二 はじまりの日(4)

 純喫茶〈三色旗〉の代金はどうやら、羽坂が支払ったようだった。お支払いは羽坂特務曹長殿がお済ませになりました、と言われて高久は頭をかいた。あの男はああ見えて抜け目ない。しかも辻馬車の手配も済ませたようで、五十番乗場におしくださいませと猫の頭をした給仕が深々と頭を下げ、しかも高久が買う予定でいたお土産、〈三色旗〉名物のチーズケーキを手渡され、出口の外まで見送られた。

 至れり尽くせりだと呑気なことを思いながら後ろを歩く令人に声をかけた。

「令人。かばん何処どこだ?」

「羽坂特務曹長殿がりょうに持って行ってくださるそうです」

 高久は感心しつつ、こうまで先回りされると居心地の悪さを覚える。だが、時間短縮になったことは有難ありがたかった。

 駅の玄関口を出て右にひかえる乗場、五十番乗場もすぐそこで、早々に辻馬車に乗った高久と令人は行き場を告げる間もなく、馭者ぎょしゃに「白扇通はくせんとおりですね」と告げられたのである。本当に抜け目ない――と高久は歩き出した馬を前に令人と顔を見合わせて微笑ほほえみあった。


〈白扇通り〉は小説家が多く住まう地区で、〈白山はくざん〉をのぞめる風光明媚ふうこうめいびな景色が有名である。白い煉瓦造りの建物が多く並ぶ帝国軍の中心部である〈白幹ノ通〉と違い、余所の国、町、村からの木で建てられた伝統的な木造家屋が立ち並ぶ。少し歩いた先には白い田んぼが広がるのどかな場所でもある。水の張る時期は空模様が鏡のように映り、ひと際、幻想的な風景を見せてくれる。その為、小説家の間では人気の住居地であった。

 今から向かう所は著名ちょめいな小説家の家である。小説に始まり、軍の依頼で軍歌の作詞もする。しかし、この小説家、なかなかの食わせ者である。

 高久は何故か、この小説家に気に入られている。高久はその理由を十分に承知している。あまりよろしくない理由故、本当は令人を会わせたくないのだが、高久と令人がこの小説家に会いに行く理由が理由だけにそうも言っていられない。

 小説家の家は伝統的な木造家屋である。黒光りの瓦が白い風景の中で鮮烈せんれつな存在を放っている。堂々たる門構えを前に令人が緊張の面持ちを見せていた。

 薬医門やくいもん門扉もんとびらの隣の小さな扉が開き、人が現れた。この家の書生、遠城晴彦えんじょうはるひこであった。表情のとぼしい少年で、令人よりひとつ、年上である。

「高久軍曹殿と桐ケ谷令人様ですね。お待ちしておりました。少々、お待ちください」

 小さな扉が閉ざされ、間を空けずに門扉が片方、開いた。もう片方も完全に開き切ると、書生は高久と令人を前に家に導いた。

「どうぞ。こちらへ」

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