第79話:季節は移り

 それから鷹守と、ほとんど一緒に居るようになった。沢木口さんグループは相変わらず賑やかで、私達が幽霊か透明人間になったような心地だ。


 これでいいと思う。

 後田さんと話さなくなったのだけ、少し寂しい。でも自分の思う通りにばかりはいかない、と私は知った。


 平日の放課後は、もちろんそれぞれの家に帰る。いくらかメッセージのやりとりはするけど、御飯を食べたとか、もう寝るとか、そのくらい。

 代わりにと言うのも変だけど、週末もほとんど一緒だ。鷹守の作業や劇団のことを手伝った。

 ただしここ最近は、別の用事にかかりきりだ。


「綺麗になってるね」


 三月の月曜日。三学期の終業式、つまり高校一年生が終わったのは三日前。三ばかりでおめでたいが、これはたまたま。

 お邪魔しますと玄関を開けた彼が廊下を軋ませ、顔を出した。相変わらず中学の体操服。ただ、上は半袖にしたらしい。


「週末、ずうっと雑巾がけしてたから」

「言ってよ」

「だってあんた、演劇部の用があったんでしょ?」

「そうだけど」


 御倉神社のある集落。放ったらかしで波打った畳を、彼は気にせず歩く。

 座って待つ私も汚れていいように、袖を通したことのないトレーナー姿。たぶん外国のタレントなのだけど、誰? という顔が大きくプリントされている。


「じいちゃん、トラック借りに行ってる」

「うん。悪いね」

「全然、全然。高橋さんに会えるだけで大喜びだよ」


 良かった。なんの言及もなく、運び出す予定の茶箪笥を撫でただけで、鷹守もあぐらをかいた。

 しかしおじいさんが来るまで、やることがない。持ってきたお茶のペットボトルを差し出す。


「悪いね」

「なんで真似するの」

「あはは」

「あははじゃない」


 オチもないくだらないことで笑って、この次にはなにを言おうとあせることもない。

 三月にしてはぬるい風の中、どこかでウグイスが鳴く。


「ねえ」

「うん?」

「この家、どう思う?」


 開いた縁越しに庭を眺め、視界の外の彼に問う。「うーん」なんて小さく呻き、あちこち見回すのが気配で伝わった。


「よくは分からないけど。柱とか太くて、いい家なんだろうね。うちなんか、僕の脚より細いよ」

「そうだね、歴史だけはあるみたいだから」


 飴色の梁を見上げ、たしかにと思う。しかし聞きたかった答えとは違った。

 そのためには私の問いも間違っているけれども。


「どう思う? 私がこの家に住むって」

「気持ちがね、苦しくならないかなって心配はするよ。だけどそれこそ『言ってよ』だし、楽しそうって思うほうが強いかな」


 今度は間髪入れずの返答。この家に掛かる、にのまえの表札を見て入ったはずなのに。


「楽しそう?」

「傷んでるところ、自分で直すって言ってたよね。僕も勝手に手伝うつもりだけどさ、そういうのって自分の物にしたって愛着が湧くと思うんだよ」


 鷹守が言うなら、そうなのだろう。まったく意図していなかったが、もう前提条件だったように思えてくる。


「思えればいいね、自分の物って。私はただ、自分のできることを知りたかっただけなんだけど」

「知れると思うよ、高橋さんがどれだけすごいか」


 手放しで褒めてくれる彼を、信用している。だけど鷹守のおいしいと言った料理が、私にもおいしいとは限らない。

 いや、おいしくなくてもだ。まずいのならどうまずいか、自分で自分を味見したかった。


「うるさい」

「あはは。でもお母さんはともかく、お父さんはなにも言わなかった?」

「言ってた。高校生なんだから、親元へ居ればいいって。だけどお母さんが、やらせてくれって」


 なぜ母が援護に回ったか、理由は聞かなかった。聞いたところで、なにも変わらないから。

 おかげで「咲が言うなら」と父も反対しなくなり、必要なお金は出すと言ってくれたので満足だ。


「そっか、良かったね。高橋さんはすぐにでも自立したいだろうけど、今は借りておこうよ」

「うん、お金のなる木はないからね」


 正確には立場もだ。事実を知れば、学校も文句をつけるはず。

 あくまで私は、祖父母の家の管理のために、時々泊まりに来る——という方便。


「あっ、そうだ」


 ふと思い立ち、持ってきたトートバッグを引き寄せる。大事な物を入れる用のビニールケースを取り出し、さらに中から小さな宝物を取る。


「それ、あの時の?」

「そう。兄ちゃんがくれた木の実」


 木彫りで作った帆立貝のような。食べれば兄ちゃんの側の住人になれるそうだけど、食べる予定がなくなった。


「どうかしたの?」

「木の実なら、植えてみようと思って」

「ああ、そうだね。どうなるのかな」


 鷹守が反対などするはずもない。私より先に庭へ出て、空っぽの植木鉢を見つけてきた。


「とりあえずこれかな」

「ありがと。これ、殻から出したほうがいいのかな」

「硬そうだし、たぶんそうかも」


 落ちていた石の尖った先を、慎重に落とす。すると三度目で、あっさりと殻が外れた。


「ピスタチオ?」

「なのかな。まあ、やってみようよ。大きくなっても、この庭なら大丈夫だし」


 おつまみのあれとは違い、瑞々しい。本当にピスタチオだったとして、植えない理由にならないのは彼の言う通り。

 玄関とは反対の、広さだけならテニスもできそうな庭に植物はまばらだ。雑草だらけだったのを、手当たりしだいに抜きまくったせいでもあるけど。


 兄ちゃんを思い出せるような、立派な木になればいい。そう願いながら、黒々とした土に木の実を落とす。

 優しく布団をかぶせたところで、表にトラックが止まった。今日はこれから、要らない家財を捨てに行くのだ。

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