二 はじまりの日(8)

 辻馬車に揺られて景色を見る。ここに来た時には驚いた白い風景も、今では見慣みなれたものになった。

 自分の命は自分のものではない。令人はそれを痛い位に分かっていた。法の下では自分はまだ、子どもだ。だから、兄の為に村に残ることを、誰も許さないことも分かっていた。

 だから、伯父である高久の言葉を信じて甘えている。そんな自分を令人はここに来てじた。

 隠れてでも村に残り、兄を守る――その子どもじみた叫びを受け入れてくれたのは高久一人だった。


 ――令人の決心はあまりにも固い。このまま悲劇を生むならば、令人の意見を受け入れましょう。全ての責任は、私が取ります。


 父を前に高久はそう言った。いや、自分が言わせてしまったのだ。それでも。

 令人の目から涙があふれてきた。兄を、見捨てられない。兄を、死なせたくない。鏡一郎は令人を美しいと言った。身も心も美しいと。だけど、令人はそうは思えなかった。

 自分の我儘わがままの為に、高久は犠牲になっている。それは、美しい心根の者がする行為ではないからだ。例え、子どもであったとしても――。

 最早もはや、自分でもどうすればいいのか、分かっていない。令人は白く美しい景色を前に涙を流す目を手のこうぬぐった。

「令人」

 伯父に名前を呼ばれて、慌てて涙を拭き切った令人は高久に顔を向けた。

「高久さん……」

「今日は申し訳なかった。お前に言わせてはならないことを言わせてしまった」

 令人は首を振った。

「私が、言うべきことですから」

 だが、高久の表情は晴れることはなかった。

「令人。しばらく村に帰りなさい」

「え、でも……」

「今のままでは勉学に身が入らないだろう。五日程休みなさい。羽坂には私から言っておく」

 令人はしばらく迷った様子を見せたが、思うところがあるのだろう。俯き、頷いた。

「おいで。しばらくもたれかかって眠ると良い」

 高久に誘われて令人は高久の体にもたれかかった。肩を抱かれると令人はあっという間に眠りに落ちてしまった。長旅の疲れもあるのだろう。よく眠っていた。

 高久は眠る甥の身を案じていた。自分の腕の中で眠る甥は規則正しい寝息を立てている。来たるその日、高久は約束を反故ほごにしても、令人を村から引き離すつもりでいる。それは令人も分かっているのだろう。

(この子は……聡い子だ。だからこそ……辛いだろう)

 誰もが無事を祈らぬ兄を、令人だけが案じている。だが、何も村の人々が桐ケ谷の無事を案じていない訳ではない。だが、身を案じるには、罪があまりにも重すぎる。

 射殺された郵便配達員には子どもがいた。父一人子一人であちこちを配達に回っていた。その父親を桐ケ谷は子どもの目の前で殺したのだ。目の前で父を殺された子の慟哭どうこくを、あの声を聞いた村人が桐ケ谷の無事を素直に案じることが出来ないのは想像にがたくない。その子どもは慟哭を最後に、失声しっせいしたのだという。今は軍が用意した施設に入ったと聞く。

 だが、高久は来たる日まで桐ケ谷を見つけるつもりでいた。

(どちらも死なせない。そして、桐ケ谷にはしかるべきさばきを受けてもらう)

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