後日談:桜は咲くか

第78話:年が明け

 一月六日。いとも普通に三学期が始まった。

 とは言え明日は土曜日で、なんで九日からにしなかったのか、と。ちょこちょこ聞こえてくる不満は、まあもっともだ。


「ええと、その、久しぶりだね」


 放課後、あの絵を運ぶから手伝ってと頼まれた。

 もちろんいいよと二つ返事で、廊下を行く。するとすぐに鷹守は、言葉を探すように言った。


「うん。久しぶり、かな。鷹守はメッセージくれてたのに、あんまり返事できなくてごめん」

「全然いいよ。むしろ、鬱陶しかったら悪いなと思ってて。でも心配で」


 どの教室も、ほとんどの生徒は居なくなっている。二、三人、誰か出てきたと思えば、あっという間にどこかへ駆けていった。

 だからぶつからないように、の心配はほとんどない。でも彼も私も、目を合わすのをきっとためらっていた。


「嬉しかった。おばさんとおじいさんの写真も保存してる」

「ほんと? じいちゃん、喜ぶよ」


 三倉の兄ちゃんとお別れして、鷹守と会うのは初めてだ。というか両親も含め、誰かとまともに話すのも久しい。


「あれ、どこ行くの?」


 演劇部の部室は三階にある。階段を上ろうとすると、彼の足は反対へ向いた。職員室や、正面玄関のあるほうへ。


「あ、こっちなんだよ。冬休み中にね、先生たちが見てたから」

「へえ、すごいね」


 あの絵は、学校のどこかへ飾られると聞いた。その審査だとしたら、ちょっと弾んだ声を聞けば結果は瞭然。

 鍵を借りてくるね、と職員室の引き戸を開けるのも勢いがいい。


「あっ」


 戸が開いても、鷹守は職員室に入れなかった。ちょうど出てこようとした誰かが、彼を見下ろして声を上げた。


「あんた——」


 あたふたと辺りを見回し、ついでに私の顔もじっと見るのは沢木口さん。珍しく一人で、みるみる顔が青褪めていく。


「約束が」

「約束?」


 彼を睨めつける眼と、約束という言葉がそぐわない。オウム返しに言った私もまた睨まれ、彼女は鷹守の袖をつかんで引っ張る。


「ちょ、ちょっとこっち来なさいよ」

「なに? 用があるんだけど」


 そこに以前のような笑みはない。このまま殴り合いでもするのかも。そう思うと沢木口さんの向かう階段下が、いかにもらしい・・・


「あんたたち、揃って。約束が違うじゃない」


 新学期の初日から、痛いくらいに心臓が鳴る。沢木口さんの潜めた声を聞くと、なおさら。


「勘違いだよ。高橋さんには言ってないし、別の用で来ただけ」

「言ってない?」


 なんの話だか、鷹守には分かるようだ。私の知らないなにかを共有し、沢木口さんが怒っている。まるで千枚通しで突いたような、鋭く重い痛みが胸に立つ。


「私、聞いてない? なに?」


 カタコトめいた。彼女に舌打ちされても、聞き流すわけにはいかない。

 数拍の間を置いて、ふうっとため息は鷹守。


「ほら。内緒にしてたのに、話さなきゃいけなくなったよ」


 気が進まない。そんな表情を偽りで作れるほど器用でないのは知っている。沢木口さんも信じたのだろう。「えっ、やめて」などと止めにかかった。

 でも、こうと決めたら覆さない。彼はスマホを取り出して見せた。


「再生までしないけど、動画があるんだ。演劇部に忍び込んで、僕の絵をビリビリに破く姿がね」

「——沢木口さんが?」

「と、全部で三人かな」


 いつも一緒に居る三人組だろう。なるほど彼女は、今まさに職員室へ届け出るところと勘違いしたらしい。

 けれど、ん? と疑問が一つ。私達はこれから、鷹守の絵を運ぶのだったはず。


「カメラ、鷹守が仕掛けてたの?」

「もちろん。机にイタズラをした人が、絵にもなにかするかもって。まさか沢木口さんとは思わなかったよ」


 間違いない、罠だ。と言うには自業自得の色が強いけれど。

 あの絵が完成した朝、沢木口さんもその存在を知った。私は想像もしなかったけど、聞けば当然というくらいにあり得る事態でもあった。


「ええと、絵って?」

「うん良かったよ、完成した絵は動かした後だったから。破かれたのは次の絵のラフだから、困るけどダメージは少なかった」


 やはり餌の正体が不明で、聞いてみた。辻褄の合うように言っているけど、要するに沢木口さんはダミーをつかまされたのだ。


「ラフ? なに、どういうこと。大事な絵だって言ったじゃない!」


 怒り心頭で、彼女の声が大きくなる。職員室にほど近いことを、自分ですぐに思い出したが。


「大事だよ。大事じゃない絵なんてないからね。それにまだ白紙だったとして、沢木口さんの罪がなかったことにはならない」


 言う通り、動画まであるものを言い逃れは難しい。

 ぎゅぎゅ。と、沢木口さんの歯ぎしり。さすがの彼女も、明確な証拠付きでの悪評は嫌だと見える。


「ねえ、鷹守。聞いてみるんだけど」

「うん、なんだろう」


 彼も脅迫のつもりはないのだと思う。新学期からまた、いくらでも嫌がらせをされる。あくまでそれを封じるためだけで。

 だとしても、私には息苦しい。


「動画、消せない?」


 頭は下げなかった。そこまでのプレッシャーを与えたくない。鷹守の撮った、鷹守の自衛のためのアイテムを消せと、こうして頼むのさえ図々しいにもほどがある。


「どういうつもり?」


 反論は沢木口さん。良い子ぶるのが嫌いな彼女には、鼻につくのは分かる。


「私、大丈夫だから。次に沢木口さんがなにをしても、ちゃんと対処できるから」


 恩を着せようというのでない。という解説もせず、鷹守にだけ向けて言った。さっきの頼みごとより、明らかに強い口調で。


「ほらね、高橋さんてこういう人なんだよ」


 ふふっ、と鼻で笑われた。沢木口さんへの言葉だけど、きっと笑われたのは私。

 鷹守の指が、慣れた感じで動画を呼び出す。ちょっと再生して、たしかに演劇部の部室と分かる。


 削除の操作も、彼女と私に見えるように行われた。「やれやれだね」なんてわざとらしく、彼はスマホをしまう。


「ふ、ふん!」


 怒ったような、勝ち誇ったような声と顔。しかし地団駄を踏むように、沢木口さんは歩いていこうとした。

 その背中に「ねえ」と声がかかり、律儀に彼女も振り返る。


「動画、消したけど。高橋さんを困らせるようなら、僕はなんだってするからね?」


 冷たく、平たく、鷹守は宣言した。私の言うべきことがあったのかもしれない。が、なにも思いつかなかった。

 十数秒。あるいは一分近くも、三人ともが黙っていた。しかしやがて、沢木口さんが去る。今度は僅かな鼻息も感じさせず。

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