慰めるみたいな感じになったけど。


   ◇ ◆ ◇


 それから一年で、庭に植えた木の実は大きく育った。あの日に見たそのままの桜の木だ。

 何年が経っても、春には必ず美しい花を咲かせ続ける。


 ただ私の楽しみは花でない。

 毎年の冬、いちばんの大雪の日。桜の根本に、犬のような足跡が付く。

 表札を鷹守と掛けかえても、これだけは私だけの秘密。


 —— 普通に私は呪われる 完結 ——

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普通に私は呪われる 須能 雪羽 @yuki_t

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