最後の晩餐にコーヒーを

御角

最後の晩餐にコーヒーを

 ガチャリ、ガチャリと重い金属音が、牢屋の奥で私を手招く。たった一日で何十人も殺した大罪人は、独房の隅でうつろな目をして横たわり、ただ死にゆく時を待っていた。

「おい、501番。刑の執行が決まったぞ」

 男は目をわずかに動かすだけで何も答えない。当たり前だ。自らの死の宣告を前にして、沈黙しない人間などこの世にはいない。

「最後の晩餐ばんさんは何がいい? 用意できるものなら何でも構わないが……」

「コーヒー」

 静かに、されど食い気味に、男は唇を震わせそう呟いた。

「……そんなものでいいのか? 最後、なんだぞ」

「ああ」

 男はおもむろに上体を起こし、ボサボサの前髪の間から、黒く濁った瞳を覗かせる。

「それが、いいんだ」


 せめて、最後くらい良い一品を。そう思った私は、今や貴重なものとなってしまったコーヒー豆をわざわざ買いに行き、あわせて購入したミルでカップ一杯分の豆をく。

「意外と、時間がかかるものだ」

 ゴリ、ゴリと回すたび、荒い破片が底へと積もる。そういえばあの日も、この町には黒い雪が積もっていた。

 カップへ被さるフィルターの上に粉を落とし、少量の湯を注ぐ。温かい湯気に混じって、仄かな硝煙の香りが顔を撫でたような気がした。

何故なぜだ。何故あの男は、暴動を起こしてまで祖国に逆らった」

 泥とすすまみれた路傍ろぼうの雪。そこに赤い足跡をつけたあの男を捕らえたのは私だ。

 かつて戦争でおもむいた地に暮らしていた、私と同じ黄色人種。なのに何故、彼は軍隊に紛れ込んでまで本部を襲ったのか。私には到底、理解できない。

「いかん、少々蒸らしすぎたな」

 雑念を頭の片隅へと追いやり、慎重に湯を回し入れていく。抽出された液体は、白熱電球の光を受けて黒くその水面を揺らした。


「ほら、ご所望のコーヒーだ」

 こぼさぬよう運んだその熱を持つカップを、男の口元へとそっと差し出す。しかし、男の表情は、相変わらずふてぶてしいままだ。

「どうした、飲まないのか?」

 そう問いかけると、男は急に口元をほころばせ、声を押し殺すように笑い始めた。

「なんだ。何がおかしい」

「いや、なに。妻のことを思い出しただけだ」

「妻? 妻がいたのか。ならば何故、暴動など馬鹿なことを」

「……それは、違うな。妻がいたからこそ、俺は本部に八つ当たりしたのさ」

 そう言って、男は一口、私のれたコーヒーをすする。

「あいつは……朝、いつも一杯のコーヒーを飲むのが好きだった。それがその国の文化なんだと言って、外国から来た俺にも、毎日必ず飲ませようとした。口に合わないと何度言っても、絶対気にいると信じて疑わなかった。戦争だってそうだ。妻はずっと、平和な未来を信じ続けて……そのまま、やつらに撃ち殺された」

 男の瞳はよどみをはらんで、コーヒーと共に黒々と揺らめく。

「それが、祖国に牙をいた理由か」

「少なくとも俺にとっての祖国は、この国ではない」

 黒い水滴が男の首筋を伝う。しかし男はそれを意に介することもなく、カップに口をあてがい続けた。

「ご馳走様」

「……美味かったか?」

 男は唇を舐め、んだ涙を流して今までで一番の笑顔を見せた。

「駄目だ。やっぱり、クソ不味いや」


 最後に言い残すことはあるか。処刑場でそう尋ねる声が、牢の奥まで反響する。

「……ありがとう」

 確かに、そう聞こえた気がして、私はからのカップを握りしめたまま処刑場の方へと振り向いた。


 立て続けに鳴る、大きな銃声。その轟音が、鼓膜の奥まで、私をつん裂き震え上がらせる。

 ——パリン。破裂音に紛れて一滴、透明なしずくが黒い残滓ざんしと溶け合って、暗く薄汚い床にモノクロの花を咲かせた。

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