バラが咲く頃に(下)

 トーコとオズワルドが馬車の停留所に再び着くと、すでに馬車が来ていた。

 オズワルドが御者ぎょしゃに声をかけた後、二人は車両に乗った。御者ぎょしゃが乗客二人の姿を確認すると、すぐに馬車は、旧ニレ村のバラ園に向かって出発したのだった。




 観光の時期より少し前だったからか、ケヤキ村は日常のように、のどかな雰囲気であった。道を歩いている人もまばらで、人気も少ないようだ。

 また、ケヤキ村から旧ニレ村間の往復する馬車の本数も、普段は一日に二本しか無い。


 五月の豊穣祭ほうじょうさいの時期には、ケヤキ村の市場近くの広場で、魚介料理を格安で食べられる屋台が見られる。新鮮な魚介料理目当てに、あちこちから人々が訪れる。

 魚介料理を食べた後に、旧ニレ村のバラ園に行く人も多いので、臨時的に馬車の本数は増やされているそうだ。




 トーコとオズワルドを乗せた馬車は、平地の集落から離れた後に、海岸線の一本道を走っていた。

 ケヤキ村の海岸はイシヅミ町よりも広く、長いようだ。


 馬車の進行方向、向かって右側には海の上を飛んでいるカモメたちが、左側には陸にある巨大な温泉施設が見える。

 よくよく見ると、岸から離れた海の上には、イシヅミ町よりも多くの漁船が、遠くの方に見えるようだ。



 馬車が海岸線の端まで行き、大きく左へ曲がると、森の小道を進んでいく。

 その森を抜けると、ひたすらゆるい登り坂が続いている。


 馬車がいくつかの集落を通り過ぎた後には、右にも左にも、深い黄色の小麦畑が広がっていた。

 畑の中に入って、鎌で小麦を刈っている農夫や農婦の姿もあった。唄を歌いながら、楽しそうに作業していた者も見かけた。



 馬車が小麦畑を通過すると、今度は森の中に入っていった。森を通り過ぎている途中で、再びなだらかな道になった。


 そして短い時間、なだらかな道を馬車が進んでいき、開けた場所まで来ると、ようやく馬車が停車した。




 ついに、トーコとオズワルドは旧ニレ村の跡、バラ園に着いたのだ。

 森に囲まれている場所であったが、しっかり太陽が見える程、広大に開かれている。


「悩みが多かった十代の頃は、足を踏み入れるのも怖かったのに、不思議だな……。今は辛い気持ちよりも、懐かしさの方が勝っている」


 オズワルドは急に感情が込み上げてきて、無意識につぶやいたようだった。


 ゆるやかな階段状の整備された土地に、下段から上段まで、非常に多くの白いバラが植えられているようだ。バラが満開なら、さらに素晴らしいだろう。

 それに、いい意味で、村があった面影は無いように見える。


「わっ……。本当にスゴイ……」


 トーコは、思わず小声で感嘆した。

 オズワルドと共に、彼女は馬車の停留所に近い下段から、ゆっくりとした足取りで、バラをながめていった。


 植えられている白いバラは、一種類だけでは無かった。手のひらより小さいものから、王宮のツバキの花くらい大輪のものまであるようだ。

 通路の辺りには、ほんのりと上品で甘い香りが漂っている。



 二人が上段まで登ると、北側に大きな石碑せきひがあるようだ。石碑せきひには、キンキラ銀山から起きた紛争ふんそうの、全ての犠牲者の名前が掘られていた。


 トーコは石碑せきひに気付くと、早足で傍に言った。石碑せきひの前に着くと、彼女は腰を深く降ろした跡、目を閉じて両手の指を組んだ。

 旧ニレ村に住んでいた人々に祈りを捧げて、トーコは彼らの冥福めいふくを心から願っていたのだった。


 オズワルドもトーコの後を追うと、同じく腰を落とした。目頭が熱くなり、彼はトーコの片肩を優しく触れたのだった。


「本当に……ありがとう、な」


 トーコにお礼を言った後、オズワルドは別世界にった両親と親戚しんせき、隣人たちに向かって、心の中で宣言をした。


(……コイツと一緒に、安心してくれ)



 その後、二人は残り半周のバラを見るために、立ち上がって、一緒に下段を下っていった。

 トーコがオズワルドに片手を差し出すと、二人は指を絡めて、固く手をつないだのだった。


「……満開の時も、観てみたいかもっ」


「そうだな、……行けるといいな」



 間隔を空けて咲いているバラを観ていたトーコだったが、ふと見上げると、自然と東の空を見ている。


(遠い、遠い空の向こうに居る、お母様……。

 貴女あなたのような、凛々しくて爽やかな女性には、なかなかなれないけど……。すぐには変われないけど。だけど、オズワルドさんと一緒なら、少しずつ……ですが、きっと貴女あなたのように、前向きに生きていけると思います。

 だから、これからも空の上から、どうか、どうか……温かく見守っていてね)


 タイヨウ皇国がある方角の空に、想いをせていたトーコだったが、オズワルドの声を聞いて、我に返ったのだった。


「お互いに仕事が落ち着いたら、正式な入籍日を決めないか?」


「えっ? ……うん、そーだね!」



 再び馬車の停留所に辿たどり着くまで、トーコとオズワルドは決して手を離さなかった。


 春の暖かい陽の光と澄んだ空気が、二人をやさしく包み、とても穏やかな時間が過ぎていくのだった。



〈了〉

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