二 はじまりの日(1)

 十時を告げる喇叭らっぱの音が鳴り響くと同時に椅子を引く音が一斉に聞こえ、教官室きょうかんしつの人々が一斉いっせいに動き出す。

 高久匡たかひさただすは目の前の書類から目を離して顔をあげた。

 そこには三島当真みじまとうまが〈まめや〉の紙袋を手に満足気な表情を高久に向けていた。

「規定違反だ」

 間髪かんぱつ入れずに指摘した高久を気にすることなく、当真は近くにあった椅子を引き寄せて腰かけた。

「軍務は滞りなく。街の中で軍人が普段と変わりなく買い物をするのも、軍務のひとつだ。そうだろう。高久君」

「規定通りにしたら買えないからだろう」

 演技臭い高説もどきの言葉を連ねる当真を気にすることのない高久に、当真はくぐもった声を開けた。図星だ。〈まめや〉は〈白幹ノ国〉で一番人気の和菓子屋であり、中でも十時、三時、六時の決まった時刻に売られる豆大福は五分と待たずに売り切れる。十時を告げる喇叭の音と同時に外に出ては、到底、買えることはないだろう。

「だが――」

 高久は呆れた笑みを向けながらも当真を見た。当真も分かって高久に笑みを向けている。

「たまには良いだろう」

「そう来なくては」

 当真は言いながら紙袋を開いている。

「だが、私は結構だ」

 高久が立ち上がるのを当真が目を丸くして見ている。

「え、なんで。せっかく手に入れたのに」

「今日は所用がある。羽坂はざか特務曹長とくむそうちょうが待っている」

「ああ、村の子か」

 村の子、という言葉が出た途端とたんにぎやかだった教官室の中が静かになった。中には静かになったことに困惑している様子の新人軍曹が居たが、他の軍曹が「秘級ひきゅうの……」と耳打ちした。当真は自分の失言に慌てることなく立ち上がり、静かになった教官室を見回した。

「――諸君しょくん。言いたいことがあるなら言え」

 当真は表情を消して、声をあげた。その声には感情はない。ただ、淡々としたものだった。いつもは調子の良い笑顔を周囲に向ける当真の表情の変貌へんぼうに当惑の表情を浮かべてうつむいている者もいた。

「当真」

 名前を呼ばれて当真は高久を見た。高久は首を振って一言、良い、と言った。当真はもう一言、言いたかったが当人が望まないのだから口を出すべきではないと無言で椅子に座った。静けさは徐々に和らいで、いつもの賑やかさが戻ってくる。

「当真」

 気まずそうに顔をそむけている当真に高久は声をかけた。

「ありがとう」


 高久の故郷である村は〈白幹ノ帝国軍しろもとのていこくぐん〉の管轄かんかつの中で〈秘級〉に当たる。〈白幹ノ国〉の眷属けんぞくである帝国軍が管轄する産土神の危険度を表したもので一級から九級に分類され、その中でもまほらに仇なす可能性のある産土神の国、町、村を〈特級〉とした。

中でも〈秘級〉は中将以上しか知ることの出来ない特別案件で、村人全員が一夜にして消滅する危険性のある国、町、村である。

 高久はそのことを妹のただすの死をきっかけに知ることとなった。同時に、自分の生まれ育った村の名が〈白幹ノ国〉とその管轄する国、町、村全てに広まってしまったのだ。

 以来、高久の村は様々な要因も相まって触れてはいけぬ火種であることが妹の死と共に有名になってしまった。


 ――迂闊うかつだった、と当真はおのれ軽率けいそつな発言をいた。当真自身は高久の村に興味はない。何故なら産土神と氏子の問題はその国、町、村で解決するものであり、いくらまほら様が取り成す役目だからとって、〈白幹ノ国〉の眷属である軍人がしゃしゃり出るものではないと考えているからだ。

 とは言え、この思想を表沙汰にしてはいけないことを当真は自覚していた。

 高久に感謝されて当真は気まずそうに笑みを作ると、片手で顔をおおって、紙袋を高久に差し出した。

「やるよ」

 高久は当真の気遣いに苦笑しつつも、丁重に断った。しかし、当真は頑として紙袋を差し戻さなかった。

「今日来るおいと、しゃくだが、羽坂と一緒に食べてくれ」

「では、いただこう」

 高久は紙袋を受け取って、中を開き見た。ひとつずつ薄紙に包まれた豆大福が六個、入っている。六個入っている意図が分かってしまった高久は思わず、微笑んでいた。

 その中からひとつ取ると、当真の前に差し出した。

「五個は遠慮えんりょなく頂こう」

 生真面目な表情で豆大福を差し出す高久だが、当真は手を出さなかった。

「一人二個だ」

「だから、私の分をお前にやる」

 当真は目を丸くして次の瞬間には破顔はがんした。

「じゃあ、いただきますか」

 当真が手を差し出すと、高久はその手のひらに薄紙に包まれた豆大福をのせた。高久が紙袋を片手に教官室から出て行くのを当真は見送った。

 廊下を行き交う軍靴ぐんかの音が響く中で、高久の軍靴はにぶく、重い音を響かせていた。


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